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【短編小説】桜の花びらの下には(2)

 狭い部屋の中を舞う小さな花びらは、やがて床に散らばった原稿用紙の上に軽やかに着地する。

 それを見ていると、いくつもの花びらが舞い落ちて静かに積もっていったらいいのに、と私は思う。
 この部屋を薄い桜色で埋め尽くしてくれたら、きっと、この部屋は楽しかった日の思い出で満たされる。そんな気がした。

「あなたもそう思いませんか?」

 私が桜の樹にそう問いかけたその時、突然、強い春風が窓から吹き込んできた。
 それまで穏やかに揺れていた桜の枝は風に流されて大きくしなり、二、三度窓枠に自身を強く打ち付けると、花びらを一斉に飛び散らせる。

 飛び散った花びらは、すごい速度で私の頬を掠(かす)めていき、思わず両目を閉じて顔の前で腕を構えると、花吹雪が素肌に当たる度に指先を紙で切った時のようなぴりっとした痛みを感じる。まるで、紙飛行機が一斉に私めがけて飛んでくるような心地がした。

 しかし、それはたった数秒の出来事で、突如舞い込んだ強風は「びゅおっ」と大きな音を立てて部屋の中を一巡すると、部屋の中をかき混ぜてから外に出て行った。

 辺りが静かになり、恐る恐る目を開けると、床に積まれていたはずの原稿用紙と先ほどその上に着地したばかりの桜の花びらが部屋の空中を舞っている。

 時が止まったように、彼らは中々地上に降りて来ることをせず、この部屋の「本来の姿」を私の目の前に映し出した。

 山のような原稿用紙と桜の花びらの下に埋まっていたのは、美しいコバルトブルーの絨毯だ。

 それは、あの人が憧れていたアドリア海の色。

「来年の夏は、イタリアのマルケ州にあるコーネロ国立公園にあるビーチに行って、眩しいくらいの太陽を浴びながら一緒に美しい海を見よう」
 そう言って、一年前、あの人は約束を守らないまま二度と会えない場所へと旅立ってしまった。

「なぜ……、どうして、こんなことをするんですか? あなたを招き入れたのは、一緒にあの人との楽しかった時間を思い出すためなのに」

 私は桜の樹に向かって恨めしく声を掛けると、風に煽られ暴れていた姿が嘘のようにすっかり大人しくなった桜の細い枝に縋(すが)り付いて、涙を流した。

 見たくなかった。見たくなかったのだ。眩しすぎる、このコバルトブルーを。
 鮮やかすぎるこの色は、あの人と二度と会えないことを、これでもかと思い知らせる。

「私は思い出したくなかったんですよ。あの人と叶えられなかった約束を忘れることもできず、あの人のものを処分することもできず、ただ隠していたかったんです。それなのに、それを私に見せるだなんて、あなたは残酷ですよ……」

 何も言葉を返さない桜の枝を握りしめたまま、蹲(うずくま)って嗚咽を漏らしていると、暫く空中を彷徨(さまよ)っていた原稿用紙と桜の花びらがゆっくりと私の上に舞い降りてきた。

 このまま、この部屋と一緒に再び私を埋めてはくれまいか。
 この古いアパートが、私とあの人と桜の樹の墓場になればどんなにいいか。
 このままずっと何もせず、私が黙って蹲ってさえすれば、それが叶うような気がした。

「……私もそっちへ行ってもいい?」
 柔らかな原稿用紙と桜の花びらに埋もれながら、あの人のために用意した珈琲カップの方に顔を向ける。

 すると、ふと珈琲カップの下に見覚えのない白い封筒が挟まっていることに気が付いた。

 (つづく)


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