わたしのこと。2

今日は、朝から歩いて30分ぐらいのパン屋さんへ。可愛らしいコッペパンのお店。だけど、カレーパンがおいしいらしい。でも、カレーパン売れ切れててあんことバターを挟んだコッペパンを買った。

パン屋さんの袋をカサカサ言わせながらもくもくと歩いてたら、気持ちよく考えごとができた。

昨日の続きで、今日はわたしを構成している2つ目の「友達」のことについて書き綴る。

友達って、子供や学生の頃と比べると付き合い方や数や必要性が随分と違ったものになってる気がする。31歳にもなると当たり前か。働き出すと友達作るのってものすごく難しくてさ。ご飯に行ったり、しょーもないこと話したりはするけど果たしてこれは友達なのか??って考える事が友達の全然いない環境に放り出されて改めて感じた。リアル友達100人できるかな!の小学1年生。

26年関西で暮らした時は、それなりに友達や親友と呼べる存在もいただけに、こっちきて休日に、その辺散歩するか家にこもってゲームしまくる状態の自分に驚いた。それなりにキラキラした友達に囲まれた学生時代を過ごしただけに、友達いないスキルが最弱やった。

知り合いが1人もいない関東に来て、仕事関係のつながりで友達と呼べる人ができた。でも、私の場合異性の友達ばかりになってしまった。職業柄圧倒的に男性が多い職なのが理由の大半やけど…(現に今の職場に女性は1人。)そして、こっちでできた彼氏には、友達とご飯行くだけやのに異性ばかりで嫉妬に変わり、私もうまく立ち回れずに別れることになるし……よく飲み会で議題に上がる男女の友情は成り立つのかってゆう終わりのない議論を論破する力をわたしは持ち合わせておらず、論破された。「異性とご飯行くことを悪いと思っていないあなたの神経や感覚がどうかしてる。」って言われて凹んだ…。異性の場合は、自分の思考だけで友達って分類分けはできないことを痛感した。

同性の友達がほしい!!って思ったけど、友達の作り方ってなに!?って27歳にしてそんな問題にぶちあたり、ジムに通ったり、飲み屋で女の子としゃべってみたりしたけど無理やった。その場では仲良くなれるけど、どこかよそよそしい雰囲気や、あそぼーってゆう一歩進んだ空気にはならず……私もガンガンいけなかった…対女の子スキルも弱かった…

異性とは正直合コンとか、紹介してよーって言って紹介してもらえたりするけど、同性って友達になりたいから紹介してよーって改めていうものでもないし、なんか恥ずかしいし。笑

そんなこんなでこっちに来て同性の友達は1人しかいない。同期で唯一女の子らしいこと一緒にしてくれてこの職選ぶ辺りやっぱり変人やけど、さっぱりしてて最高に付き合いやすい。相談にも乗ってくれるしな!男どものデリカシーのない発言や行動の愚痴大会は大切な時間です。

まぁ、でもやっぱり今でも友達はほしいと思ってる。5年たつけど女友達は増えへんし…女の子とおしゃべりして、可愛い服来て買い物したい(T-T)

そんな友達のすくない自分は、主に関西にいる1人の親友と何人かの友達によって日々助けてもらいながら働いて生活してる。

そして、私の友達と呼べる存在は、みんな口を揃えて帰るたびに同じことをいう。

「いつ関西帰ってくるん??」

ありがたい一言。いつも涙出るほど嬉しくなっちゃう。31歳にもなって、家庭を持ってる子も夢を追いかけてる子もこんな自分に同じことを言ってくれる。帰ってきても昔と変わらない空気感で学生時代のアホなことした話や変な男にひっかかった話をすると、表情筋つる!!ってぐらい笑う。そんな時間にいると、昔の楽しい思い出って大事なんやなって実感する。楽しかった記憶ってこれからも同じように楽しいことやあの時の楽しい気持ちになれるかもって未来への希望にも変わるねんな。なんかの本や漫画で読んだことあるけど、昔は意味わからんかったことが、今やっと頭がおいついた。そんなかけがえのない時間と爆笑をくれる友達にめちゃくちゃ感謝してるし、やっぱり関西帰りたいー!って強く思わせる存在。

そして、唯一の親友と呼べる1人は、とにかく前世は双子か兄弟かもしくは夫婦やったんちゃうかと思うぐらい生き方や価値観がカチッと合うだけじゃく、とにかく一緒にいても離れてても安心できる存在。失敗しても帰れる場所があるって思える存在で、家族ではなく友達として彼女に会えた事が自分にとっては最大の幸運やと思う。彼女は東京で夢が叶わずボロボロになって帰ってきたと思ったら、ブラジルが気になるからブラジル行ってくるわーって行ってしまい2年間ブラジルで日本語教師して、帰ってきて、それなりに有名なミュージシャンの彼氏を作り、これがまた最悪な野郎でいい曲といい彼氏はイコールちゃうなって分からせてくれた。今は元気いっぱい体操の先生してる。そんな破天荒で一緒にいてて飽きない彼女のなにが凄いって、私の不調や落ち込みを1番にかぎつけ救ってくれるところ。言わなくてもなんでわかるかは2人で話し合っても分からんってことになった。

ラジオで言ってたけど、自分の大切な人に何かあったり亡くなったりすると、その大切な人で構成されてる自分の細胞にも異変が起きて身体がざわざわするんやって。それを昔の言い伝えでよく言われてる「虫の知らせ」って言うらしい。つまり、そうゆうレベルでお互いが繋がってる存在なのかな、と。

彼女の大丈夫に何度救われたか数えられへんなー。八方塞がりの自分に必ず道をくれる。頑張らない事が怖くて、頑張らなきゃってなってた自分に一緒にゴロゴロしてお菓子食べて漫画読んで、おしゃべりしてくれた。休むって大事やねん。頑張る力って休憩して息吐かな次力一杯頑張られへんねん。それに気づかせてくれて、一緒にしてくれるねん。愛おしいよね。大好きやー!!あー。こんな文章書いてたらすぐ帰って彼女に抱きついてチューしたくなっちゃうわー。もう彼女との話しはありすぎて終われなくなるなるからここでしめとく!!

なんせ、友達のことで言えることはみんな私の帰りを待ってる事やねん。みんなが喜んでくれる。私が苦しくて帰ってきても、きっと私の苦しいを飛び越えて喜んでくれる事が目に見えるから大好きやねん!!

大人になればなる程今いる友達ってどんどんどんどん大事になっていってる。生きている理由にもなり得る。彼氏とは全然違う存在。(おらんから、私を構成してるものには入ってへんけど。笑)

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