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病気の犬と最後の日々をすごすゲーム「renal summer」との一週間

静けさの中に、インディーズゲームのとがった作家性がある。
病気の犬の腎臓になるゲーム「renal summer」レビューです。

ゲームは実時間とリンクしていて、昼間に起動すれば、老人は牛や馬と仕事をしている。夜だとコーヒーを飲み、夢を見る。足元にはいつも犬がいる。

死ぬ間際にいっしょにいるということは、元気だったころもずっとそうだったことを意味している。

プレイヤーは画面下のブロック状の血液をタップして、不純物を取り除いてやろう。
忘れずにこれをやることで、犬の寿命をすこしだけ引き延ばせる。

テトリスでもぷよぷよでも、「ブロックを消す」と、気持ちがいい。
それを病気の犬の看取りという、ぜったいに気持ちよくないものと同時にさせる。

消しても消しても終わらない、クリアのないゲームと、完治することのない病の看病が似たものに見えてくる。

「こんなことしかしてやれないけど・・・」と、実生活の合い間にブロックを消す。治るものではないので、本当に気休めに犬の体をなでてやってる感じになるのだ。

硬いタッチパネルの感触が、やわらかい犬の腹をなでてやっている感触になる。

犬はだんだん衰えてくるので、最後の方は「かかりっきり」になる。
「こんなことしかしてやれないけど」が繰り返される。
だんだん「こんなこと」を要求する間隔が短くなり、実生活を浸食してくる。

renal summerの作者「ところにょり」さんは犬好きだそうだ。
犬を愛するゲーム作者が、棒をキャッチするとか、飼い主を探すゲームじゃなくて、一番つらい部分をピックアップする。稀有なセンスだと思う。それを見ながら、適度に余裕のある作業をポチポチとやっているうち、自分に似た経験がある人は、その日々を思い出す。

実時間の一週間を終えると、一般的なゲームでいう「クリア」。線香をあげて故人を思い返すような、儀式のようなゲーム体験だった。(ゲームに付き合っていた期間は、ちょうどお盆の期間に重なった)

読んでくれてありがとうございます。 これを書いている2020年6月13日の南光裕からお礼を言います。