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【連載小説】「執事はバッドエンドを導かない」第二話(Ⅰ 新しい執事)

Ⅰ 新しい執事

 ここはウィリディス共和国の本島から、海を南西へ二十キロほど進んだところにある孤島。島の周辺はいつも悪天候で波が荒れており、漁船も観光船も近づかない。太陽も月もほとんど顔を出さず、今が朝か夕かも分からないこんな場所に、長年暮らしてきた一族がいることなど誰が想像するだろう。

 島には大層古い豪壮な屋敷が一軒取り残されたように建っていた。数百年前に建てられた屋敷は中世時代の建築様式が採り入れられており、等間隔に並んだ柱やアーチを描く天井は美しい形を保っているが、万年嵐に晒されてきた外壁の白壁は黒緑色へと変わり果て、柱の細部に施された動物らしきものの彫刻も今やすっかり元の姿を失っている。

 この日、ウェスト卿の屋敷に来客があったのは、実に八年振りのことだった。

──コツ、コツ、コツ、コツ。

 落ち着いた一定のリズムを靴音で刻みながら、カインは長い廊下を歩いている。突き当りにある目的の部屋に辿り着くと、彼は四回ノックをしてから扉を開けた。

「ようこそ、ミラー君。こんなところまで、ご苦労だったね」
 部屋の中は灯りもなく暗闇に包まれていたが、ちょうど雷が光ると同時に、窓際の椅子に腰かけた声の主がシルエットで映し出される。

 再び雷が空を照らすと、腹回りにたっぷりと肉をつけた中年男が鼻の下に蓄えた髭を指先で遊びながら撫でているのが見えた。

「お招きいただき感謝します、ウェスト卿」
 男がこの屋敷の主・ウェスト卿だと判断すると、カインは頭から背筋までまっすぐ線を通したような美しい姿勢でお辞儀をする。

 男はカインの声を聞くと、よほど意想外だったのか、カインの顔の辺りをまじまじと見つめ始めた。

「……あちらから派遣されたのは、本当に君なのかね?」
「ご依頼頂いたのは、『執事を一人』では」
「いや、確かにその通りなんだが。でも、声を聞く限り、随分若いんじゃ……」

 その時、部屋の灯りが一斉に点いた。

「旦那様―! やっと電気、戻りました! いやあ、こうしょっちゅう停電しては困っちまいますなあ!」
 ノックもなしにずかずかと部屋に入ってきたのは、ネルシャツにサスペンダー姿の二十代半ば程の男だ。外で配線の様子でも見ていたのか、激しい雨に打たれたようにびしょ濡れで、癖のある金髪の先から続々と雫が垂れている。カインを見つけると、そばかすのある鼻根あたりをくしゃっとさせて愛嬌たっぷりの笑顔を向けた。

「あなたが新しい執事さんですかあ! オイラはこの屋敷で庭師とか雑用とか、割と何でもやってるセオって言います。どうぞよろしくお願いしますね!」
「こら、セオ! 儂もまだちゃんと挨拶しとらんのだ! 主人より先に自己紹介を済ませるやつが……」

 セオに文句を言おうと立ち上がった途端、ウェスト卿は腹に重力を奪われ足がもつれてしまう。

「ああ! 危ない、旦那様!」

 セオが叫んだのと、ウェスト卿がふわりと柔らかい風を感じたのは同時だった。

「ウェスト卿。お怪我はありませんか」
 瞬く間に自身の身体をすんなりと抱えられたウェスト卿は、初めて間近で見るカインの姿に目を奪われた。
 スレンダーな身体には、皺ひとつない白シャツ、黒ネクタイ、タキシードという清潔な執事服をまとい、真っ白な手袋は細長い指の一つ一つにぴたりと吸い付いている。華奢きゃしゃな片腕でウェスト卿の重量を支えても眉間は微動だにせず、なびく銀色の前髪の隙間から長い睫毛と透明な銀灰色の瞳が垣間見えた。

 カインは呆然としているウェスト卿をさらりと椅子に座らせると、再び背を伸ばしてお辞儀をする。

「はじめまして。執事をご所望と伺いまいりました、カイン・ミラーと申します。若い者をと、十六歳の私が仕事を承りました。執事としてはまだまだ未熟ではございますが、本日より力を尽くしてまいりますので、何卒よろしくお願いいたします」

「じゅ、十六歳⁉」
「ええ。『お嬢様と歳が近い者を』と条件を伺いましたので、私が派遣されてまいりました。何か、問題がありましたか」
「い、いやぁ、た、確かに、できるだけ『娘と同じ年頃に見える人』をお願いしたよ? お願いしたけど……」
「けれど……?」
「儂が依頼したのは、裏の世界のプロ……。色んな『やばいこと』をやってる会社だよ?」

 ウェスト卿は、まだ若干の幼さの残る美しい顔をした青年が「その稼業の者」だとは到底信じられず、依頼先を間違ったのではないか、または、何かを伝えそこなったのではないかと自分を疑っていた。

「ええ。ですから、私はその会社から派遣されてまいりました。これまで執事の経験だけでなく、併せて護衛の仕事も承ってきました。他にも、掃除に洗濯、絵画の修復、害虫駆除まで一応の基礎は身につけておりますので、どうぞご安心くださいませ」
 カインは、目を細めて人当たりのよい笑顔を浮かべた。


(第三話へ続く)


前話

🌜物語のはじまりは、こちらから↓


※冒頭の国の名前を「ウィリディス」に変更しました。(4/24)

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