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馳星周「少年と犬」ジョン・ロンドン「野生の呼び声」 新旧犬小説を続けて読むと2倍おもしろかった!

馳星周さんは、おもに人間の裏社会の小説で有名なかた。ゲーム好きには「龍が如く」の1作目の監修をして、シリーズを成功に導いた人でもある。「少年と犬」は、震災後の日本で飼い主を探して転々とする犬の話。

「野生の呼び声」はジョン・ロンドンの体験をもとにした動物小説で、過酷な北の大地で犬ぞりをひく犬のはなし。

厳しい生活に震災が追い打ちをかけて、仕方なく犯罪に手をそめて生きる人が悲しい。ゴールドラッシュに目がくらんだ人に、当然のようにムチで打たれる犬も悲しい。
連続で読むと、100年の時間差があるのに、犬たちは同じ群れで過酷な道程をすすんでいるように錯覚する。

特に、犬ぞりは何頭も力をあわせてやっとひとつのソリをひくから、愛情のない飼い主にあたってもひたすらムチで打たれながら進むしかない。
テントや食料を背負う描写で、なんとなく最近のアウトドアグッズの進化を知ってるから、この当時のテントって重いだろうなあ、と想像できる。

食料が尽きてきた犬の毛づやがなくなり、肉球が痩せて大地から寒さが伝わる描写が痛々しい。

「少年と犬」はさすがに一頭の犬が主人公なので、序盤で急に死んだりしないことはわかって読む。だけど複数の犬と厳しい自然描写がたちふさがるだけで、
「ああ、この中で何頭かは死ぬ」
と、読み始めたときに感覚でわかる。

わずかな金を採掘するためにムチ打たれ、それでも雪の中を進んでいく。痩せている犬を、本当に健康な状態をしらない飼い主が、甘やかしているからいけないのだ、とさらに打撃を加える。
そんななのに、犬は生まれてきたことを後悔しない。ただ飼い主と進むことで、犬の本能は満たされていく。
犬という生き物の「余計なもののなさ」が美しい。


どちらの作品も、犬に超能力のようなものが宿っている。

「少年」の犬は、コンパスのようにずっと同じ方向を向いて、関わったみんなが、こいつはどこかへ行きたいんだ、とわかる。
「野生」の犬は、ときおり大昔の記憶のようなものを見る。今の飼い主よりも何世代も昔からの、種の記憶のようなものがよみがえる。

どちらも、飼い主となる人から人へと渡り、最後の最後で終着点が変わるのがおもしろい。
結末は、「人とともに生きるか、自然に戻るか」。
それぞれ、作者の考える「理想の犬の姿」が反映されたみたいだ。100年前の犬と、現代の犬。途中までいっしょに旅をしていたのに、最後にそれぞれの道を選ぶ。

犬の話だけど、犬がペンをくわえて小説を書いたりしない。飼ってた人間がペンをくわえて書いている。
作者はイヌのどういうところが好きなのか。
どんな仕草を見ていて、そしてどんなところが美しいととらえているのか。
1冊読むと犬が見えるのに、2冊読むと人が見えてくる。

読んでくれてありがとうございます。 これを書いている2020年6月13日の南光裕からお礼を言います。