『茜空に待っているのは君のこと。』(3)
帰り際、少女に名前を尋ねられた。
僕は、名字をなんて言ったら良いのか決めかねて、「章大(あきひろ)。」とだけ答えた。
ここは、自然公園と名前はついていても、森の中も同然だ。
「じゃあね、テラシマ アカリさん。気をつけて帰ってね。」
そう声をかけて、僕は家路を急いだ。
少し駆け足で進んでいると、後方から「ありがとう!」と少女の言葉が聞こえた。
くるりと振り返ると、
「僕こそありがとう。」の気持ちを込めて、少女に向かって一度だけ大きく腕を振った。
夏の間、ずっと迷っていたけれど、
あの少女に会ったことで、僕の心は決まったのだった。
家に帰ると、すぐに祖父宅にいる母に電話をした。
電話口に母が出ると、
「もしもし母さん。僕、母さんの所に行くよ。父さんには、今日話す。」と、伝えた。
母は少しの間黙っていたけれど、
「本当にいいの?」と言うと、「ごめんね。」、「ありがとう。」と細い声で繰り返した。
泣いているようだった。
僕が行くことで、転校や色々な手続きに母の時間を割かせてしまうと思ったけれど、
母の仕事が上手く行くように、助けたいと思った。
それに、突然、父と僕と離れて、きっと茜空(あかね)は泣いている。
今年は初めて、夏休みに一緒に蝉取りしたり、川で遊んだりできなくて、寂しがってるに決まってる。
その日の夜、父に母の元に行くことを話した。
「そうか。ごめんな。」と、父も僕に謝る。
「僕は、父さんも母さんも好きだし、責めてないよ。」と伝えた。
「母さんのこと、助けてあげてくれな。」
父は、家を出る前の母と同じことを言った。
悲しいけれど、優しい顔をしていた。
翌日には、母が僕を迎えに来た。
中学の新学期の出来るだけ早い時期に、新しい学校に転入できるよう、必要なものだけを荷造りした。
この街には短い間しかいなかったけれど、
僕は、夏の最後に会った少女との短い時間の思い出を心にしまって、この街を去った。
(つづく)
つづきは、こちらから。↓↓
この物語は、こちらのお話の番外編です。↓↓
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