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神戸より


第一章 月詠邸へ

わたしのおばあちゃんは、海の見える高台のお墓の中にいる。そのお墓は、関空からポートアイランドまで一望できる、芦屋の山の中腹にある。子どもの頃から家族で、度々訪れていて、その風景を見るのが大好きだった。

中学生ぐらいまで、おばあちゃんとは一緒に暮らして、よく髪の毛をとかしてくれたり、わたしの長い髪を編んでくれた。ママと喧嘩して逃げ込むのも、いつもおばあちゃんの部屋だった。そんな大切な人が休んでいるところ、それがこの高台のお墓だった。

おばあちゃんは、ある雪が沢山降った日に、突然亡くなった。前日、パパにうつされたインフルエンザで寝込んでるママに変わって、何年ぶりかに台所にたって家族のためにご飯を作ってくれた。翌日、たぶんママのインフルエンザが今度はおばあちゃんにうつって、熱をだして寝込んでしまったのだった。

突然足腰の立たなくなったおばあちゃんの姿をみて、ママはこれから介護が始まることを覚悟したのだと思う。ママとふたりでポータブルトイレを買いに行ったとき、ママがすこし肩を落としてることが気になったのを覚えている。

ママにとって義母であるおばあちゃんは、一生懸命、嫁いできたよき嫁であるように努力した相手であり、緊張感のある関係だったのかもしれない。わたしにとっては、そんなことをわからず、やさしいおばあちゃんだった。

神戸の街が一望できる、このお墓にくると、いつもやさしかったおばあちゃんを思い出す。眼下にひろがる神戸の街は、実はあんまりいったことがない。住んでる宝塚から、神戸の手間の芦屋についたたら、豪邸街を抜けて市民霊園にくるのがいつもの道のりだった。長女だったわたしは、弟たちの手を引きながら、急な坂をのぼってお墓にいった。

そんな神戸一歩手前の芦屋への小旅行は、いつも家族と一緒だった。でも大人になって、東京にひっこしてからは、しばらくしてパパもお墓にはいってしまい、ママが軽費老人ホームにはいってからは、たまに足腰の弱いママを連れてくる以外は、ひとりでお墓に来ることが多くなった。

ひとりで見る大阪湾は、家族といっしょに見た風景とすこし違ってもみえる。子どもの頃より、高いマンションが増えて、新しい高速道路の高架橋がみえる。すこし凸凹した街を見ながら、昔とかわらない場所をさがすのがスキだ。パパが子どもの頃は、いまは埋め立てられたところで、潮干狩りをしたり、海水浴ができたらしい。

15時をすぎて、少し風が冷たくなってきたから、家路につくことにした。出張のついでで来た今回のお墓参りは、少し弾丸だったけど、一緒に関西にきて別行動をしてる彼氏(じつは上司でもあるけど)と新神戸の駅で待ち合わせしてる。

お墓のあるブロックからでて、急な坂をいちおう歩きやすそうだと思って選んだ、低めのヒールパンプスで注意しながらおりて、下の道にでた。登りのときは大丈夫と思った坂も、やっぱりスニーカーでくればよかったなと少し後悔する。霊園の各ブロックをつないでる車用の道をたどって、入口にでて、そこでTaxiGOをつかって、新神戸までのタクシーを呼び出す。しばらくしてアプリの地図画面にタクシーが表示され、あと5分ぐらいで霊園の入口に到着する旨をつたえた。

いつもお墓にいくときはタクシーを使う。阪急芦屋川からタクシーで霊園の中の展望台までいってもらい、そこから道なき道をあるいてお墓につく。普段はその展望台でタクシーに待ってもらい、簡単にお参りしてから帰る事が多いのだけど、今日はなんとなくお墓からの風景をゆっくりみたくってタクシーには帰ってもらったのだった。

のぞみは、ゆっくり東京駅についた。奥さんにばれないように、彼とはここで軽いキスをして分かれた。中央線に乗り換えて新宿にでて、小田急線で町田駅までロマンスカーで帰る。わたしはこのロマンスカーが大好きだ。だってロマンスだもん。もともと箱根に新婚旅行にでかけるための電車としてつくられたんじゃなかったけ。展望席を確保するのは至難のわざだし、ビジネス用の列車も嫌いじゃない。小田急線沿線に住む理由は、線路沿いを散歩してるときに、ロマンスカーを見たら、その日は1日良いことがあるって信じてるから。

わたしが暮らすシェアハウス「月詠邸」は、町田駅ひとつもどった玉川学園駅から徒歩8分ぐらいいったところにある。町田駅といっても、小田急町田駅と、JR横浜線町田駅があるんだけど、ロマンスカーが着くのは小田急町田駅。JRの駅からだ少し歩いて乗り換えることになる。

町田駅前は、地元密着の小さな店から、ハンズやルミネ、マルイ、小田急百貨店といった大型店舗の両方がそろっててとても便利。だれかがリトル渋谷っていってたけど、街をあるく高校生の姿をみると頷ける。だいたい渋谷で遊んでる子たちは、町田あたりの郊外から電車のって渋谷に来てる可能性があるのだから、当然といえば当然かもしれない。たぶん西麻布あたりに住んでる高校生は渋谷では遊ばないんだとおもう。

そんなリトル渋谷もよるになると雰囲気がかわる。道にはガールズバーの女の子や客引きがならび、ちょっと怖い。だれかが町田はリトル歌舞伎町でもあるっていってたけど、夜の姿をみると分かる気がする。幸い歌舞伎町とちがって、ホストの客引きはいないので、女の子のわたしは何か被害があるわけじゃないけど、シェアメイトの男の子いわく、よるあの通りを歩くと声をかけられたあげく、手を引っ張られて連れて行かれそうになるのでになるのでめちゃくちゃ怖いっていってた。昼と夜の顔が違うのが町田っぽいのかもしれない。」

そんな町田駅前をうってかわって、一駅、新宿側にもどったところにある玉川学園駅はとても静かで、落ち着いてる、名前のとおり玉川学園というこじんまりした大学があるのだけど、生徒もそんなに騒がしくなく落ち着いたすこし、お上品な子が多く通う学校で、駅前も学生街にありがちな大盛りご飯をたべさせるようなお店がならぶ、ばんからな感じではなく、少し落ち着いた店が多いのは、学校の校風から来てるのかもしれない。

駅について、キャリングケースを引きながらしばらく歩いたら、シェアハウスについた。途中、コンビニによって、今晩の分のノンアルコールビールとつまみを買った。お酒が弱い割に、呑み会とか晩酌とか雰囲気だけが好きなタイプ。今日のチョイスは吞んだら体脂肪も減るって言うお得なビールと、ミミガーの組み合わせ。完全のみためはおじさん。わたしなかみはそうだから。

たぶんお家には、俊子さんしかいない。今日は平日だから、ほかのシェアメイトは学校や仕事にいってるはず。わたしは旅行にいってもお土産を買って帰らないタイプなんだけど、俊子さんには必ず買っていく。べつに俊子さんが大家さんだったり、管理人ではないのだけど、なんとなく、わたしからすると大先輩のお姉様である俊子さんにはよろこんでほしい気持ちがあるから。

俊子さんは、月詠邸がシェアハウスとしてリノベされたときから住んでると聞く。もう10年を超えてるのじゃないかなとおもう。わたしはまだ暮らし初めて1年ちょっとだけど、その間にいろんな住民がこのシェアハウスで暮らし、卒業して言ったんだと思う。

「あら、お帰り。疲れたでしょ。よくヒールで旅してきたわね。」

俊子さんが、家路についたわたしを労ってくれる。

「ただいま、俊子さん。神戸にいってきたんですよ。ヒールだと坂のぼるの大変でした。あ、たいしたものじゃないけど、お土産ありますよ。」

俊子さんは、にっこりしながらお土産をうけとった。

「神戸のゴーフルね。わたしこれ大好きなの。あとで紅茶でもいれて、みんなが帰ってきた頃にお茶にしましょうか。」

ショートのグレイヘアーで、黒いハイネックのリブセーターと細身の黒いパンツの俊子さんは、とても84歳には見えない。いつもこのカッコに真っ赤なコートででかける俊子さんはわたしが目指す姿だ。

俊子さんがシェアハウスに最初からいるには理由がある。まったく姿を見せないシェアハウスのオーナーさんと俊子さんは古い友達で、俊子さんのパートナーが亡くなって、広い家を引き払ったとき、友達のすすめでここに住んだらしい。その時二人ではなしあってここをシェアハウスにした。そして月詠邸という名前をつけたみたい。

月詠邸って言う名前は、大きな庭とベランダから、お月見ができることから名付けられた。1階リビングには縁側があり、その縁側の外に大きな庭がある。お月見のときはシェメイトみんなでその縁側に座り、お団子をそなえて静かにお月見をする。その時に心のなかで浮かんだ言葉を、みんなで話合う、ほんとは俳句や和歌として詠めればかっこいいのだけど、普段やってないから季語とかわかんないし、そこは自由詩でよいということになってる。ここで暮らす密かな楽しみのひとつだ。

しばらく俊子さんとお話してたら、夕飯の材料を買ってくるわねといって、お出かけになられた。今日は佐枝ちゃんが帰ってきたから、ひさしぶりにみんなでご飯にしない? だからちょっと多めに買ってくるわねっていって出かけていった。

俊子さんの得意な料理はクリームシチューだ。骨付きの鶏肉と一緒に煮込んだ濃厚なシチューは、少し肌寒くなってきたこの季節のお腹を満たしてくれる。ひとり暮らしだと沢山出来て余ってしまうし、ぽつねんとひとりでご飯を食べないといけないけど、シェアハウスぐらしだと、なんとなくみんながリビングあつまってきて、それぞれのご飯を食べたり、たまにみんなでご飯をつくって食べたりしながらお話できる。ただいま、おかえりから始まるご飯なんて、まるで家族みたいだって思う。

月詠邸は、7LDKという大きな一戸建てだ。一説によると2世帯住居として建てられたらしい。でも、水周りは1つしかなく、洗濯機だけがシェハウス用として2台置かれてる以外は、全くふつうの戸建て。

4畳半か大きくて6畳しかないシェアハウスが多いなか、小さくても8畳、大きな部屋は15畳もある。その大きな部屋は、女性が2人でルームメイトとして暮らしてる。シェアハウスのなかのルームメイトって不思議だけど、部屋が広いからもったいないものね。家賃も半分こできるし。わたしの部屋は大きな庭がみわたせる東側の8畳の部屋。この部屋からはベランダにでれるので、満月の夜はベランダにでて、月を見るんだ。

その他のシェメイトは演劇やってる男の子と、大学生の男の子の2人。ふたりとも忙しくってなかなかリビングで会うタイミングが少ないんだけど、その分、たまに合うといろいろ情報交換する。とくに大学生の男の子とは、ポケモン仲間なので、あってないけどよくオンライン対戦で遊んでる。いまどきリアルだけじゃなくってバーチャルでも連絡とれるからいいよね。

そう、バーチャルというかネットというか、月詠邸にはちょっとした仕掛けがある。ネット上に住んでるメンバーや、昔暮らしてた人たち、たまに大きなリビングでイベントやったりするときに遊びに来てくれる近所の人や、友達たちが交流できる場がある。だから仕事中でも誰が今日早くかえるか、遅くなるかなんとなくわかるのがいい。そこで今日ご飯一緒にどうなんてことを情報交換してる。

さらに、そのネットの交流場には簡単な投票機能がついてて、たとえば洗濯機が壊れたんだけど、新しい洗濯機はどれにするみたいなことが、みんなの投票で決められる。オーナーさんは、決まったことが予算内なら、お金を出してくれるだけで、基本的に月詠邸の運営は自主的に任されてる。そこも普通のシェアハウスとはちょっと違うところ。

俊子さんは昔タイピストだったこともあり、年齢のわりにパソコンやスマホの操作が得意。ちょとだけ教えてあげれば、すぐに覚える。わたしが仕事がら、MacBookとiPhoneを使ってるから、俊子さんにもApple StoreでiPadとiPhone SEを一緒に買いに行ってあげて、設定を手伝ってあげた。だから教えるのも簡単だし、俊子さんもすぐになれたみたい。そうやってバーチャルな世界な月詠邸と、リアルな月詠邸がシンクロしてることで、住んでる人の人数以上にコミュニティがひろがってるのが、ここの魅力だと思う。

月詠邸の部屋には、それぞれ星座の名前がついてる。俊子さんの部屋は双子座で、わたしの部屋は乙女座、2人暮らししてる女の人の部屋は水瓶座、演劇やってる男の子は天秤座、大学生の男の子は射手座だ。

俊子さんがクリームシチューを作ってる横で、自分がお土産でかってきたゴーフルを食べてるうちに、車の音が聞こえてきて、駐車場にバックで、赤いボルボ240が入ってきた。後のドアが下のほうが少し絞ってある240は、ボルボ好きにはすごく人気のオールドボルボだ。これは水瓶座に暮らす、真希さんの車だ。

真希さんは、詳しくはないけど、どこかの団体職員だっていってた。普段リモートワークがおおく、よくリビングで仕事してるので、わたしもリモートワークの時はおしゃべりしたりお茶しながらすごしてる。外に仕事に出かけるのは珍しい。それも平日車で出かけるのはとても珍しい。

「真希さん おかえりなさい! 今日は俊子さんのシチューだって!」

わたしが、元気よく声をかける。

「あらほんと? それは疲れてたからご飯つくらなくてよくって嬉しいわ」

スレンダーな足にロングブーツをはいた真希さんは、器用にブーツを脱ぎながら玄関からリビングに入ってきた。真希さんも、いっつもお綺麗でわたしの憧れ。

「今日は、結婚式だったの。それの裏方。もう疲れちゃって…」

「裏方? お祝いするほうじゃなくって?」とわたし

「ううん。参加する人を誘導したり、何でこんな結婚式をするのか展示物をはったりとかそういうの」と俊子さんが答える

「結婚式するのに説明とか意味とかあるの?」

「うーんとね、同性カップルだったの。今日はゲイのカップル」

「へー、そういうのあるんだ。たしかにそれだとその意味とか知ってもらわないとね」

「まだ、法律婚はできないから、パートナーシップまでなんだけど、式はちゃんとやろうっていってね」

「うーん なんでできないんだろうね法律婚、おかしいよね」

「あたま固いおじさん、おばさんがまだ政治の世界にいるからね−」

真希さんは、あきれた顔というか、疲れた顔で吐き捨てるように言った。

「今日は、何人ぐらいご飯に間に合うのかしら、取り置き分も作ってはいるけど」エプロン姿の俊子さんがすこし心配そうにいう。外も寒くなってきて、心が冷えそうな日はできるだけ集まって食べたたいものだ

「悠くんからは、LINEで間に合うように帰るって連絡あったから、もう向かってるんじゃないかな。圭くんはあいかわらず連絡なし。たぶん今日もお芝居の練習で遅くなるんじゃないかな。でも取り置きは食べそうだけど。」

リビングからわたしは、きっちんにいる俊子さんに大きな声でつたえた。ちゃんと席をたって伝えれば良いのにいい加減なわたし。

ちなみに大学生の悠君はめちゃめちゃかわいい。一見女の子にみまちがえるぐらい、きゃしゃで背が男の子にしては低く、本人はそれをすごく気にしてる。高校のときバスケにはいって背がのびないか頑張ったらしいけど、全然だめだったっていってた。ふんわりとした雰囲気で顔つきも女の子っぽく、声も男の子しては高いので、あれで胸があったら絶対女の子と間違えられるとおもう。

圭くんは、もう一歩でガリガリくんって言いたくなるほど細くて長身長、マッシュルームっぽい髪型で前髪を気にしてる。「ボクなんて所詮前髪なんでもてないんですよ」っていいのが口癖なんだけど、なんで前髪だからもてないのかがよく分からない。昼は、ちかくのコンビニでアルバイトして、夜、劇団の練習をしてるって聞いてた。

しばらくして、悠くんが帰ってきた。ただいまの声だけは元気がいい。今日はなんの授業だったのって聞いたら、フェミニズムとかジェンダーとかの授業だったって言ってた。理系でもそんな授業あるんだねって言ったら、特別授業だから学科関係なしに受けないといけなくって、大講堂満室だったよって言ってた。イマドキの大学も大変そう。

みんな、部屋着に着替えたい人は着替えて、ちゃんと手を石けんであらって、キッチンの定位置についた。圭一くんと弓子さんだけが遅れてくる感じかも、たぶん弓子さんはもう少しで帰ってきそう、圭一君はおそくなりそうだから、おとりおきだ。そろったところで、みんなで「頂きます」をいってご飯をため始めた。

会社について、ドリンクブースでエスプレッソをダブルでれて、席についた。朝はソイジョイ一本しか食べてないからお腹がすく。俊子さんに昨日ののこったシチューを食べて行きなさいっていわれたのだけど、もう遅刻寸前だったから急いで出かけた。いくらフレックスタイムとはいえ、1番遅い11時に間に合わないのはまずい。

昨日は、結局シチューをあけたあと、あとから帰ってきた弓子さんが、帰りによってかってきた美味しいチーズと、まえからキンキンにきひやしてあったカヴァや白ワインやリモンチェロをのみんなでしこたま吞んでかたりあった。ホワイトチョコレートも白ワインにすごくあった。遅くに遅れて圭くんもかえってきて、ひさしぶりにシェアメイト全員が揃った。

真希さんはよっぱらって、なんで同性婚出来ないのよってグチグチいってた、弓子さんがまぁまぁとなだめるすがたがはまるでカップルか夫婦のようだった。聞くところによると、真希さんは、フェミニズムとLGBTQ+を研究する団体の職員らしく、そういうイベントのによく出るらしい。大学時代にフェミニズムの授業をうけて、そっちの方向にいきたくなって勉強しているうちに、フェミニズムとLGBTQ+は地続きだってことに気がついたんだそうだ。なんでもいまどきはLGBTQ+っていわず、SOGIESCっていうんだよって教えてもらった。その意味はまだよく分かってない。

弓子さんとは、中学校時代からの友達で、ずっと親友でなかよく、高校まで一緒だったんだけど、真希さんは大学で学びたいことがあり、弓子さんは保母さんになりたかったので、そこでいったんお別れしたのだけど、同窓会でばったりあって、どっちも1人暮らし先を探してるってことで意気投合して、このシェアハウスにはいったそうだ。

ゴホン。実はそんな人の紹介をしてる状態では、実は自分はなく、もうグダグダの二日酔い状態。とりあえず苦いエスプレッソを胃にみたして、コンビニでかったソルマックをグビッとと吞む。そしてとりあえずのメールチェック。こう言う日にかぎって、普段より返信しないといけないメールが多い。

重要なメールにフラグをつけつつ、急ぎのものっぽいものは短文で「了解です」とか「かしこまりました」と返信していく、意見もとめてるっぽいものは後回し。うえからつぶしていくとなかに彼氏(というか上司)からのメール。「今晩どう?」って内容。「ごめん、二日酔い、今日は無理」とだけ、なげやりに返信した。冷たいわたし。たまにはこういう冷たさが相手を燃え上がらせるものなのよとか勝手に思ってみる。

彼とは実は職場でこう言う関係になったわけじゃない。とあるマッチングアプリで条件いれて検索してたら、何となく気になる上司に似た人がいたので、友達申請してみた。上司は嫌いじゃなかったし、あこがれではあったのだけど、奥さんも子どももいるので、ある意味向こうから対象外だった。なので上司似のこの人はわるくないかもっておもって申請したのだった。

何回かやりとりして、夕ご飯を食べることになった。当日、おめかしして待ち合わせ場所になってるカフェレストランについて待ってたら、そこに来たのは上司だった。

最初、そっくりさんかと思ったけど、向こうも驚いてるのを見てパニックになった。しかしお店のひとが彼に着席を促し、メニューを置いて選ぶようにさとしたときに、もう二人とも逃げれないことを察知した。とりあえず、どうもと挨拶をして、お互いにどうしてここに居るのかを確認した。結局、お互い諦めて、最近の職場の話や、抱えてる仕事のはなしをした。

わたしは仕事でなかななか上司に言えなかったこととか、たまってたことが、こういうシュチュエーションだったせいか、この時とばかし吐き出してしまった。それは頼んだカヴァのアルコールのたすけもあったのかもしれない。気がついたら自分ばかりべらべらとしゃべってしまったような気がする。そして何本目かのワインのボトルが空いて、そこから記憶がなくなり、気がついたら、どっかのラグジュアリーホテルのベッドの中で目覚めた。となりには裸の上司がいた。

そして私たちの秘めた関係がはじまった。事実上もなにも、そのまま浮気だ。でも上司は本気だって言ってる。とはいえ、子ども小さいので分かれることなんてできるわけなく、ずっと側室決定だ。ま、それでもいい。以外とだれかの本妻でいるより自由で気楽かもしれないと思った。職場でも奥さんにもバレないように関係を続けるその緊張感がまた燃え上がらせる原因になるような気がした。

あ、また脱線してしまった。仕事だ。メールの事務的返信を終えてから、今日は最低限の仕事をする。わたしなんで二日酔いだったんだっけ。そうだ、シェアメイトと久しぶりの夕食だったので、またがっつりカヴァをのんじゃったんだ。わたしはカヴァだと何杯でもいける。普通ならガス入りだからお腹パンパンになるはずなのに、たぶんわたしは得意体質。そして大体気持ちよくなって記憶がなくなるパターン。いい加減学習しなきゃ。

第二章 ダブルウエディング

今日は、私と真希さんが、ダイニングでふたりそろってリモートワーク。お茶しながら、それぞれの仕事をしてる。真希さんはZOOMかなんかでオンラインミーティングをしてるのだけどヘッドセットをしてるから、真希さんの話す声は聞こえるけど、相手が何を話してるかはさっぱり分からない。

「だから、そういうジェンダー決めつけはよくないんだって。性自認と性的指向は別のものだって言ってるでしょ。」

性自認? 性的指向? よくわからない専門用語が飛び交う。性的指向はなんとなく分かるけど、性自認ってなんだろう。

「彼女が、元男の子のトランスジェンダーだからって、男の子が好きっていう決めつけがよくないのよ。もしかしたら女の子が好きか、レズビアンかもしれないでしょ。まずはちゃんと話しを聞いてあげて相談に乗って頂戴。」

え、元男の子のレズビアン? それじゃ男の子じゃないの? でも本人は自分のことを女性だって思ってること? あ、それが性自認ってやつなのかな。ずっとそば耳立てて聞いてしまって、自分の仕事が手に着かなかった。

しばらく会話が続き、真希さんは耳に書けるタイプの小さなヘッドセットを外した。

「佐枝さんごめんね、うるさかったでしょ。もう現場がグダグダだから、つい言葉つよくなってしまって…」

「真希さんも大変ですね。責任者だっていってましたものね。それは部下の育成とか大変だと思います。こちらこそ、そば耳たてて聞いてしまってゴメンナサイ。」

「あ、気になるキーワードがいっぱいあったかな。今度説明してあげるね。うちはNPOじゃなくって一般社団法人だから、別に営利業務をしてもいいのだけど、基本となる仕事は社会貢献事業だから、企業や個人から基金をいただいて、LGBTQ+の人たちにむけての支援事業をしてるんだけど、こう言う仕事あるあるで、台所は火の車だし、人手はたりないし、もう大変なの。たまに大きな企業のダイバーシティ&インクルージョンについてのコンサルティング案件とか入ると、一瞬だけホットするんだけどね」

「そのダイバーなんとかってなんですか?」

「あ、D&Iとかって略すんだけど、多様性のある従業員がいたほうが、企業の価値が上がるってことかな。女性とか障害者とかLGBTQ+とか肌の色が違う人とか、ほら、代表的な企業にAppleとかがそうかな。そういう人をかわいそうだから雇用するんじゃなくって、企業の底ちからをあげるために積極雇用して、能力や貢献にあわせて役員待遇をしていくってことが、いま世界で勝負するには必要とされているの」

うちの会社の事を考えて見たら、全然駄目だって思った。障害者雇用は法律で決められてるから別のフロアーにいらっしゃるけど、女性の役員待遇なんてほんのちょっとだし、そもそもLGBTQ+の人が社内にいるかどうかなんて分からない。もちろん肌の色がちがう社員は、海外の関連子会社から出向出来てる人で1人ぐらい見たことがあるけど、本社にはまったくいない。多様性なんてない。そもそもまだまだ女性社員に対する、セクハラ、パワハラでもめてるレベルかもしれない。

「そうだ、佐枝さん、再来月の最初の日曜日、開けておいでくれる?」

「はい、まだ特に予定ないですけど、なんですか?」

「結婚式があるの」と真希が答える

「へー だれの結婚式なんですか?」

「わたしの」真希はつぶやくように返事した。

「え、真希さん結婚するんですか? そしたらここをでることになっちゃうんですか?」

「でないわよ。ずっといるよ」

「だって、お相手の方を一緒に暮らさないんですか?」

「ふふふ、相手がだれか知ったらびっくりするから」

「そうなんですか? わたしがしってる人? 真希さんのお知り合いの男性ってあんまり知らないけど…」

一度、真希さんのオフィスに遊びに行ったときに紹介された人たちをあまたのなかで巡らせてみるけど、バリキャリの真希さんにお似合いの男性が見えなかった。

「こんどちゃんと、結婚式の招待状わたすから、そんとき教えてあげる」

小さくうなずいて、この話は終わった。どんな人があんなに魅力的な真希さんを射止めたんだろう。そんな問いが頭の片隅に小さく残った。

桜が散って、菜種梅雨が続いた。春はいろいろと変わる時期だから、シェアメイトもそれぞれ忙しく、たまにキッチンであって挨拶するぐらいで、それぞれが忙しい日々が続いた。自分も新しい部下を迎えて、会社でやっと先輩に慣れた気分で仕事に忙しく、上司も忙しい時期だったので、4月にはいって1回だけご飯を食べただけだった。以外とわたしたしはさばさばしてる。

5月の連休が過ぎ、落ち着いた頃に近況を連絡しあうシェアハウスのLINEグループに、弓子さんの誕生日会をやるから、みんなひさしぶりに集まらないって呼びかけが俊子さんからあった。そういえば弓子さんは5月生まれだったのを思い出した。その日は予定もとくになかったので、2つ返事で了承の返事をした。

さて、どんな誕生日プレゼントを買おう。こういのを悩むのってとっても楽しいけど、実は苦手。男子の意見はあまりあてにならないかなって思ったけど、なんとなく彼氏にこんな話があったんだけど、って相談してみた。

そしたら、彼からポプリみたいなルームフレグランスはどうって、返事がきた。悪くないけど、一緒に暮らす真希さんと二人とも気に入る香りを選ぶのは難しそうだと思った。ただほかにアイデアがないし、あの二人は好みもにてそうだから彼のいうとこりにかわいいポプリを職場の近くの花屋さんで相談してみることにした。

誕生日の前日、ポプリを買った。黄色い花のポプリだった。お花屋さんにはポプリは常に置いてなかったので、わざわざ取り寄せてもらった。少しだけかいだ香りは、これから梅雨を抜けて初夏になる季節にあった、爽やかな香りだった。

誕生日は日曜日だった。忙しくってなかなか顔も見れなかった、圭一くんや、悠くんもそろって、お昼ごはんから、俊子さんお手製のラザニアを食べながら、カヴァを開けた。ほろ酔い気分を覚ますために、俊子さんはちゃんとりんごの皮を日干しで乾燥させて入れた、とってもおいしいアップルティをいれてくれた。そしてみんなの満腹のお腹に追い打ちをするように、弓子さんの誕生日ケーキが配られた。

2回目のバースデーソングをみんなで歌ったあと、真希さんが少しお話があるんだけどっていってみんなの会話を止めた。

「少し前から、何人かには言ってたけど、わたし結婚するんだ。」

わたしは、以前に、リモートワークを二人でしてるときに、その話を聞いてたから驚かなかった。俊子さんも聞いてたようで、驚いてるのは男子の二人だった。

「じつはね、わたしじゃなくって、わたしたちなの。結婚するの」

え、? と言う文字がわたしの頭の中に浮かんだ。誰だ?わたしたちって。ここに居るメンバー? まさか圭一くん? 歳だって離れてるし、彼まだ売れない劇団員じゃない。ないない。頭の中でその情報はかき消した。

その時、立って話してる真希さんが、そっと座ってる弓子さんの肩に手を添えてることに気がついた。一瞬見つめ合った二人は、うなずくように何かを確認してた。

「まさか、真希さんと弓子さんが結婚するってことなんですか?」

突然のはなしに動揺して、ちょっと失礼かなって思いながらもしどろもどろになって聞いてきた。

「うん、そうだよ。わたしたちの結婚式」

「え、だって、日本ってまだ同性婚できないって、だからそういう裁判の協力にいってるっていってたじゃないですか? できるようになったんですか?」

ゆっくりと真希さんは答える

「良い質問ね、佐枝ちゃんがいうとおり、日本では同性婚はできない。だからわたしたちは今一生懸命裁判で訴えて、ストレートのひとと同じ様な権利がえられる結婚の自由をもとめて活動してるの」

つづけて真希さんは少し強い口調で説明を続けた。

「でもね、少しずつ改善してて、法律婚と同じ権利がえられないとしても、各自治体が条例や通達できめられたパートナーシップ条例というのがあるのね。それに登録すると、ほんのちょっとだけ、結婚と同じ権利がえられる。ちょうど東京都も町田市もパートナーシップを導入した良いタイミングだし、もう弓子と中学生のころからであってもう何年。15年も経つんだし、ある意味、老成した夫婦みたいなものだから、ここらでケジメ付けても良いかなって思って。だってこれ以上歳取ったらウェディングドレスきれなくなっちゃうでしょ。」

ふとした疑問がわいたので、わたしはおそるおそろる聞いてきた。

「でもパートナーシップって不完全なものなんでしょ?」

真希さんは優しくこたえてくれる

「そのとおり、あくまでも法律じゃなくって条例や通達、都営住宅や市営住宅にふたりですめるぐらいかな。あともしかしたら公営の病院での配慮とか。まだまだ未知数。海外には法律婚だけじゃなくってフランスのPACSのような契約婚が一般的になってきてる国もあるので、この辺は、結婚とか家族とか、恋愛とかそういうことを一度、その歴史を学んだ上でバージョンアップさせていかないとだめだとおもうな。」

恋愛して、結婚って、家族をつくって、子育てしてっていうのが女の人生として当たり前だと思ってた。そのために仕事のキャリアを犠牲にしないといけないのは、差別だと思う。すくなくとも子育てがおわったもといたキャリアに戻りたい。

でもそもそもわたしの今は不倫中。恋愛はあるけど、その後はない。べつに彼の奥さんから略奪して家庭を壊してまで、自分の家庭を作りたいとは思わないから。

わたしの結婚でどんなものなんだろう。そもそも結婚したいっていうパートナーがいるんだろうか?同性同士だったとしても、きちんとパートナーがいたら、どれだけ生活が豊かになるどうって思う。とってもうらやましかったし、思いっきり祝福してあげたいって思った。

話をしてると、だまって、圭一くんが席をたって、自分の部屋に戻っていった、いまおこったことが受け入れられないようなその態度にちょっと心配になる。すると、俊子さんが大丈夫よって目配せしてくれた。何があるんだろう。

結婚式の当日が来た。南青山の小さな結婚式場を貸し切って行うことになった。開場には二人の知りあいやシェアメイト全員のほか、真希さんがLGBTQ+支援活動をしてることから、ドラッグクィーンから、短髪でガチムチの明らかにゲイのひとだろうなって言う人までいろんな人がお祝いに駆けつけくれた。

わたしは、無謀にも司会者を仰せつかってしまった。こんなのプロの仕事なのに、手作りでやりたいから、シェアメンバーには手伝って欲しいんだっていわれて、わたしは司会進行を承ってしまった。悠くんはは受付、俊子さんは開場内の誘導をやっていた。圭一くんはまだ現れなかった。

結婚式は、人前式の形で行われる。みんなの前で、誓いの言葉を誓う形だ。そもそもセクマイをキリスト教も神道もうけいれくれるとは思われず、人前式がイマドキ感あっていいなって思った。

地下の結婚式場まで、1階から、回り階段がある、新婦新婦は、その階段をおりて登場となる。列席者の入場を確認したうえで、列席者入場の台本を読み上げた。

「本日はお忙しい中、また遠方より松村真希さんと柳河弓子さんの結婚式にご列席いただきまして、まことにありがとうございます。

これより始めさせていただきます結婚式は、ご列席いただきます皆様方に向けて、おふたりより結婚の誓いを立てていただき、ご列席の皆様にご承認していただく、人前結婚式でございます。

ご列席の皆様は 新郎新婦様にとって大切な方々です。おふたりは、この大切な皆様の前で、愛を誓いたい、見守っていただきたい、というお気持ちからこの人前式をお選びになられました。

おふたりにとって、人生の新しい門出を皆様に見届けていただきたいと思います。

申し遅れましたが、私は本日の司会を務めさせていただきます「田中佐枝」と申します。精いっぱい務めさせていただきますのでどうぞよろしくお願いいたします。」

「それでは、後方階段にご注目下さい。新婦新婦、入場です。皆様、盛大な拍手でお迎えください。」

新婦と新婦の入場を呼びかける、すごく綺麗になった真希さん、弓子さんが、すこし真希さんがエスコートしながら回り階段を降りてきて、赤いバージンロードをゆっくり歩いていった。そして、みんなの前でくるりとまわって、一例をしした。

「これより新婦真希さん、新婦弓子さんの人前結婚式を執り行います。ご列席の皆様には、おふたりの結婚の立会人となっていただきますよう、よろしくお願い申し上げます。」

そして、誓いの言葉にすすんだ。司会をつつがなくすませられるかドキドキしてた。

「まず初めに、結婚誓約宣言です。今日この日を迎えるにあたり、おふたりはご自身の言葉で結婚の誓いを立てられました。皆様の前で結婚誓約を宣言していただきます。

それでは、おふたりより結婚の誓いの言葉を述べていただきましょう。真希さん、弓子さんお願いいたします。」

二人が誓いの言葉を述べようとしたとき、うしろから大きな声で、こう聞こえた。

「その結婚、ちょっと待った!」

叫び声は聞き覚えのある男性の声だった。よく見ると、駆けつけばかりでコートを着たままで、頬が上気している圭一くんがいた。

「ボクは、真希さんがスキです!。風邪引いたときも親切にしてくれて、ご飯とか作ってくれて優しかった。キャリアの事でも悩んだときにも親密のに相談ののってくれた。なのに…」

圭一くんの顔は涙でぐちゃぐちゃになっていた。真摯に人を愛する人の顔だった。

真希さんが圭一くんのとことに行って駆けつけた。

「圭くん。わたしは結婚する。だからって月詠邸からひっこすわけじゃない。あなたとの関係がおわるわけじゃない。わたしはあなたと恋愛関係にはなれないけど、弟のように思ってるのよ。なにもかわらないの。安心して。」

圭一は、気持ちをぐっとおさえて整理しようとしているようだ。
こういうときに司会はどうしたらいいのか、わたしは少しパニックになった。

「圭一君、ここは二人をしっかりお祝いしよう。真希さん、弓子さん。誓いのことばをお願いします。」

辛うじて言えたのはここまで、真希さんは弓子さんのいる前に戻って、二人で誓いの言葉を述べた。

「こちらに結婚証明書を用意しております。おふたりにはこちらに署名をいただきます。ではお願いします。

ご参列の皆さまを代表し、ご友人の勅使河原様 大山様に立会人としてご署名いただきましょう。それでは勅使河原様 大山様よろしくお願いいたします。」

ふたりの共通の友達でもある、勅使河原さんと大山さんに署名をお願いする。

「ありがとうございました。たしかにご署名いただきました。
それでは、結婚誓約書を皆様にご披露頂きましょう!
しっかりと皆様のお名前が添えられております。」

証人の二人が誓約書をたかだかと掲げてもらい、開場は拍手でいっぱいになった。

「それでは、おふたりに指輪交換のセレモニーを行って頂きます。はじめに、新婦真希さんさんから新婦弓子さんへ指輪をお贈りいただきましょう。」

新婦から新婦へと指輪を送られた。

「続いて、新婦弓子さんから新婦真希さんへ指輪をお贈りいただきます。」

おなじく、新婦から新婦へと指輪を送られた。

「続きまして、新婦真希さんと新婦弓子さんはお互いのベールをお上げいただき永遠の愛を込めて、誓いのキスを交わしていただきましょう。」

ふたりがお互いにベールアップ・誓いのキスを行う。わたしはキュンキュンしてしまって倒れそうになった。でも司会があるから倒れるわけにいかない

「ではここで、先ほど交わした指輪を皆様にご披露していただきましょう。」

「それでは、ご参列の皆様に問います。真希さん弓子さんの結婚を承認いただけますでしょうか?ご賛同の方は、おふたりに盛大な祝福の拍手をお願いいたします!

会場から割れんばかりの拍手がなった。やっとここまでたどりついた二人の関係を知ってるモノには、なかにはもらい涙をすする人もいた。

圭一くんの様子が気になったが、すでに参列にいないようだ。

「どうもありがとうございます。ご参列の皆様の承認を得て、ここにめでたく真希さん、弓子さんの結婚が成立いたしました。ご結婚おめでとうございます!皆様、改めて盛大な拍手をお願いいたします。

ただいまをもちまして、新婦真希さん、新婦弓子さんの人前結婚式を結びといたします。

それではおふたりには、ウェディングロードをお進みいただき、ご退場いただきます。皆様、その場にご起立いただき、祝福の拍手でお見送りください。」

ふたりはウェディングロードを祝福されながらまわり階段をのぼって会場をあとにした。

「ご結婚おめでとうございます!おふたりの末永い幸せをお祈りいたします。」

司会のマイクを結婚式場のひとにわたしたバトンタッチした。

「最後に、屋外にてフラワーシャワーを行います。ご参列の皆様は、今から配られます花びらを持ってしばらくお待ちください。」

なれた口調で式場の人が1つ上がって1Fそとへ移動することを促した。みんなは、幸せをわけあって、ニコニコしながらまわり階段やエレベーターで1階に移動してはなびらを、式場のひとから手のひらいっぱいにうけとって、風にとばされないように大切に両手で包み込んだ。

新婦どうしの準備がととのったようだ

「大変お待たせいたしました!皆様、スタッフから花びらを受け取りましたでしょうか?おふたりが通られましたら、祝福の想いを込めて高い位置からフラワーシャワーをお送りください!」

結婚式場の出口をでる二人に、参列者からフラワーシャワーをが舞った。二人はゆっくりと一歩一歩道を踏みしめながら、そのシャワのなかを、人生最大の笑顔で歩んでいった。

「おふたりの幸せを象徴するかのように、色とりどりの花びらが舞い上がりましたね。おめでとうございます!

続いてはゲストハウスには披露パーティーがございますので、皆様ご移動をお願いいたします。」

式場の人は、二次会の案内をしていた。

圭一君はその場にはいなかった。

第三章 悠の場合

冬のひざしが長く部屋に入ってくる、ポカポカした日曜日、わたしはひとりリビングでお茶をしていた。しばらくすると悠がやってきたので、お茶一緒に飲むって聞いてみた。

「アールグレイなんだけど、良かった飲む?」
「ありがとうございます。でもその前に佐枝さんって鎮痛剤って持ってます?」
「わたし、生理重いほうだから鎮痛剤の在庫は常に持ってるよ。どうしたの頭痛がするの」

うっかり、男の子に生理の話をしてしまったことに、少しだけ後悔しながら、悠の顔色をみてみた。

「もう3回目だから、止まったつもりでいたんですけどね。来ちゃって…」

言いにくそうに悠が言う。

「え、悠くん、なにが来たの?」

わたしは、3回目とか、止まったとかっていう言葉が分からなかった?

「生理…」

悠は腹の底から絞り出すような声で、申し訳なさそうにいった。

「前に生理用品も処分しちゃったので、何にも無くって。佐枝さんなら持ってるかなって思って」

「え、そりゃ女の子だから持ってるけど、悠くん男の子でしょ? まさか女の子なの?」

「ボク、元女子なんです。胸オペ去年、保険適用でして、夏すぎから男性ホルモンの治療を月1回受けてて、2回目の時、生理とまったから、もう来ないやって、みたくもない生理用品や鎮痛剤を処分しちゃったんです。そしたら今回来ちゃって…。」

わたしは頭が混乱してきた。真希さんと弓子さんの結婚のときでも、自分のなかで消化できるのに数日かかったのだけど、悠くんの件も理解の範疇を超えてる。でも事は急をようするのはわかった。

「大丈夫、鎮痛剤とわたしのつかってるナプキンでもよかったら持ってくるから、ちょっと待って。」

ラウンジを立って、二階の自分の部屋に戻り、巾着袋にいれてあるナプキン3枚と、メイク台においてあった鎮痛剤をもってラウンジにもどった。

「はいこれ、大丈夫。まだ下着やズボンまで濡れてない? とりあえず鎮痛剤飲んで、ナプキン付けて、部屋で横になってお腹が痛いのが収まるまで寝てた方が良いよ」

「佐枝さんありがとう。こんな話、佐枝さんか真希さん、弓子さんかにしか言えなくって。いままで元女子だってこと黙っててごめんね。男の子として埋没したいとおもってココで暮らし始めたから…」

「でも、この話、ほかの誰か知ってるの?」

「いや、僕も佐枝さんに始めて言った。でも真希さん、弓子さんは当事者だからなんとなく気がついてるような気がするけど、言われたことないよ」

「そうなんだ… なんか大変だね」

「トランスジェンダーとして生きるのって思いのほかいろいろあるよ」

「俊子さんは知ってるの?」

「俊子さんはシェアハウスの契約の代行をしてるじゃない? そこで戸籍名とか性別とか正確に書かないといけないから、一応知ってる。でもあくまでも契約上の書類だけだから、入居時カードはいまの名前で書いたんだよ。僕、戸籍上は悠奈っていうんだ」

悠奈ちゃんが、悠くんになった。胸をとり、男性ホルモンを注射すると、声変わりをして、髭が生えてくるらしい。彼はその過程にいる。その大変さや覚悟って、想像しても仕切れないモノだと思った。

「悠くん、なんでも頼ってくれていいから。生理があろうが無かろうが、わたしにとって悠くんは男の子のシェアメイト。それ以上でも以下でもないよ。自分らしく生きれるようになれるといいね」

悠は、すこし涙目になりながら、うけとった鎮痛剤と生理用品をもって自分の部屋にもどっていった。

アールグレイが少し冷めていた。

部屋に悠くんや真希さん、弓子さんのことを考えて見た。

LGBTQ+っていうのかな、真希さんと弓子さんが「L」で、悠くんが「T」ってことになるのかなってぼんやり考えて見た。でもそもそも「Q+」ってなんのことか分からない。「L」は何となく想像がつくと、「T」はイマイチわからない。トランスジェンダーっていうみたい。ジェンダーをトランスするってどういう意味なんだろう。

こういうことはiPhoneでGoogle博士に聞いてみるのが1番。しらべてると明石市のウェブサイトにSOGIっていう言葉がでてきた、SOは、Sexual Orientationの略、GIは、Gender Identityの略、それぞれ、日本語では、性的指向と性自認って訳されるらしい。

真希さん、弓子さんは性的指向が女性同士ってことになるっぽいけど、あの二人は単なる友情婚っぽいから、何も女性って事こだわってるっぽくない。結果がそうだっただけ。

悠くんは、性自認が男性で、身体的性別が女性ということになるっぽく、その不一致をトランスするってトランスジェンダーっていうみたい。女性から男性にトランスする人のことをFtMっていうらしいけど、最近は性別決めつけられたくない中性でいたい人もいるから、そういう人をXGenderともいうらしい。たとえばFtXとかね。こういうのを性同一性障害っていってたらしいけど、最近は障害じゃないってことで、性別不合っていうらしい。

問題はじゃ、わたしはなんなのか、わたしのSOGIはどうなの? SOGIはだれにでもあるものらしい。ちょっとベットにねっころがって考えて見た。

性自認、中身おっさん。結構むかしはやったオヤジギャルの自覚あり。色々事情があって(これはそのうち語ると思う。わたしがシェアハウスに住んでる理由だし)あんまり、女を自覚したくない。中性っていう定義をしって少し憧れる部分が確実にある。

性的指向、過去の経験は男だけ。でもそれにこだわってるわけじゃない、真希さんたちみてたら、もし気持ちがつながれるんだたら、相手が女性でもかまわないし、わたし女性ともセックス出来るともう。あまりそこに抵抗感がない。未経験のバイ? そんな感じ。

わたしのSOGIは、どのパラメーターもニュートラルなのかなって思った。

LGBTQ+って言葉つかっちゃうと、あっちとこっちって区別して特殊な人たちの他人ごとになっちゃうけど、SOGIでかんがえたら、自分も意外と繋がってるんだって思うような気がした。良いウェブサイトみつけたな。

なにがあっても悠くんは男の子だし、真希さんたちはラブラブ婦婦だとおもう。よくかれらをマイノリティって言い方をするけど、大体、いまの社会にマジョリティなんているんだろうか。わたしも何かのマイノリティだなって強くおもうのだった。

第四章 圭一の帰宅

冬の南窓から長く入る日差しがほっこりする日曜日の昼下がりだった。圭一くんがひょっこり帰ってきた。ちょうどシェアメイトの何人かで、お茶をしてるところだった。

「あら、お帰り、以外と早かったわね」

俊子さんが優しそうに迎える。

「でも、2ヶ月ですよ。結構 センチメンタルジャーニーにしては長いんじゃないですか」

悠くんがばっさりと詰め寄る。

「いずれにしてもよかったわね。なんか得られたものあった?」

失恋の対象だった真希さんが優しく声をかける。だからそういうことするから圭一君わすれられなくなるんじゃないって、ちょっと私は思う。

圭一君は、何を語るでもなく、ひとこと、ただいまとだけいって、自分の部屋に戻っていった。みんなはそっとしておいた方が良いのか、いじってあげればいいのか議論になったのだけど、ここはあえていじる方向に決まった。

「圭くん、お茶とクッキーあるよ。おりてきて旅のはなしを聞かせてよ!」

わたしは大きな声で2階の圭一の部屋に聞こえるように叫んだ。

降りてこないかなって思ってたら、しばらくして圭一はリビングに降りてきて、みんなのお茶の会に参加した。

「結局、圭くん、どこいってたの?」

わたしが最初に質問する。

「小笠原」

「え、小笠原諸島?」

「そう、母島でバイトしてた」

「小笠原って船で25時間かかるんだよね」

真希さんがぽそっとつぶやいた。

「とにかく、遠いところにいきたくって。でもパスポートなんてもってないし、お金もないから海外とか無理だし、船で25時間って飛行機でいったらブラジルぐらいまでいける距離だから、相対的に1番遠い日本かなって気がついて、それで船に飛び乗って、2等和室で一晩ころがって寝て、翌日父島について、全く父島を回ることもなく、母島行きの船に乗り継いで、母島にいったんです。

そこで宿を探して、たまたま旅人向けの素泊まりの安宿を見つけて、最初そこに止まってたんですけど、段々宿泊代がはらえなくなって、相談したらそこでバイトして住み込みで働けばって言ってくれて。冬って旅人もすくないのに雇ってもらえて助かりました。」

「そこでなにかみつかったの?」

俊子さんが圭一に語りかける。

「僕なんて、生まれて29年間、誰とも付き合ったことなくって、彼女いない歴=年齢みたいな、非正規で働いてる人間なんて、女性からはみえない存在なんだなって。」

「いっそ、女性がいない世界に行ってしまいたいって…女性そのものが嫌いになってしまって…」

「わたしには、圭くん見えてるよ。」

佐枝が会話を遮った。

「圭くん、あんなにお芝居に熱中してたじゃない。遅くまで練習してて、そこにだって女性の役者さんいたでしょ。彼女たちからも見えてなかった? たんに恋愛対象としてみてもらえなかっただけでしょ? それは圭くんがもっとそんなミソジニーなひねくれた人間になってしまわず、自分磨きをすれば、非正規だって、女性経験がなくっても、ちゃんと魅力的な人間として、面と向かってくれる女性はいると思うよ。たんなる非モテくんじゃないよ。圭くんは。」

「わたしも、そう思うな。圭くん、わたしに、以前、おもしろいお芝居のはなし、あんなに熱中して教えてくれたじゃない。あのときかっこよかったよ。お芝居本当に好きなんだなって思った。もっとお話聞きたいっておもったから、圭くんともご飯たべにいったわけ。もちろん、わたしにはパートナーがいるし、恋愛対象にはみれないけど、ご飯のとき、さりげなくサラダ取り分けてくれたり、りっぱに女性をエスコートしてたよ。全然、大丈夫だよ。わたし年の離れた弟だと思ってるから。」

真希さんがわたしに重ねて圭一をさとした。しかし圭一の表情をみると裏目にでたような感じがする。

「真希さんは、優しいから。真希さんなら、自然と会話できる。ほかの女の人とはこんなにうまくしゃべれないのに。だから真希さんのことが…」

「なによー わたしじゃだめなの? 俊子さんだって、弓子さんだっているよ。悠くん以外みんな女性なのよ。あんた、女性に囲まれて生活してるって気がついてる?はっきりいって真希さんひきずりすぎ、真希さんはもう弓子さんのものなの。もうそれはこないだの結婚式でわかったでしょ。途中でにげちゃって。諦めが悪いと余計もてないぞ。」

ぐじゅぐじゅいう圭一に、佐枝は印籠をつきつけるように語りかけた。

「そうだ、圭くん、マッチングアプリやらない。男子はちょっとだけお金かかるけど、いまどきの出会いはアプリからだよ。わたしだっていまの彼氏みっけたのアプリだもの。」

圭一はおどろいたような顔をしてこちらをのぞき込んだ。

「あれだ、コツはプロフィールを正直に書くこと、どうせマッチングしてあって付き合ったらばれるんだから、正直なプロフィールでも魅力的と思ってくれる人を探すこと、あとは清潔感のある写真ね。これはまかしておいて、姉さん達が演出して撮影してあげるから。そこで圭くんが好きそうな、年上彼女をさがすんだよ。なにもいまどき男子のほうが稼がないとダメなんて女子はみんな思ってない。それより夢に打ち込んでる姿をプロフィールに書いたほうが、ポルシェのっててタワマンに住んでますなんてやつよりかっこいいもん。ねぇ、真希さんもそう思いますよね」

「うんうん、マッチングアプリいいかも。わたしやったことないけど、最近女の子どうしの出会いも、男の子どうしの出会いも、それ専用のアプリがあって、そこで出合うんだって。こないだ聞いてびっくりしたところ。男女の出会いならなおさらよね。最初から条件でしらべて、ある程度相手をしってマッチングするだから確実っぽいし、圭くん身長も高いし、イケメンだから、絶対可能性あるとおもわよ。」

「善はいそげよ。圭くん、スマホかして。アプリ入れて上げるから」

圭一が驚いてる間に、彼のスマホをうけとって、佐枝はアプリを検索し始めた。

「うん、このアプリ。ここが1番人が多くってマッチングする可能性が高いから。残念ながら男子は個人情報の提出と、有料課金が必要だけど、3ヶ月限定でやれば良いから」

「僕、クレジットカードなんてもってないですよ。課金なんて無理。」

「大丈夫、このアプリ有名だから、コンビニでプリペイドカード売ってるから。それかって課金すれば大丈夫。カードなんてもってなくても出来るよ。免許証はあるよね」

「はい、いちおうペーパードライバーだけど、身分証明用に持ってます。」

「だったら、アプリのこの画面で免許証の表と裏を撮影して、提出すればいいから。まずは名前を入力して、本名とニックネームね。」

「あ、はい。それで免許証の入力ですね」

「そう、詳しいプロフィールはあとでゆっくり入力すればいいから、入会して1月は無料でできるから、その間にプリペかって課金登録すれば、3ヶ月延長できる。その間に少なくとも5人はマッチングして実際に会ってみたいな。そのなかでフィーリングの合う子と、友達から始めればいいんじゃない。あ、そうそうあとは写真だ。圭くん免許証の撮影おわったら、髭剃ってきて。そのままじゃ駄目。女の子にもてるのはまずは清潔感から。シャツはよれてる感じないから、ニットから出てる感じも好感度あるので、部屋にもどって顔洗って髭剃ってきて。どうせ男子だから化粧水とかもってないだろうから、貸してあげる。そしたら写真をとりあえず何枚かとろう。あとはお芝居やってるところの写真とかもアップすればバッチリだよ」

圭一はそんなに簡単にいくものなのだろうかと不思議な顔をしながら、髭をそりに自分の部屋に戻っていった。

朝食の用意をキッチンでしてたら、すこし身ぎれいにした圭一が洗顔あとの顔を拭きながらキッチンにやってきた。

「おはよう。今日はどこかにでかけるの?」

「うん、ま、なんていうか、アプリでであった子に会うことになって。」

「え、まじ、よかったじゃない。どこであうの? 近場?」

「それも古淵に住んでるみたいなので、町田で待ち合わせすることになって。ペデストリアンデッキで合って、そのあとお昼ご飯みたいな。」

「すごいじゃん、ちゃんとお昼ご飯たべる店は決めた? 男子は最初のエスコートが重要だよ。」

「うん、めっちゃネットで町田+ランチで検索して、女子が好きそうな店をみてまわって、ペデストリアンデッキの近くの、ストリって言うお店のランチがいいかなって。」

「あそこね!わたし結構、女子会につかうよ。あそこたしかに女子だらけ。町田にはめずらしいおしゃれカフェだよね。ストリを運営してるグローバルダイニング系列のお店なら外れはないよ。小田急北口側の、バス停の前にあるカフェとか、薬師寺公園や金井にある系列店もおすすめだよ。全部グローバルダイニングなの。」

「へー そうなんだ。町田にもそんな飲食店グループがあるんですね。めっちゃ参考になります。」

「あとは、清潔感のある服装だね。髭は剃ってるようだし、昨日お風呂はいって髪の毛洗った?」

「もちろん、そこは佐枝さんのご指導のもと、ばっちりです。ただどんな服きていったらいいのか少し悩んでて…」

「コーデね。ねえさんにまかしとき。いくつか候補をもってダイニングに降りてきて。そのなかから選んであげるから。うちの長男坊の門出だもの、ちゃんとしてあげるわよ。」

「長男っすか、俊子さんがおかあさんで、真希さん、弓子さん、佐枝さんがおねえちゃんで、悠くんが弟ってかんじですかね。5人兄弟のなかなかの大家族ですね」

「こらこら、俊子さんをおかあさんにしない。俊子さんが長女なの。そういうところ男子ってセンスないなぁ わたしたちは歳の離れた6人兄弟なのよ。両親がすでにいない、兄弟だけで暮らしてる家族なの。」

「なるほど、6人家族の長男かぁ。ちょっとしっかりしなきゃですね。それじゃ、服の候補もってきてみます。よろしくお願いします!」

圭一はキッチンで水をいっぱいのんで、階段にあがっていった。しばらくして、抱えきれないほどの服を両手いっぱいにもってきて降りてきた。

「こいつらの組み合わせで悩んでるんですよね。おしゃれって季節を先取りするものって聞いたことがあるので、ぼちぼち桜がさく季節に近づいてるから、どうしよかなって思って。」

「うんうん、その視点は悪くないわよ。それでどういうコーデを考えてたの?」

「2種類あって、ひとつはアメカジ風にパーカーにジージャンをあわせて、チノパン履いていく感じ。もうひとつはスノッブに、まだ少し寒いからクールネックのセーターにボタンダウンシャツをあわせて、ブルージーンズをはいていく感じかな。」

「ふむふむ、なるほど、で、合う子はどんな子なの?」

「5つ上だから、佐枝さんの少ししたぐらいのOLさん。普段は大手町の商社に通ってて、人事で働いてるっていってた。演劇がスキみたいで、月に一回はどこかの小屋に通ってるみたいで、お芝居のはなしでチャットが盛り上がって、スキな俳優さんや女優さんが共通だったから盛り上がって、どこに住んでるですかって聞いたら、古淵だったから、え、近いです。今度ご飯しませんか?みたいな…」

「すごいじゃん、おぬしやれば出来る子じゃない。なるほど丸の内OLさんで芝居好きね。わかった。コーデはこうだよ。」

「最初から、アメカジでいくより、無難なスノッブで行った方が絶対いい。だって相手は丸の内OLだよ。きちんとした男子を見る目が肥えてる。アメカジでいくのは、何回かあってから少し甘えたいときにすればいい。んで、スノッブ路線でもジーンズじゃなくって、チノパンのほうがいいかも、それもあえてアイロンで折り目をつけて着こなす。そのほうがとってもお上品。えらんでるセーターも白系の薄手で春っぽいし、その下に重ねてるボタンダウンのダンガリーシャツととってもあってお上品。こういうのを清潔感っていうのよ。」

「なるほど、ニットにアイロンかけたチノパンですか。思いも付かなかった。でもアイロンもってないや…」

「共用のアイロンあるよ。ランドリーにおいてある。センタープレスってコツがあるから、教えてあげるよ。」

「ホントですか! 助かります。ありがとうございます!」

ランドリーからアイロンとアイロン台をもってきて、ダイニングの机の上に置く。きちんと洗濯されたチノパンをひろげ、プレスをかけるところをつまんで形にして、アイロン台の上に置いた。」

「そのままアイロンかけるとね、チノパンがテカる可能性があるから、ちゃんと当て布すること。チノパンは綿パンだから、温度は高温でいい。このチノパンはノータックだから、大体最初のベルト通しあたりから裾にむけてアイロンをかけてあげるといいの。」

霧吹きでチノパンに水気をあたえて、ナイロンの当て布をしながらいっきにセンタープレスをつけていく、綿パンだからそれを数回くりかえし、折り目をきちんとつけた。

「じゃ、わたし右やったから、圭くん左やってみて」

「わかりました。やってみます。」

圭くんは不器用じゃない。佐枝がやったのと同じことをうまくやってのけて、左側にもセンタープレスをつけた。

「最初にしては、おぬしうまいじゃない。だいたい一回目は、折り目が2つになったりするものだけどなぁ そっか圭くん背が高いから、手足もながくっていっきにアイロンを滑らせられるんだ。ふむふむ。」

弟子のスマートなアイロンさばきに関心しかりのお姉さんである。

アイロンがけもおわり、部屋にもどって着替えてきた圭一くんは、なかなかの清潔感のある好青年に見えた。

「何時にどこで待ち合わせなの?」佐枝が圭一に確認する。

「12時30分に小田急町田駅の南口の広場です。」圭一はスマホをみながら答える。

「相手の見た目とかわかるの? チャットでしか知らないんでしょ」

「大丈夫だとおもいます。写真も交換してるし、音声チャットもしたことあるから」

「じゃ、大丈夫だね。食事のあとのお茶の場所とかも考えておいたほうがいいよ。夜ならそのあととかも…うしししし」不敵な笑いを浮かべて佐枝は圭一をからかった。

「一回目の昼のデートでそんなのないですよ。お茶の場所は考えてあります。本当にありがとうございました。ちょっと早いけど、でかかけて来ますね。」

圭一は玄関で、綺麗にブラッシングしたニューバランスの茶色の皮のスニーカーを履いて出かけていった。

第五章:佐枝の危機

ふとわたしはなんで月詠邸に住んでるんだろうって思うことがある。でもここしか選択肢がなかったのも事実。

どうしても家を出たかった。だから実家から遠い東京の大学を無理して受験した。そのために人生ではじめて勉強に熱中した。家をでるためにだったら何でも出来た。

その事に父は猛反発した。大学なんていかず地元で就職して、地元で結婚しろ。そればかりだった。でもこんな小さな街で、子どもの頃の思い出を引きずって、だれか知り合いの知り合いみたいな人と結婚して子育てする、そのうち両親の介護までおまけで付いてくる人生なんて、吐きそうだと思った。

大学は無事合格した。父は入学金をだしてくれなかなったから、祖母の相談したら、わたしの気持ちをわかってくれてお金を貸してくれた。そのお金を入学金にしてとにかく東京にでることにした。だからわたしには敷金とか礼金とか家具を揃えるお金なんて残ってなかった。

途方にくれながら不動産会社を何軒かまわってるうちに、とある不動産会社から月詠邸を紹介された。普通なら入居者の知り合いしか住めないけど、担当者が住人と知り合いだから紹介しれくれるらしい。基本的な家具や寝具はそろってるし、なんといっても敷金礼金がない。家賃の半分だけをデポジットとして預けるだけでいいってことだった。

わたしは内見もせず、そこに決めますって言ったのを覚えてる。不動産会社の担当者さんは月詠邸に電話してくれて、いまからなら見れるからまずはみてからでもいいんじゃないって言ってくれた。

内見した月詠邸は、家賃のやすさやシェアハウスという印象より、随分垢抜けて見えた。昭和初期かもう少し前に立てられた大きな洋館。庭がひろく、森の中にあるような印象の建物は、周囲の建て売りの住宅たちからは、防衛ラインをひいいて自分の世界をつくるべくたたずんでるようだった。たしかに玄関は木製ガラスの引き戸だし、あっちこっちにガタがきてる木造住宅だけど、きちんとメンテナンスはされてるようで、開けずらかったりはしない。丁寧に大切に使われてきた感がとっても心地よかったのを覚えてる。

大学4年間をそこで暮らし、結果就職してからもずっといる。更新費用もかからないし、シェメイトとの暮らしは、なんとなく仲間がどこかに居てくれる感があって心細くない。そんな適度な距離のある共在感が、シェアハウスの暮らしの魅力なんだろうとおもう。

そして、いまはマッチングアプリであった、会社の上司と不倫してる。結婚適齢期だけど、高齢者出産になるほどの年齢でもない。こどもが欲しいって気持ちはまったくないし、べったりした結婚生活なんて考えたくない。適度に距離感のある彼との関係は、悪くないし、わたしだってたまに女になりたいときがある。それは過去を拭うために必要な行為だともうから。

わたしは結局大学入学以来、実家に帰ってない。毎年正月前になると、今年こそ実家にかえってこいという母からの電話がある。適当に仕事が忙しいと逃げるのだけど、大抵は男を連れてくるか、地元の男を紹介するって話になるのがみえみえ。うっとうしくってあらしない。

わたしは今の仕事が好きだし、キャリアものばしたい。女性にとって、キャリアを成長させたいときと、結婚適齢期=出産適齢期が重なるのがとても辛い。大きな会社は別にしてうちにみたいな中途半端な大きさの会社だと、どうしても択一的に選ぶことになる。だったらわたしはキャリアしかないっておもう。自分の子ども時代を考えると、自分に子どもをもつなんて考えも出来ないと思った。

彼と不倫して、実家を避ける理由は、父だ。わたしは高校生のころ、父と関係をもった。そしてその事を知った兄からも強迫まがいに関係をもたされた。

父との関係は、最初はいやだったけど、抵抗がなぜかできなかった。最初は体を触られるだけのだったけど、段々エスカレートして最後はわたしの寝室で行為にいたるようになった。

女は体だけでは感じない、心がなければとはいうけれど、何回か繰り返される行為に、わたしは感じるようになってしまい、そして求めるようになってしまった。母から父を取り返したような気がしたけど、その事がすごくつらく、罪の意識をもっていた。そして頻繁にわたしの部屋を訪れる父を不思議に思った兄に、わたしたちの関係を知られてしまい、母に告げ口されたくなかったら、自分との関係も持てと強要された。それは強迫じみたもので、兄との関係で感じることは一度もなかった。

わたしは、父と距離をとるべきだと思うようになった。できるだけあわないように、距離をとって、勉強に勤しむことで父をわすれようとした。そして大学を理由に父との関係を終わりにした。

大学在学中はだれとも付き合うことがなかった。一度だけ、女の子に告白されて、回答保留のまま友達として遊んでたけど、それ以上は発展しかなった。一方、男の子は徹底的に距離をおいた。告白されることすらないように、そっけない冷たい女を演出してた。

就職してしばらくして、まだ父の印象が体に残ってることに気がつき、ほかの男と関係をもつことで、消しゴムでけすように消せないかなっておもうようになった。それも後腐れの無い、都合の良いときだけ会えるような関係の人がよかった。だからネットでみつけたマッチングアプリをいれてみて登録したのだった。どうせ女性は無料だしね。

そしていまの彼とであった。消しゴムの彼と。

ある、日曜日の昼下がり、小綺麗なマダムが月詠邸を尋ねてきた。
たまたまダイニングにいた圭一が応対してくれて、わたしにお客様だよと伝言してくれた。

そのマダムはリビングのソファーに軽くすわってた。
わたしは軽く会釈をして、対面のソファーにすわった、その時は聞かなくても要件は直感でわかっていた。くるときが来たのだ。

「どちらさまですか」

表面的にしらばくれるわたしにマダムは自分は、彼氏の妻であることを述べた。そしてわたしたちの浮気について、探偵事務所から報告と証拠を得ているとのことを完結に述べた。

そして、ホテルにはいるところを撮影した写真を見せてくれた。ただわたしたちはラブホテルをつかうことはなく、かならずラグジュアリーホテルをつかっていたので、フロントで二人サインをしてるような事務的な写真がおおかった。

「わかりました。その通りです」

わたしは覚悟をきめて、きわめて事務的に答えた。そしたらスマホが鳴った。彼氏からのLINE電話だった。彼も月詠邸に来るという。その事を奥様のお伝えして、お茶入れますねとダイニングに立った。

しばらくして、彼氏がやってみて、奥さんのとなりに座った。悪いのは自分で彼女に責任はないと、彼氏は妻に平謝りにしてた。その姿をみてわたしはげんなりした。

奥さんはわたしにある条件を伝えた。

・会社を辞めること
・彼を分かれてもうあわないこと

これらの条件を吞むなら、今回は慰謝料の請求はしないで穏便に済ませていいと。
わたしは上司でもある彼に、退職することをつたえ、彼も承諾した。

急な退職に、周りも混乱したけど、無事引き継ぎも終わって、月詠邸で次ぎの仕事をさがすわけでもなく、リビングでのんびりしてた。

そこにいつものリモートワークのためにおりてきた真希さんが、

「暇だったらさぁ、うちの仕事手伝わない?非営利団体みたいなものだから薄給だけど、仕事はやりがいあるわよ」と言ってきた。

前に聞いたLGBTQ+の支援団体の一般社団法人のことだった。たしかに給与は薄給だけど、仲間は優しいし、なんてたっていこごちがいいとのこと。わたしのようにパソコンを使いこなせる人が欲しかったんだっていってた。

LGBTって言葉は知ってるけど、LGBTQ+ってなんだかわからない。そんなのでも良いのかなって思ったけど、真希さんたちや悠くんの事を知ってから、自分のSOGIって言葉で自分のジェンダーを考えて見たら、あながち自分もなにかのマイノリティだなって思うようになってた。前にも思った通り、マジョリティなんて世の中いないのかもしれない。

「真希さん、わたしでよければぜひやらせて下さい」

わたしは静かに、それでいて強く答えた。

「じゃ、明日、わたし通勤日だから一緒にオフィスに行こう。メンバーを紹介してあげるから。」

「え、面接とか履歴書とかいらないんですか?」

「なにいってるの、いま面接したじゃない。もう合格よ。」

急展開に驚きつつも、運命って意外とこんな感じで繋がっていくんだよなって思った。

翌日、真希さんと一緒に、真希さんが所属してる(どうも代表してるらしい)丸の内の、QWMRC(Queer Woman Man Research Center)に向かった。クィアーというのは、奇抜なという意味から侮蔑的にLGBTQ+の人たちを指す言葉だったのだけど、いまではそういう差別的な意味は無く使われてるそうだ。その問題の根底に、フェミニズムとマスキュウリズムがあり、それらを統合して調査発信しているのが、QWMRCということのようだった。

LGBTQ+問題は昔から、フェミニズムと共犯関係にあるらしい。女性の再定義というところに、レズビアン(とくに黒人レズビアンの問題とか)、トランス女性(悠くんの逆だ)の問題がからまってくる。それらを広くとらえてすべてを多様な女性として再定義することを、インターセクショナリティというらしい。真希さんからこれ読んでおいてって借りた本にかかれていた。

そういえばわたしは無自覚に自分のことを女だとおもってた。でも本当に女なんだろうか。女の体をもってるから、父や兄に愛され犯されたわけだけど、心まで本当に女なのか自分でもよくわからない。ましてやセックスの対象はいままでたまたま男性だったけど、ほんとうにスキでセックスしたのか怪しい部分もあり、本当に愛し愛される相手がどんな性別なのかなんて、わたしにはまだわからない。

生理的に無理、大丈夫って言う感覚はあるけど、わたし別に生理的に同性でも異性でもスキになれば大丈夫なのかも。そういうのバイセクシャルとかパンセクシャルって言うらしいんだけど、それだけは経験してみないとわからないし、経験するにはちゃんとスキになる人に出会わないと駄目だなって思った。

QWMRCでの仕事は、広報と企業向け研修のお手伝いの2つがメインだった。普段は広報をやっていて、研修の予定がはいったら、そのためのプレゼン資料を真希さんが書いた原稿にあわせて作る。広報の仕事はもともと、企業向けのものと、当事者向け(交流会のおしらせとか、相談受付とか)の2つの仕事を1人でやってたのだけど、さすがにパツパツになってしまって、企業向けと、当事者向けを担当者を別けようということだった。わたしはその企業向けを担当することになった。

仕事の流れとしてはこんな感じだ。真希さんが過去の研修内容を参考に、発注ががあった企業向けにカスタマイズしたプレゼンの構成をワードにまとめてくれる。それをパワーポイントにするのがわたしの仕事だ。プロジェクターで見る資料だから、ワードに書かれている言葉全てを記載することはできない。そこで鍵となる言葉はパワポにレイアウトして、それ以外はノートのエリアに書き込んでおく、そうすることで、真希さんがプレゼンするときに参考になるという仕掛けだ。

もちろん単なるパワポ作成を求められてる訳じゃなくって、作る課程で気になった事、追加したほうが良いこと、を真希さんに助言するのも仕事のうちだ。素人だからこそ気がつくことがあるからよろしくねっていわれたので、緊張しながらパワポ作成をしているのがここ数日だ。

パワポの内容は、まじめな大手企業の人事向けのものと、若いスタートアップのIT企業向けでは大幅に違う。最初にかかわったのは、まじめな大手企業向けだった。LGBTQ+の基礎知識から始まり、性的指向、性自認、性表現といういわゆるSOGIEと言う考え方の紹介をする。余裕があれば、参加者全員のSOGIEを考える時間をとってワークショップができると理想的だ。

大企業向けは、基本の基ってかんじがする。でもこれが他人ごとじゃなくって、自分ごととしてどのくらいささるものになるか不安にもなる。LGBTQ+は10人に1人いるんだから、1000人の会社には、どれだけだっけ、そう100人はいることになる。結構な勢力だ。同性愛のひと、トランスジェンダー、それ以外のひと、それぞれに人事や上司は対応を変えないと行けないから、大変だとおもう。

たとえば、同性愛のひとには、扶養控除や福利厚生のサポートが必要だし、トランスジェンダーには医療休暇が必要だ。一言でLGBTQ+といっても、SOGIEによっては必要となるサポートが異なるため、一筋縄で片付けることはできない。きめ細かいサポートが必要なんだってことがこのパワポ資料で少しでも伝わればいいなって思った。

パワポ作りは前の会社でもよくやってたので、基本的に得意だ。前の会社でもいまの団体でも支給されたのはMacだったし、真希さんもMacなので、別にキーノートでつくってもいいのだけど、お客さんに資料の納付を求められることがあるからパワポで作る。フォントがちょっと違うのはま、ゴメンナサイって感じかな。

午前中に、真希さんから資料を受け取り、午後いっぱいをかけてざっくりとパワポに創り上げた。そこで、資料に掲示したこと、メモに記載したことを、追加した方がいいと思ったことなどを、真希さんに共有して渡した。初日からガッツリ仕事した感じだけど、わたしはほぼ定時で上がれた。真希さんはもらったパワポ資料を読み込みながら、プレゼンでどんな話をするか考えてから帰宅するねっていってた。

夜の丸の内は意外と静か。でもところどころに止まり木があって大人の街ってかんじがする。新宿や渋谷のような雑踏じゃなくって、ある意味、勝ち組でスーツを着てる人だけがそこにいることを許されてる感じ。そのことに若干の違和感と、不思議な優越感を感じながら、東京駅から中央線で新宿にでて、小田急で町田まででて、1つもどって玉川学園に帰った。丸の内から、中央線にのったときの猥雑感にホットするのはなんだろう。これが千代田線経由だったら、そうはならないんだろうな。

月詠邸に帰ったら、みんながご飯作ろうかって話をしていた。冬も終わりになって、もう鍋とかシチューとかじゃないよね。なにが良いだろうって会話の途中にリビングについた。ホタルイカのパスタなんて春らしくっていいのだけど、この時間でスーパー空いてるかなって話題になった。

「いや、ギリ駅前の三和空いてるかもしれない、ボクダッシュしてくる」

悠くんが脊髄反射して、みんながOKという言葉を聞かずしてでていった。こういうところほんと男の子らしい。

無事、ホタルイカを調達できて、大量のパスタを柳宗理のパスタパンで茹で、ホタルイカをオリーブオイルと塩味だけでシンプルに味付けして、みんなで食べた。もちろん真希さんは遅れてかえってくるから、よけておいて温めて食べられるようにしておいた。

しばらくして真希さんが帰ってきて、おくれてパスタを食べながら、プレゼン資料の話をした。基本的にバッチリで、明日、二人でリハーサルやろうって話になった。そして、みんながご飯と、その後のワインを飲み終わったあと、歯磨きに洗面台にならび、かわりばんこにお風呂にはいったり、自分の部屋に戻っていった。

こうやって、わたしの新しい1日が終わった。

第6章 俊子の旅立ち

春には、東京レインボープライド(TRP)もあり、お祭り気分を味わった、そして、暑い夏が月詠邸にも訪れ、みんなは部屋のエアコン代節約のために、できるだけリビングにあつまり、そうめんをひたすら食べて夏をやり過ごした。そして今年もすこしづつ秋がやってきたとことで、月読邸にもまた、小さな変化がやってきた。

俊子さんの足腰が以前にもまして弱くなり、お買い物や掃除洗濯といったことがままならなくなってきたのだ。

俊子さんは要介護申請をして、週に2度ほどヘルパーさんがきれくれることになった、掃除や洗濯など身の回りのことはヘルパーさんがやってくれるけど、食事の買い出しまでやってくれるわけではないので、それはわたしたちが交互にやることにした。

ヘルパーさんは気さくな人で、いつもヘルパー業務がおわって、次ぎのヘルパー先に行くまでの間、ひとときお茶を飲んでからお話してかえっていくのが習慣になった。

お昼ご飯はヘルパーさんが作り置きしてくれるけど、基本的に夕飯は、手のあいてるシェアメイトがつくってあげて、一緒に食べるようになった。

足腰が弱るというのは、単に歩けなくなると言うこと以上に、活動範囲がせばまり、その人のメンタルが弱くなる。よく老いは足からっていうけど、本当そうだった。俊子さんは秋から冬にむけてどんどん塞ぎがちになって、あまり部屋から出なくなってしまった。
唯一でかけるのは、いぜんから隔週でかよってる婦人科への通院のときだけになってしまった。

体調の悪そうな俊子さんを、一度検査入院させた方が良いよねという話になって、嫌がる本人を説得して、市民病院の検診に連れてってた。家族のいない俊子さんの検査結果は、本当は聞けないのだけど、そういう日もくるかもしれないと、真希さんは、俊子さんと養子縁組を結んでいた。

検査結果の在った日、俊子さんと真希さんは、医師の元にいき、二人で検査結果を聞いた。そして、俊子さんの了承を得て、わたしたちに告知された。癌だった。ステージ4の前立腺癌だった。

わたしはステージ4と言う言葉が頭のなかを錯綜してしまい、何の癌か、イマイチ理解せず、どっかの癌ぐらいにしかとってなかった。ほかのシェアメイトも同様を隠せないようだったけど、どこかわたしと違う感じがした。

ふと病名を再度ききなおしたとき、前立腺という聞き慣れない臓器が耳にはいってきた。そう、俊子さんは元男性だったのだ。まだ温順されていた前立腺が長年のホルモン治療の影響があってか、なかってか分からないが、癌化していて、体調不良につながっていたのだった。

ネットでしらべると、前立腺とは、正確な表現ではないけど、女性でいうところの子宮の残存器官のようなもので、全身転移のあるステージ4でも5年生存率は40%近く予後がわるくない。しかし俊子さんの場合、女性化のためのホルモン治療がどのような影響をあたえてるか未知のようだった。

むしろ女性ホルモン投与は前立腺癌の治療として採用されている経緯もあるし、現時点で他に転移をしてるかどうかわからないけど、1番気になるのは、俊子さんの落ち込みや気後れのほうだった。あんなに明るく、ひとあたりのよかった俊子さんから笑顔がきえてしまい、引きこもりがちになったのは、月詠邸から明かりがひとつ消えたような感じにもなってしまった。

冬の月詠邸には、淡々とした静かな時間が過ぎる。ちんちんとストーブの上のおいたやかんんが蒸気を吹き出してる。ときおり俊子さんの咳の音が聞こえ、心配した真希さんが部屋をノックして入っていく。俊子さんはゆっくりながら、しかし、一歩一歩、残された時間を使っているのが分かった。

俊子さんは、積極的な治療を受けることを避けていた、女性として生きていくために、若い時からつづけていたホルモン治療だけを継続しならら、その他の薬や抗がん剤の類いはとろうとはしてなかった。ある意味自分の幕引きは、自分で決めたいというかんじだった。

あるとき、月詠邸に、中年の男性と、その娘とおもわれる人が訪ねてきた。俊子さんの部屋にはいった二人は、しばらく話しをしたあと、リビングにでてきた。

「父親といっていいのか、母親といっていいのか悩みますが、いつも良くして頂いて本当に感謝しています」

二人は俊子さんのお子さんと、お孫さんだった。俊子さんは男性として結婚して、家族がいたのだった。すこしづつ死期が近づいたことに気がついた真希さんは、俊子さんからきいていた、お子さんの連絡先に、いまの状況をつたえたのだった。

高校生だとおもわれる、女の子は、俊子さんにあったのはこれが初めてだと言っていた、おばあちゃんにしか見えない彼女に、何の違和感もなかったといっていたのが印象的だった。

真希さんは俊子さんに他の会いたい人がいないのかも聞いていた。たとえば好きだった人とか。ただ俊子さんは、特にいないと言ったそうだ。特に男性のことが好きで女性になったわけではない俊子さんは、あくまでも最後の恋は、元の奥さんだったといっていたらしい。でも、自分の中にいる女性に気がついてしまって、それが抑えきれなくなってしまい離婚したといっていた。それから彼女は、月詠邸でみんなと暮らしてたのだった。

「本当なら、そんなコトをしたら、独りで生きていかないと行けないはずなのに、シェアメイトと暮らすことができて、いまもこんなに良くしてもらえて私は幸せだったわ」

息子さんたちがお帰りになった日の夜、ひさしぶりにラウンジで食事をとった俊子さんは、みんなにこんな感謝の言葉を話したのだった。

そして半年後、俊子さんは亡くなった。

俊子さんのいた部屋は、いまはもう片付けられて、静かにあたらしい住人を待っている。
これからどんな人が来るのか、想像をめぐらせて、私たちは庭で月を詠んでる…

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