お寺にいくとムラムラする理由
私は寺が大好きです。
昨今女性たちの間で神社ブームが起こっていた(いる)ような気がする。
私も神社が好きだしおみくじも大好き。
でも寺に行った時のあのたまらない感じはなんだろう。
アロマオイルではなくお線香の匂いがすごく好きだし。
友達は「景呼の家は寺臭い!」と言っていた(笑)
特に寺に行った時の濡れ縁の角がとても好きで、形容しがたい気持ちになる。うっとりする感じに似ている。
寺の内部は見られないことが多い。
鐘を鳴らしてお賽銭を入れて手を合わせ、暗い本堂の中を見るけど、仏様はご開帳されていないことも多い。
そしてほの暗い壁にかけられた曼荼羅の図。気になってしょうがない。これは一体なんだろう、と。
好きでない人には不気味に感じるであろう空間だけど、私の場合はムラムラしてくることがある。
なんか、昔ここでなにやってたんだよ、と思うような。
とっても秘密なこと…。。。
2017年。車で通りかかった見知らぬお寺。
「あっ、寄らなきゃ」と思ったけど檀家でもなんでもない。
自由に参拝できるスタイルではなく、住職さんのおうちと一体化したでっかい民家みたいな立派なお寺。
ピンポンしないと中に入れない。
嫌だなあ~スルーしたい。と思ったけれど、無視できない感覚…。
しょうがないと諦めてUターンしてピンポンを鳴らした。
「あのぅ、突然すみません。通りすがりの者がいきなり恐縮ですが、手だけ合わさせていただけないでしょうか」
住職さんは快く迎えてくださり、本堂へ通してくれた。
とても大きな阿弥陀如来様がご鎮座なさっていた。
もう、見た瞬間に涙が止まらなくなり、ひたすらに泣いた。
「なんで泣いとんや?」優しく訪ねてくださいました。
「わかりません…」それしか言えなかった。
「でも昔、尼でした」
「そうかぁ。ほな仏さんが呼んでくれたんかも知れんなぁ」
日本で尼だったことも、外国で僧だったこともあるけど、尼だったころの記憶は曖昧だ。
なんとはなし、密教というものに関わっていたのではと思う。とても気になるからだ。
でもそれはなんか秘教を受け継ぐ閉じられた空間のなかに、生々しい人間模様もあったような気もする。時代だったんだと思う。しょうがなかったことはきっとある。
その年の暮れだったかその次の年だったか、夫の祖母がなくなり葬儀に出席するとあの時の住職さんがお経を上げに来た。
夫の父の実家が檀家だった!
住職さんとは目が合ったけど、覚えていないだろうと思っていた。
「あの時の人やね」
急に訪れた珍客だったから覚えてくれていたのかな苦笑
しかしお義父さんちが檀家だったのかぁ。
なんかいろいろ、おつなぎいただいたのかな、と思った。
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