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夢の中にしかいない

不意にここの存在を思い出したので、今日は私がよくみる不思議な夢の話します。


三十年ちょっと生きてきて、今までお付き合いした人は一人。
正直にいうと、恋愛として好きだったのかどうかはわからない。友達としては好きだったから相手に好きだと言われてその気になっていただけなのかもしれないと、時々あの頃を振り返っては思う。

今は、というより今までずっと、結婚願望も子供が欲しい気持ちもない。
恋人よりも人生を楽しく一緒に生きてくれる友人が男女問わず欲しい。

こんな私だが、この気持ち恋かも?と思うことは過去に片手の指の数くらい何度かあった。

でもそういう時に決まってみる夢がある。
人生の半分くらいの期間で見続けている夢だ。


夢の中で私はとても好きな人がいる。
その人は男か女かどのくらいの年齢か全くわからないどころか姿もよく見えない。曖昧な姿は、白い髪の時もあれば黒い髪のときもあり、身長も高い時と低い時と両方ある。
でもおんなじ人なのが何故か分かる。
私に触れる手のひらが優しくてその人が私のことを想ってくれてるのが伝わってくる。
その手の感覚も夢のくせに妙に生々しい手応えがあって、一歩夢の内容を間違えればとっておきの悪夢になり得るのではないだろうかと思う。というかそういう悪夢をみた憶えもある。

夢は大体、「この気持ち恋かも?」と感じていたその時々の人物やお付き合いをしていた人に私はお別れを告げて、夢の中にしかいない曖昧な姿の大好きな人と旅に出る、という内容だ。シンプルだがシチュエーションが色々違って、ある時は山間を行くバス、ある時は見えないものに担がれているのか空に浮かぶ神輿に乗せられてアスファルトの道路を行く、という訳のわからない時もある。アスファルトの道路は上を高速道路が走っており、どうやら慣れ親しんだ20号線と首都高の重なる区間のようらしかった。

この夢を見ると起きた時にすごくがっかりする。
私の夢に出てくる大好きな人は現実にはどこにもいない。あの夢で感じた大好きな人への気持ちに比べたら、現実の「恋かも?」の気持ちなんかとてもちっぽけで全然恋じゃないように思う。朝から疲れたという感情ばかりが残る。

そうして、私はまるで恋という感情がわからなくなってしまった。


でも、最近はこう考えている。
私の夢の中の大好きな人は、この世のどこかに実際にいて、私達はまだ出会ってないだけなのではないか。
そんなどこかで読んだようなありきたりな恋物語を思い描いている。


私が心の底から恋ができないのは、きっと夢の中のあの人に現実で巡り会えていないからなのだ、と言い訳のようにしているが、別段恋に興味がある訳でもなく、当然恋人がいなければ生きていけない訳でもなく、恋ができないならそれでもいいじゃないか、それも多様性だよと構えているくせに、私は一体誰に言い訳をしているのだろう?

夢の中のあの人に、だろうか。

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