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「三体ゼロ」を読み終わる。謎の気球が飛ぶ。

中国のSF小説「三体」シリーズ、これで全部読み終わった。
「三体」三部作以前に書かれた前日譚になる話で、テーマは謎の自然現象「球電」。

実際に目撃証言のあるもので、電気を帯びたシャボン玉のようなものがす~っと浮遊して消えるのだとか。
少年のころに出会った球電にとりつかれた男が、自然や電気を勉強していたら、情熱は出会いを呼び、武器にとりつかれた女性やら旧ソ連の技術者らと出会い、球電を武器に転用しようという話になる。

「三体」本編ほどページを次に次にめくらせるパワーはないけど、ひとつ夢中になる対象があればそれだけで人生が変わる、青春もののような魅力がある。メカニズムを解明して球電を捕まえる実験とか、人を傷つけたくない主人公がいつの間にか多数の生死にかかわるようになる怖さ、軍事兵器というと生活と遠いものに思えるけど、身近にあるものが最初は軍事目的で開発されていたり、「生活」と「戦争」の近さの話がたびたび出てくる。

たくさんの制約の中で、周囲の軍人からオモチャ扱いされながら球電を放つ場面、なぜか応援したくなる。
アメリカの戦闘機に撃墜されたという謎の気球を見たときに、オモチャのようで恐るべき殺傷能力を秘めた球電を連想し、不気味さもさることながらあの気球にどんな思惑があり、どんな人たちの考えで飛んでいたのか知りたくなった。

同じ作者の短編集「円」は、古代中国で円周率をずっと計算したら不老不死の謎が明らかになる話。
膨大な数の兵士を用意して陣形を組んで、兵士たちによる人力コンピューターを作る場面がすごすぎて、なぜ円周率の奥の桁の数字が不老不死の謎につながるのか、最終的にどんな結末だったか全く覚えてない。

誰にも想像できないような場面の印象のすごさと、人間ドラマのあまりにざっくりした書き方の落差も味。市民が死ぬときは「もうちょい慈悲はないんか!」ってぐらい一気に死ぬ。
止まらない想像力で3次元に行ったり何百光年も先からお客さんが来たり、本に収まらないほど世界のおもしろさを描くのに、すぐそばに果てのない絶望を配置する。
小説って細かく事実と照らし合わせて書くんじゃなくて、こんなにあり得ないようなことを書いてもいいんだ!って自由になれる気がして、どんな絶望的な終わり方でも、本を閉じたら少し元気になる。足元よりも空を見上げる回数がふえる。

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読んでくれてありがとうございます。 これを書いている2020年6月13日の南光裕からお礼を言います。