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【連載小説】はつこひ 第六話

 飯村さんに「連れて行って」とお願いした場所は、彼の家だ。

 廃線となったバス停で毎日待っている彼が、一体どこからやって来るのか、そして、どんな家族と暮らしているのか、以前からずっと気になっていた。

 いつもどこへ行くにも寺尾がくっついてきて、中々彼自身のことを知ることができなかったけれど、今日は特別だ。
 クリスマスのプレゼントなんていらないから、今だけは彼のことだけを考えていたい。二人だけの時間を大事に過ごしたかった。

「蝶子ちゃん、ここだよ」
 雪の中を十五分ほど歩き続けただろうか。
 クリスマス・イルミネーションに彩られた商店街から細い路地へと入り、突き当たった先にある線路に沿ってそのまま北へと歩いていくと、古い木造建て住居が立ち並ぶ地域があった。
 その中の小さな一軒を彼は指さし、私はその先に「飯村」と書かれた文字の掠れた表札を見つけた。

 飯村さんはここで暮らしているのか──。
 まるで、誰かが忘れてしまった記憶を、そのまま凍らせてしまったような景色。  
 辺りはしんとして、とても静かで寂しい場所だ。

 けれど、クリスマスの賑わいとは無縁のこの場所が、私たちにはぴったりだと思う。
 仲良く手を繋いでいる人間とアンドロイドがいるなんて、きっと誰も気づかない。ここにいる間だけは、誰も私たちを咎められない。
 ようやく私たちは世界で二人きりになれたのだ。
 
「蝶子ちゃん、こっちだよ」
 飯村さんが私の右手をぐんぐん引いて家の方に向かって歩き出す。
 玄関の扉を開けると、「さあ、入って」と迎え入れてくれた。

 家の中は真っ暗で、どうやら飯村さんの家族は留守のようだ。

「暗くて少し怖いわ」
 そうと言うと、彼は指先を光らせて、壁に取り付けられた照明スイッチに触れる。すると、家中の照明が一斉に点灯した。

「わあ……!」

 目の前には、一面に真新しい畳の敷かれた部屋が広がっていた。
 飯村さんの真似をして靴を脱ぎ、鮮やかな若菜色の上を歩いていくと、足裏に適度な弾力と温かみを感じる。部屋の中は干し草のような香りで満たされて、どこか草原にでも出掛けた気分になる。無機質なコンクリートの床しか知らない私にとって、それは初めて感じる心地よさだった。

「飯村さんのお家はとっても素敵ね。畳のお部屋は初めてだけど、とても気持ちがいいわ。ご家族の方がお手入れをされているの?」
 そう聞くと、彼は「ううん」と言って顔を左右に振る。

「畳はお父さんがお店に頼んでくれているから、十年ごとに張り替えに来てくれるんだ。掃除の仕方は、お母さんが教えてくれたんだよ。お母さんの真似をずっとしているから、僕は掃除や片付けが得意なんだ」

 部屋の装飾品はかなり経年しているが、手入れが行き届いて清潔な印象だ。
 書籍が詰め込まれた壁一面を埋める大きな本棚も、背表紙を揃えるように綺麗に並べられ、埃ひとつ見当たらない。
 シャンデリアや大きなソファが置かれていなくとも、機能的で美しく、全てを丁寧に扱って暮らしていることがうかがえた。

「それじゃあ、お掃除は飯村さんが? すごいわ。飯村さんは、えらいわね。メイドさんに任せてばかりの私よりも、よっぽど大人だわ」

「……僕は、オトナ?」
「ええ。飯村さんは、立派な大人よ」
「オトナ」ともう一度だけ呟いて、彼は「キュルル」と主記憶装置メモリーを稼働させた。
 
「ところで、お家の方はいつ頃帰ってくるの? 飯村さんのご家族にも挨拶をしたいわ」
「僕のお母さんとお父さんに会いたいの?」
「ええ。ぜひ会いたいわ」
「わかった。ちょっと待ってて」

 飯村さんはそう言うと、壁のスイッチに再び触れて部屋の灯りを消す。胸の辺りに手を当てると、静かに目を閉じた。
 身体からディスクを入れ替える音がして十秒ほど経過すると、彼はぱっと目を見開き、両目から光の筋を放射する。

 壁に無数の本を並べてできた背表紙の波に、映像が映し出された。


(つづく)

(1,599文字)


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