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【短編小説】初恋のきみに花束を(2)

 同窓会当日、十時五十四分に品川駅を出発する新大阪行きの東海道新幹線に乗り込んだ。

 幸い天気は快晴で春の陽気が心地よく、薄手のニットにジーンズ、トレンチコートといった装いで出掛けられる身軽さがありがたい。「ひよこ」や「東京バナナ」といったお土産用の銘菓が入っている小さなボストンバッグも、帰りにはもっと軽くなっているはずだ。

 降車駅の米原までは二時間ほど。乗車から一時間ほどが経ち、もうすぐ静岡駅を通過する頃だ。今日の空模様であれば、まだ雪の残る美しい富士山の姿を望めるかもしれないと期待した。

 しかし、景色を見るために窓のブラインドを上げると、柔らかな陽ざしが降り注ぎ、早朝に起きたつけが急に回ってくる。やがて、私は重くなった瞼を閉じた。



「竹石玖蘭(くらん)です。よろしくお願いします」
 梅雨入りしたばかりの六月のある日、転校生がやって来た。

「玖蘭、あそこがお前の席。分からないことがあったら、後ろの席の大津瑠那に聞いてくれ、な」
 担任の貴谷は「わはは」と笑いながら、私に転校生の世話役を押し付ける。

「大津、さん? よろしく」
 席に着こうと近づいてきた彼は思っていたよりも背が高く、薄い茶色の前髪の隙間から覗く瞳の色は少し緑がかって透けてみえた。

「どうも……」
 どこか異国の空気を感じる彼にたじろぐと、すかさず璋が彼の肩に腕を回して、「玖蘭、こいつは瑠那でええよ。俺は璋な。で、こいつが和海。みんな転校生みたいなもんやから、気ぃ使わんでええよ」と一方的に話し続けた。

 私たちの時と全く同じ。璋がゼロ距離で巻き込むと、すぐに彼の表情には笑顔が増えた。

「なんでここに来たんだろう」
 玖蘭が転校してきてひと月が経った頃、ふと気になっていたことを口にすると和海が小声で教えてくれた。

「玖蘭の母さん、女優の石和撫子らしいよ。スキャンダルがあって東京から避難してきたんだって。玖蘭は『隠し子』なんじゃないかって村の人は噂してた。でもまあ、ここに来るのは『訳あり』ってこと多いし別に驚かないけど。瑠那は玖蘭の素性に興味あんの?」

 和海の問いに首を横に振る。興味と言えば興味だが、スキャンダルの真相が知りたいとかそんな気持ちとは違う。

「ただ気になっただけ」
 そう答えると、和海は「ふーん」とだけ返した。

 夏休みに入ると、玖蘭と毎日会うようになっていた。
 夏の日差しから逃げ隠れる場所がたまたま同じ。それだけのことだった。

 クーラーも滅多にないこの村で私と玖蘭が逃げ込んだのは、村に唯一あるコンクリート製の橋の真下だ。橋の下には三メートルほど幅のある川が流れているが、村の子はもっと深さのある川に泳ぎに行くため夏休みでも殆ど人は来ない。私はろくに受験勉強もせず、家を抜け出して、図書室で借りた『花言葉辞典』を眺めながら一日の大半を彼とそこで過ごしていた。

 ある日、いつもより遅れて橋の下に到着すると、玖蘭は分厚い雑誌を真剣に見つめていた。

「何見てるの?」
 後ろから覗き込むと、彼は急いで雑誌をお腹に抱え込む。

「なんでもないよ」
「うそ。ねえ、私にも見せて」
 彼の薄い腹の隙間から雑誌を少しだけ引き抜くと、『時刻表』とタイトルが見えた。

「電車の時刻表? なんで隠すの?」
「なんでもない。ただ見てただけだよ」
 玖蘭の顔を覗き込むと、笑顔を作りながら今にも泣きそうな顔をしている。

「もしかして、ここから逃げようとしてる?」
「……なんで」
「私も考えたことあるから」
 まっすぐに彼の目を見ると、彼は堪えきれなくなった涙をきらきらと零し始めた。

 彼の話によると、噂話は本当で、スキャンダルが元で父親に会わせてもらえないのだという。以前は父親が近くに住んでいて話すこともできたが、いよいよ遠くの村まで連れて来られて電話さえさせてもらない。それが悲しくて仕方がないと、さめざめと泣いた。

「大人なんて、『子どものため』とか言いながら都合のいいように振り回したいだけだ。母親の『愛してる』なんて、最後まで自分を裏切らないようにするためのただの呪いだ」
 彼は珍しく強い言葉を吐き、握りしめる拳から今にも血が流れてしまいそうで、私は彼の手を握る。すると、彼は泣いてますます透き通った瞳を私に向けた。

 その時、私の身体は自然に動いていた。気付いた時には、彼の唇にキスをしていた。

「一緒に逃げよう。理由なんて、これだけでいい」

 
 駆け落ちは、その日の夜に決行することにした。
 各々荷物を纏め、山を下った駅で待ち合わせて夜八時の最終電車に乗る。それが私たちの計画だ。

 夜七時四十分、自転車で三十分かけて駅に到着した。三時間に一本しか来ない電車のホームは誰もおらず、田んぼで歌うカエルの声だけが絶え間なく聴こえる。

「瑠那、何してんの?」
 名前を呼ばれ、恐る恐る振り返ると、弁当包みを持った和海がいた。どうやら駅前の飲食店で働く母親に届けにいく途中のようだ。

「こんな時間に一人でどこ行くの?」
「……」

 暫く黙っていると、和海はポケットから口紅を取り出して私の唇に赤い色を乗せた。

「理由は知らないけど、私は止めない。行きたい時は行けばいいって思う。これで少しは大人に見えるでしょ」
「……ありがと」
 礼を伝えると、和海はふっと笑って去っていった。

 それから十分後、駅のホームに最終電車が滑り込んだ。この駅で降りる人は誰もいない。

 ホームに残されたのは私一人。電車に乗り込むはずだった二人は、行く先を失った。

(つづく)


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