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【ピリカ文庫】桜が散ったその後に

 今年も桜が咲いた。
 川沿いに連なる桜並木は、辺り一面をピンク色に染めたばかりだというのに、早くも花びらを少しずつ散らし始めている。

 桜の花は、「別れの花」か。それとも、「出会いの花」か。
 今年は、どちらになるだろう。

「だれかが泣いてる声がする」
 一緒に桜見物をしていた弟のリツカが急に足を止めた。
「ああ、リツカ、あそこ見て。あのお姉さん達だよ。きっと中学の卒業式だったんだね」
 私たちが歩いてきた歩道の先で、三人の制服の女の子たちが抱き合って泣いている。
 彼女らの手には卒業証書の入った艶のある黒い筒と、小さな花束がひとつずつ。
 まだ小学四年生のリツカに「卒業」の意味が分かるだろうか、と思ったが、どうやら「さよなら」を意味することだと何となく分かっているらしく、切ない面持ちを彼女たちに向けていた。

「おねえちゃんは、小学校の卒業式のとき、悲しくなかったの?」
「うーん。ほとんど皆、同じ中学に進むから、悲しくなかったかな」
「おねえちゃんの花も咲くから、さびしくない?」
「そうだね。桜が咲くと、たくさん『サクラ』って名前を呼ばれてるみたいで嬉しくなるよ」
「そっか……」

 毎年、この川沿いの桜を楽しみにしているはずのリツカの言葉に元気がない。
 もう少し行ったところにある屋台で「たこ焼き」でも買ってやろうと、リツカの手を引いて歩き始めた。

「リツカは桜、嫌いになっちゃった?」
「ううん……」
「……どうした?」
 再び歩みを止めたリツカの顔を覗き込むと、今にも溢れそうなほどの涙を両目に蓄えている。

「おねえちゃんの花だから、桜はすきだけど……、でも、桜が終わったら、おねえちゃんとはなれなきゃいけないって思ったらこわくなって……、大すきな桜の花のことが、きらいになりそうなんだ」
 リツカは途切れ途切れにそう言うと、大粒の涙をぽとぽと落として泣き始めた。

 ああ、リツカはずっと不安だったんだ。両親の離婚が決まり、私は母に、リツカは父に付いていくこととなった。最初は、私もリツカも母と一緒に暮らす話で進んでいたが、父方の家が長男であるリツカを手放すことをしなかった。母は猛反対してリツカを連れていくと聞かなかったが、「財力を持って、より良い教育を受けさせる」という相手方に対抗することができず、結局、父方の家から提示された条件を飲んだ。
 私は大人達によって日々大きく変化する局面から逃れるように、両親が顔を揃える時にはリツカを連れて外に出かけるようになった。中学生の行けるところなんて限られているけれど、両親の争う姿をできるだけリツカに見せないようにしたかった。

 けれど、「リツカのため」と思いながら、本当はすべて「私自身のため」だったのだ。
 私自身が家から逃げ出したかった。この先のことなんか考えたくなかった。家族が離れ離れになるなんて信じたくなかった。
 だから、私もリツカに「どうしたい?」なんて聞かなかった。

 リツカは、ずっと我慢していたんだ。「大人しく聞き分けのいい子」と言われ続けて、自分の気持ちなんてきっと言えなかった。
 私がしなきゃいけなかったのは、嫌なことを「見せない」ことではなく、リツカの気持ちを「ただ聞いてあげる」ことだったんだ。
 
「リツカ、ごめんね。お姉ちゃん、ちゃんと気持ちを聞いてあげなくて、ごめんね」
 泣き続けるリツカを抱きしめると、これまで心に押し込めてきたものが溢れ出してきた。
 私も不安だった。怖かった。嫌だった。怒りたかった。泣きたかった。リツカとも離れたくなかった──!

 腕の中で震える小さな身体から、私と同じ気持ちだったのだと思い知らされる。
 けれど、桜を見る度にこんな気持ちをリツカに思い出してほしくない。リツカには「桜」を嫌いになんてなってほしくない。

「ねえ、リツカ、聞いて。リツカが生まれてくる少し前にね、『サクラの花が終わっちゃう』ってまだ小さかった私が泣いていたら、お母さんがこう言ってたの。『リツカが生まれるのは立夏という夏の始まりの時期だから、それは桜の花が散らないとやって来ないんだよ』って。それから私、桜が散るのがずっと待ち遠しかった。リツカに会える日が楽しみでしかたがなかった。だからね、今も桜の花が散っても、ちっとも悲しくないんだよ」
「……悲しくないの?」
「うん。悲しくないし、怖くない。桜が散る頃にリツカと暮らす場所は離れてしまうかもしれないけど、リツカのことを忘れるわけじゃない。これまでも、これからだって、それはずっと変わらない」
「……ぼくも、おねえちゃんのことは、ぜったい忘れない」
「でしょ? だから、大丈夫。桜が散っても怖くない」
「うん」

 桜の花は、「別れの花」か。それとも、「出会いの花」か。
 そんなことは、どちらでもいい。
 桜が散っても、それは「さよなら」の意味じゃない。それはいつでも「これから」の合図なのだ。

 (了)

―――

今回、とっても素敵な『ピリカ文庫』にお声掛けいただき、「桜」をテーマにした姉弟の物語が生まれました。

遠くから眺めていた憧れの企画に参加させていただけて、心の中の桜が満開になったよう🌸

ピリカさん、本当にありがとうございます✨

物語が一足先に春の風を届けてくれますように♡

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