見出し画像

「三原山事件」をモチーフにした恋愛ミステリ『五月の死神』

前話:ある少女の「口語和歌」――『少女の友』があった時代 / 次話:わたしのもう一つの昭和初期少女の物語——『フレイグラント・オーキッズ!~香蘭の乙女たち~』

「NOVEL DAYS」というサイトにて、11月23日から毎日更新してまいりました連載小説『五月の死神』、本日(12月3日)の更新分〝第21話〟及び〝エピローグ〟で完結しました。

久しぶりの長めの小説(総文字数約44,600字)ということで、公開前はかなり不安もあったのですが、思いがけずたくさんの方に読んでいただき、正に望外の喜びです。

心より感謝申し上げます!

この作品の背景となった昭和初期は、今から90年ほど前になりますが、出口の見えない経済不況閉塞的な空気の中で、多くの人が「生きづらさ」を感じていた時代でした。「古き良き時代」どころか、若者の自殺が「ブーム」と称されるほど暗い世相だったのです。当時について調べれば調べるほど、「現代」と地続きのような気がしてなりません。

いつの世も、社会的な問題や矛盾は、真っ先に弱者に襲いかかります。中でも、当時様々な制約に縛られていた少女たちにとっては極めて苛酷な時代であり、その一つの象徴が「三原山事件」だったと私は考えています。

「三原山事件」について、「事実」と言えるのは、昭和八年二月十二日の朝、二人の女学生が三原山に登り、一人が噴火口に飛び込み、一人が戻ってきたということだけです。それにもかかわらず、プライバシーに対する配慮の乏しい時代だったこともあり、マスコミは一種の猟奇事件としてセンセーショナルに報道しました。事件の後で、生き残った少女を「変態」だと罵った「教育者」もいました。切実な問題を抱えていたに違いない少女たちは、そのようにして「消費」されたのです。

私の『五月の死神』は、「三原山事件」をモチーフにしておりますが、内容は純然たるフィクションです。ただ、小説(フィクション)の中にこそ描ける「真実」があるのではないかと、身の程知らずは百も承知ながら、心のどこかでひそかに、そして切実に考えてもいるのです。

もしご興味のある方がいらっしゃいましたら、ぜひご一読くださいませ。

リンクはこちらです。↓↓



前話:ある少女の「口語和歌」――『少女の友』があった時代 / 次話:わたしのもう一つの昭和初期少女の物語——『フレイグラント・オーキッズ!~香蘭の乙女たち~』