意味を見つけようとする時

何事においても
「何で?」
「どうして?」
「なんのため?」

と意味や理由や答えを見つけようとする時はないだろうか?
私はよくある。
嬉しい時ももやもやする時も悲しい時も腹が立つ時も。本当に色んな事象において
「何で?」と、息をするみたいに問いかけている。
でも、往々にして、その理由を探しているのは紛れもない私の感情で。
出来事そのものには、相手の言動そのものには理由なんてないのだ。
きっと、出来事にしろ相手の言動にしろ、理由を見つけて期待したいのだ。

自分は間違ってないこと
相手の感情
などなど…
でも、それって私のエゴでしかなくて。客観的に出来事や状況や相手を見れていないので、探している理由は見当ハズレであることが多い。
万が一、私が見つけた答えが当たっていたとしても、そんな、賭けごと私はあまりしたくない。
というか、無意識にしてしまうからこそ、違う手段も手にしたい。

理由探しをしている時、
まずは、その時の感情をひたすら味わってみることにしている。1日で何を味わいたいかわかる時もあるし、玉ねぎの皮を剥くみたいに芯に行き着くまでには何層にも折り重なった感情の層を丁寧に味わう時もある。不快な感情も多くて、目を背けたくなるけど。丁寧に一つずつ感情に気づいていくと、
期待していた「何か」に気づく時が来るのだ。
「何か」が見えた時、それは、自分が本当に手にしたいものだったはず…たぶん。

本気の、本当のWantが見えたらあとはどうしたいか自分で選べばいい。
その時にはエゴも何も無いニュートラルな自分で出来事や状況や相手を見れるはずだから。
話が抽象的すぎるけど、そんなことを感じた週末。


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