見出し画像

旅する性別のない子供たち



第1章 カナの場合

 この世界に生きてる人は、子供の頃、性別がない。もともとからそうなのか、環境ホルモンとかの影響で、いつのまにかそうなったのかわからないけど、とにかく性別がない。男の子も女の子もいない。ただ子供なだけ。

 仲良しみんなは、まずは保育園みたいなところに行く。保育園というか学校というか、みんなで暮らし学ぶ場所。だいぶんおおきなお友達もいて、月の初めに行って、月の終わりに家に帰る。だから、その間は子供達と先生とお世話をしてくれる人たちだけで暮らす。大人達はその間、仕事に専念できる。

 大人になって性が決まるときは、誰にも見られちゃいけない。そうしないと、望む性になれないから。大人になる少し前からなんとなく、わたしこっち側かなぁとかに気付くものなのだけど、なかには望む性が明確じゃなくって決まらない子もいる。

 そんなとき、大人になっても1回だけ性を変えることができることもある。極まれだけどむりじゃない。望めば自然と体はかわるみたい。わたしは子供だからよくわかってない。

 わたしはカナ。いま10歳。この学び暮らす場所にはいってもう9年ぐらいになる。赤ちゃんのときからいるから。いまは初等科

 0〜5歳が保育科、6歳〜10歳までの5年間が初等科、11歳〜18歳までの7年間が高等科なので、わたしは初等科最後の5年生。グレードはそのままカウントアップするから、12年生までいることになる。

 自分の性が見えてくるのが、18歳から、すくなくとも20歳ぐらいまでの間なので、学校を卒業したら、知ってる人にはあわないように、自分探しの旅に出る人が多い。わたしもそうするつもり。

 まだ難しいことはわからないのだけど、私たちがこういう暮らしを始めたのは、大昔からというわけでもないみたい。むかしは、産まれた時から性はきまっていて、子供達は、おとうさん、おかあさんに育てられてたらしい。

 でも、食べてきたものや、暮らしていた場所の環境や、進化?退化?の影響で、こういう風に自然とかわったんだって歴史の授業で習った。まだまだ変化の過程だから、産まれた時から性がきまっちゃってるお友達も、少ないけど、いないわけじゃない。

 そもそも性って、体の性、心の性、好きになる人の性、社会的に見られてる性の四つがあるって習ったけど、イマイチよく分からない。わたしたちこどもは、そこのところ全く白紙だから。白紙は中性っていうことじゃないとおもう。まだなにも書かれてないっていう意味で白紙は白紙。

 友達のゆかちは、産まれた時から、少しだけ心や気持ちが少し女の子だった。でも体はまだぜんぜん白紙。結局、大人になって、体がどちらに変化するのかってことだけで、心や気持ちは本人の自由なんだと思う。ゆかちだって、産まれた時はそうだったかもしれないけど、大人になるときに、どう変化するのかわからない。産まれたときの性なんて、そんなもん。

 名前って、なんとなく、女の子っぽかたり、男の子ぽかったりするんだけど、それって少しこうなって欲しいかなぁっていう親の希望がはいってるかもしれない。でもほとんどの子は、中性的でジェンダーレスな名前をつけられることが多い。

 それでも漢字にすると、どちらかに見えちゃうことが多いので、基本ひらがなの子が多い。わたしだって、カナちゃんって言われたら女の子だし、カナくんって言われれたら男の子。ゆかちは、本名は「ゆか」だけど、少し女の子だったから、すこしガーリーな名前をつけられたんだろと思う。でも、これだってゆかくんってよばれたら男の子。くりかえすようだけど、まぁそんなもん。

 大昔だったら、4・5年生って、男女とも体の変化が起こる頃だから、保健や体育の先生から、そういう話を聞いたけど、わたしたちは、そういう変化はまだまだ先なので、まずは、歴史と知識を学ぶことからはうじまる。だれも生理が始まったり、声変わりしたりしないから、正直、実感はない。すこし頭でっかちになるだけ。そういう変化は、大人になってから起こるモノ。

 でも、わたしなりに、なりたい自分っていうものを、すこし授業をうけて考えて見た。なんとなく、わたしは、今のところ男の子になりたいかも。だって、出産とか大変そうだし。育児はこの保育園っぽい学校がやってくれるから、男女に仕事上の差別はなくって、ほんと、出産前後10日ぐらい休めばいいのだけど、そもそも自分の体から別の生命体が出てくること自体に違和感を感じる。もちろん、体外受精や、借り腹とかをつかって、受精や妊娠を外部化しちゃって、経験しないことはできるって話だけど、病気なら仕方ないけど、健康なのに違和感だけでそれを選ぶのは違うかなっておもう。

 前にいったとおり、大人になっても1回だけ今とはちがう性になることができる。それは、もし、ちゃんとした性別違和があったとしても、望めば必ず成れることもあるってコトではない、誰でもかんでも成れるわけじゃないし、1回こっきりだから、後戻りはできない。

 たまにこのタイミングに、ちゃんと決意できなくって、後から社会的に生まれ変わる人のことをトランスジェンダーっていうらしい。じつはうちのママが、そうだった。だからわたしは、ママのおなかの中でそだったわけじゃなくって、からだの外でそだって産まれたらしい。でもそんなのコトどうでもよくって、月末に帰って、いろいろ学校であったことをお話して、意見くれる人が、パパだし、ママだと思う。産んだかどうだかって正直どうでもいい。そもそもパパは産まないんだもん。もっと言えば、遺伝子が繋がってるかどうかすら、あまり関係ないと思う。自分のことを、ちゃんとみてくれてるかどうかだけがすべてだと思う。

 時は経って、わたしも学校を卒業して、自分ん探しの旅にでる時期がやってきた。実家にかえって、荷物をリュックにまとめて、両親にこれまでありがとうって、挨拶をして、家をでる。

 まずは、先に旅にでた、けいとや、ゆかちたちと短期滞在できるコリビング(シェアハウス+コワーキングスペース)の場所で落ち合って、そこで各自がどこへ旅したいか、ないを得たいかを共有して、そこから分散して1人になって旅にすることにした。そのほうがみんなどうしてるかなぁとか心配しなくって済むし。

 旅に出るスタイルはいわゆるバックパッカースタイル、大きなリュックスタイルのバックパック1つに中くらいのスーツケースの2つのバックにに最低限の荷物をいれて旅をする。だって2年を超える旅になるわけなので、洋服は基本洗濯するのが前提。なので、下着は3組、トップスは半袖と長袖が3組ずつ、ボトムスは2組、それに寒い時期のフリースやのフロントジップパーカーが加わればあとはそれを回転して行けば暮らせる。

 結局、人間なんて、起きて半畳、寝て一畳、スーツケース以上の荷物なんて不要なんだなってことが、改めて気付かされる。死ぬのときには何も持って行けないわけなんだから、極力、ミニマリストな暮らしをしたい。そういうライフスタイルにも気付かされるのがこの旅のいいところかもしれない。だから大人達はみんなシンプルな生活をしてる。これって本当に必要なものしか手に入れないし、環境にとっても、とってもエコなことなんだと思う。

 基本、毎晩泊まるところは、こういうコリビングやホステル、ドロップインでとまれるシェアハウスになる。ほとんど違いはないんだけど、コリビングは長期滞在用で、個室が中心、ホステルは、ドミトリー(2段ベッドの共用部屋)、シェアハウスは、基本ずっと住んでる人がいる所だから、誰かが旅にでていて、一時的に開いてるよっていう情報がながれたときにだけ利用できる。どこも大きめの共用ダイニングキッチンとリビングがあって、ホテルや旅館と違って、自分でご飯作って食べる感じ。

 最初のコリビングでみんなとであって、一緒にご飯をつくって食べて、その後、地図を広げて、みんなの行ってみたいところをはなしあった。 

 けいとは、西の端の島にある、ロングボードに最適な波がくる浜にいって、波乗りしながら、少し長めに住んでるかもって言ってた。波乗りと、ヨガと、瞑想は隣同士だし、波は一日たりとも同じ波が来ない、毎回、新しい自分との出会いなんだていってたけど、そういう所が、自分の内面への旅に近いのかも。 
 ゆかちは、北のほうにいって、魔法使いに会ってみるっていう。魔法使いは占いができるので、しっかり占ってもらって、これからどうするのがいいのか、しらべてもらうんだって。ゆかちは、すこしジェンダーの揺らぎがあるから、余計にそう思うのかも知れない。さらに、自分が他人を占うことができるようにもなりたいっていってた。それは占いだけじゃなく、カウンセリングやヒーリングをまなぶことになるだろうってことだった。

 ちゃんと考えてる2人に正直びっくりで、そんなわたしはノープラン。もうちょっと下調べしておきゃよかったかなぁとか思った。でも思いつきばったりの旅も、考えてもなかった出会いがあるかもなって気がするんでよいことにした。

ゆかち
「んで、カナは、どこにいってみるん?」

わたし
「うーんと、ゆかちが北で、けいとが西だから、残ってるのは、南か東かなぁ? 南や東にはなにがあるんだっけか?」

けいと
「南は穏やかな海があって、のんびり暮らせるし、東には大きな山や、その麓の高原があるよ。どの方向にいっても、国境だから、となりの国の人たちにも会えると思う。」

 高原か穏やかな海。どっちも好き。わたしは小さい頃キャンプとか好きだったので、山派だったけど、いまはSUPとか体験してから海派になりそうな感じ。

 でも、遊びにいくんじゃなくって、あくまでもどんな大人になりたいのかを独りで考えるための旅、だから、つい遊んじゃいそうな海じゃなくって、ひっそりと高原にいって、と高原特有の透明な空気を、いっぱい自分の中いれて、体を入れ替えて考えて見ようと思った。

 次の日、3人はそれぞれの目的に向かって、宿を出た。サーフボードを乗せて車で行くけいと、鉄道とバスを乗り着いていくゆかち、ヒッチハイクをするわたしに別れた。わたしはお金も節約したかったし、気ままな旅だったから、ヒッチハイクをすることにした。

 ヒッチハイクをするには、大きな街道にでて、画用紙に目的地を書いて、車に見せる。よく映画でやってる、親指をあげるサインは、意外と伝わらない。ターゲットになる車は2つ、長距離トラックと、独りで運転してる営業の車。トラックは鉄板として、独りであっちこっちを営業してまわってる車は意外と乗せてくれる。近場が担当じゃなくって、1つの営業所で、かなり広範囲の地域を担当してる人。隣町ぐらいじゃなくって、、隣の隣のさらに隣の街ぐらいまでが担当の人がねらいめ。

 基本的にはヒッチハイクは日中しか捕まらない。やっぱり、知らない人を夜のせるのは、ちょっと心配だから。そして、最初から、遠くの目的地を目指してもだめ、その日のうちに到着できるぐらいのところにして、すこしづつ距離を稼いく。夜は道の駅か、ちかくのホステルで過ごし、また翌日またヒッチハイクをする。宿代と深夜バス代ってそんなにかわらないから、うまく野宿する場所が見つからなかったら、夜行バスをつかってもいい。そうすれば距離が稼げる。わたしも1回だけそうした。

 ヒッチハイクの車の中では、いろんな話をする。だって、お互いはじめましてなわけで、相手のプライベートゾーンにお邪魔してるわけなので、自分がなにものなのか、どうして旅をしているのかは説明しないといけない。

 でも、この世界では、子供から大人になるときに旅をするのは当たり前だから、乗せてくれるひとは、みんな理解あるし、親切。さらに自分が旅をしたときの話をしてくれる。それがヒッチハイクの大きな魅力。

 まず、バイパスにでて、白いステーションワゴンにのった営業さんの車に乗せてもらった。まずは、ちょっと離れたハイウエイの入口の近くまでお願いする。

 18歳の旅立ちなの?って聞かれて、うんって答える。乗せてくれた人は、まだ若かった。自分はてっきり女の子になるもんだって思ってたけど、旅にでて、色な人にであって、こうやってあっちこっちにいる人と人をつなげる仕事がしたいなぁって思ってたら、なぜか、気持ちが先に男の子になったんだよって教えてくれた。そうなのかぁ。人と人をつなげる人って、男子にも女子にもいるけど、この人の場合は男子のほうが自然だったのかも知れない。いろんなコトを教えてくれたり、気おつけないと行けない場所や人を教えてくれたりするうちに、ハイウェイの入口に到着した。ここで丁寧にお礼を言ってお別れした。

 ハイウェイ横に小さな食堂があって、これから長距離をはしるドライバーさん達がご飯を食べてる。わたしもそこで、軽く食べてから、ハイウエイ入口から少し離れたところで、ゲートの職員さんに見つからないようにヒッチハイクをする。ほんとはここでやってはいけないから。ご飯時間でドライバーさんにご迷惑をかけないのもポイント。でも仲良くなったら、たまにご飯奢ってもらえることもある。ラッキー。

 さて、ヒッチハイク再スタート。長距離トラックは深夜に出発して、早朝に到着することが多いので、この時間は中距離のとラックが多い。でも長距離トラックがいないわけじゃない。とはいえ、簡単乗せてくれるひとがみつかるわけじゃない。目的地が違う人、そもそも他人と旅をしたくない人、会社の規定で禁止されてる人、ともかく急いでる人、いろいろいる。なので、乗せてもらえるのは、本当にごく稀。10台に1台のせてもらえればいいほうで、へたをすると、100台に1台も乗せてもらえないこともある。夕方から夜にかけては特に難しい。だから午前中のはやい時間からお昼が狙い目になる。

 20台ぐらい過ぎたところで、1台の長距離トラックが止まった。目的地には行かないけど、その途中の分かれ道のと頃まで行くから、その手間のSAで下ろすならどう? そこは大きなSAだから、目的地方面に行くトラックも多いだろうから、乗り継げる可能性あるよっていうお声がけ。こんなありがたいお話なかなかないので、ぜひお願いします!って言って、高いところにある助手席に、よっこいしょって登って、乗せてもらった。

 大きな長距離トラックは大好き。普通の車からは考えられないような見晴らし。大排気量のエンジンがドロドロとトルクを産んで、ゆったり速度に乗せていく。まるで船に乗ってるみたい。

 乗せてくれたドライバーさんは珍しくすこしお歳を召した女の子。あ、女の子っていったら失礼か、女性ですね。うん。女性。すっごく綺麗だった。

 なんで、こんな綺麗な女性が長距離ドライバーみたいな、基本、あんまり人に会わない仕事なので、もったいないなぁって思ってたら、聞くまでもなく、自分から話してくれた。

 実は、長距離ドライバーの仕事は、旦那さんがやってたってコトだった。子供がまだいないころ、旦那さんについていって、一緒にトラックにのって、国内のあっちこっちに一緒にいったことがあったらしい。さっきもいったように、まるでクルーザーや大型客船のように道を航路のようにきままに(一応配達してるわけだから自由じゃないけど)移動出来るのがいいなって思ったんだって。

 でも、旦那さんが、若いのに急死しちゃった。血液循環管関連の病気、脳溢血とか脳梗塞とか。基本、突然死。既往症(糖尿病とか、高脂血症とか)があると、結構、危機度が高い。でも、そんな既往症がなくっても、結構若い人でも死ぬ時は死ぬ。

 それで、彼女は、子育てが一段落したあと、旦那さんと一緒に旅したち長距離トラックからみた風景がわすれられなくって、一生懸命、努力して免許をとって(普通免許ももってなかったのに!)大型免許をとって、長距離トラックドライバーになったんだ。

 トラックは、郊外のハイウエイを、順調に巡航していって、町外れになると、ほぼ直線の荒野を走って行く。でもすっごく遠くの地平線に近いあたりに、ちらちらと目指してる東の山々が、小さな起伏にあわせて、見えたり消えたりする。山頂には雪が積もってるから、すぐにわかる。でも近そうに見えて結構遠い。順調に乗り継いでっても、2日はかかるかなぁ。

 しばらく進むと、少しずつ高度が上がっていた感じがする。エンジンの音がかわって、まどから入ってくる風が、少し冷たく乾いてくる。ぼちぼち、このトラックともお別れ、分岐点のあるSAに着く。そろそろ日が落ちてきた。でもシーズン的には白夜の少し手間だから、真っ暗になることはない。

 SAについて、ドライバーの彼女に丁寧にお礼して別れる。イートインで軽く夕ご飯を食べて、次ぎの車を探すか、一晩ここで過ごすかを考える。白夜の少し手間とはいえ、少し着込めば野宿はできる。その用意はしてきたし、いつも独りでキャンプしたりしてたから、その辺は別に慣れてる。違うのは昼夜ひっきりなしに車が出入りして、ずっと明るいってことだけ。

 ご飯食べたら少し眠くなってきたから、今晩はここ一晩を過ごすことにする。この地域最大のSAだから、温泉があるので、体を温めて入ることにする。私たち性別のない子供達は、基本的にどっちにはいっても構わない。でも少しそこに自分の選択があるようで悩む。どちらにしても、露天風呂は混浴なんだけど。

 お風呂にはいって、照明が当たらない木陰に寝床を作る。使うのはダウンの寝袋とスリーピングマットとビビーザック。ビビーザックっていうのは、テントというより、防水透湿素材で出来たの寝袋カバーのようなモノ。普通の寝袋カバーと大きく違うのは、顔のところだけフレームが入ってて一応、空間ができること。テントのように重くないし、組み立ても寝袋とマットをいれて、顔のところのフレームを差し込むだけだから、ほんと瞬殺で完成する。わたしのお気に入りギアー。キャンプのときには、この上に小さなタープを広げれば完璧。万一雨が降っても、タープの下で調理ができてご飯が食べられる。

 とはいえ、今回は登山ではなくって、旅だから、そんなに調理道具は持ち歩いてない。雨降ったら素直にホステル、野宿は緊急事態だけなので、タープも持ってきてない。寝袋とマットと、ビービーザックだけ。調理器具は、美味しい珈琲が飲みたいから、ホステルにはないだろう小さなコーヒーミルと、コーヒー豆、小さなアルコールストーブと、なんでもつかえるメスティンだけを持ってる。水はペットボトルは環境に悪いから、ドロメタリーバックっていうウォータータンクを持ち歩く、登山の時は4Lいっぱいにいれるけど、いまは半分いれて、朝昼晩とコーヒーを淹れて飲む。そうすればいつでも挽き立てのコーヒーが飲めて、環境に優しい。

 寝床を作って、太陽電池で充電できる折りたたみの小さなランタンを灯して、眠くなるもをまつ。車の音をかき消すために、音量を落として、優しい音楽をストリーミングの動画サイトから、ワイヤレスのスピーカーから鳴らす。普段、何かをしてるときは、JAZZを架けるのが好きなんだけど、夜も深まったときは、ちょっとチルアウトなローファイのヒップホップが好き。歌モノじゃないから、気が散らない。かといって歌モノが嫌いなわけじゃない。カラオケいって絶唱もするし。ただ詩の内容に気持ちがいっちゃって、聞き流すには辛いときがある。

 さて、眠くなってきた。明かりと音を消して、眠りにつこう。

 車はどんどん高度を上げていく、酸素が薄くなっていくから、エンジンもちょっとした坂でもうなりながら登って行く。SAで乗せてくれた人は、高原でペンションを経営してるオーナさんだった。街にDIYのための工具を買いにいった帰りのところを捕まえた。SAをでて分岐点を曲がって、3つめの出口からハイウエイをでて、高原を目指すバイパスにはいる。下の村と、上の高原のあいだに大きな坂があって、そこを登ると一気に空気が澄んでくる。木々は杉の木から白樺に代わり、そのすき間から雪を山頂にかぶった、大きな山が見える。

 オーナーさんは、自分探しの旅が2年でおわらず、10年以上、性別もあいまいなまま、世界中を旅してきたって話だった。そして、数年前、旅でであった人がパートナー(女性)になったことを切っ掛けに、旅で尋ねた場所のなかで、1番気に入った場所に、旅人が気軽にたずねられる、ホステル風のペンションをつくったんだそうだ。

 彼は、その場所を、「終の棲家」と呼ぶ。初めて聞いた言葉。すなわち、そこで人生を終える場所。産まれて育った場所で、そのまま人生を終える人も多いけど、同じぐらい、産まれた場所を何らかの理由で出ていって、その時の職場やパートナーとの関係で、住むところを、その度に変えていく人たちもいる。 いつかは産まれた場所に戻るんだって、考えてる人もいれば、産まれた場所は何かの理由で誰もいなくなってしまい、帰る場所がないから、自分で終の住処を選ばないといけない人もいる。

 わたしのパパ、ママは、その土地で産まれて、旅をして、また戻って其処に家を建てた。多分ずっと死ぬまでそこにいると思う。でも、わたしは3人兄弟だから、だれかはその家を継ぐ事が出来たとしても、残りの2人は家を出ないといけない。もちろん、継いだ子に少しお金を協力してもらって、近くに家を建てて住む事は出来ると思うけど、そもそも、どんな仕事について、どんな生き方をして行きたいかが見えないことには、住むところも決まらない。その為の旅なんだし、わたしもいつか終の住処を見つけなきゃって強く思った。
 
 オーナーさんのパートナーさんはもういない。ゆっくりゆっくりいなくなっていったって話してくれた。その間、彼はなんにもできなかった。一緒にいてあげること以外は…

 彼は、
「カナちゃんさえよければ、ここに当分いてもいいんだよ。ゆっくり将来を考えればいい。宿代は、スタッフとして働いてくれれば、それでいい、少しお小遣いが残るぐらいは払えるから。」
と、言ってくれた。当面はそのお言葉に甘えようと思うけど、ずっとはいれない。その覚悟がない。

 なぜなら、ずっといるということは、それは彼の新しいパートナーになることを意味するからだ。もちろん年齢も離れてるし、仕事上のアシスタント的なパートナーかもしれないし、ちゃんと仕事を覚えたら、ビジネスパートナーとして認めてくれるかもしれない。

 でも、二人っきりでいるってことは、もっとプライベートな関係に発展する可能性があるってことかもしれない。そうすると、彼は男性だから、わたしは必然的に女性に変化することになってしまう。まだ、自分の性自認がハッキリしないのに、それは無理だ。正直、2年の旅の間でそれをハッキリさせる自信すらない。
 
 わたしはその辺をあいまいにしたまま、オーナーのホステル兼ペンションを手伝うことにした。建物はダブルベットのある個室が4つと、2段ベッドが4つある、バックパッカー向けの混合ドミトリーが1つの合計5部屋。お風呂やキッチン、洗面台は共用で、各部屋には付いてない。でも寒い場所だから、各部屋には薪ストーブがある。朝食は、食べ放題のパンと、コーヒーか、ショコラか、カフェオレがある。昔の言葉でいうとコンチネンタルブレックファーストってやつ。その代わり夕食は、各自で食べてもらう。外食する人たちもいるけど、近所にレストランなんてないし、少し離れた場所にあるスーバーで、簡単な食べ物を買って、キッチンでご飯を作って食べる人が多い。でも気分によってはオーナーが腕を振るまい夕飯を作って、そのまま宴会になることも稀ではない。

 宿にはドミトリーを使うひとり旅の人もいるし、個室を使うカップルや家族の人たちもいる。ホステル併設とはいえ、基本はペンションだから、夕飯が原則付いてないこと以外は普通の宿。家族のひとが来たときは、ギリギリはいるエクストラベッドを2つ部屋にいれて、4人までは一部屋で寝泊まりしてもらえるようにする。

 宿のお手伝いとしてまず教わるのは、薪割り。冬が本格的になる前に、各部屋の薪ストーブにくべるための薪をひたすら作る。できた薪は、裏側の壁沿いに天井に届くまで積み上げて乾燥させる。初めての薪割りはなかなか狙ったところに斧を振り落とせなくって、太いのと、細いのができちゃったりしたけど、慣れてくればちゃんと割れるようになる。。

 薪割りがおわったら、個室のベットメイクと、共用スペースも含めた掃除。ドミトリのベットメイクは借りた人各自が自分でやって、使ったシーツはお風呂の前の籠にいれてもらう。そうやって集まったシーツを洗濯して、太陽に当てて乾かせば、一日のお仕事は終わり。やっぱり、夕ご飯を作らないでいいのは、すごく楽。15時ぐらいには、ほぼ仕事はおわってるので、あとは本を読んだり、お散歩したりする。そして、夕方、シーツが湿気る前に取り込みさえすればいい。

 高原には、なにもないがある。点在するペンション。たまに併設されているレストラン。遠くのほうには学校寮がある地域。いっときブームになったときにできたチープなお土産屋さんの廃墟。標高四千メーターを超える山への登山口。そして感染症の隔離施設しかなかったこの場所に、開拓民が入植し、小さな村ができた切っ掛けになった、教育牧場がある。

 高原は、あまりにも寒いので、基本的に農作物の生育がわるく、高冷地野菜と言われるモノしか作れない。いまでは、隣村に、新鮮なレタスを、街で出来る時期とは違うタイミングで出荷できることを売りにした、大規模農地があるけど、自分がいるところは微妙に傾斜地なので、大規模な農地が作りづらく、基本は牧畜と観光だけが盛ん。耕作地はみたことがない。

 牧場では、普通の牛ではなく、もっと脂肪率が高いめずらしい牛を中心に飼っていて、濃厚な牛乳や、バター、ソフトクリームなんかを売ってる。とはいえ、観光施設ではなく、高冷地牧畜の実験研究施設だから、沢山売ってるわけじゃなく、欲しかったら、結構、朝早くに行かないとすぐ無くなる。大量販売を前提とした生産工場があるわけでもないし。

 この高原は、山を中心にして、北麓と南麓がある。私がいるのは南麓。北からきた、海で湿気を帯びた雲は、北麓にいっぱい雪を積もらせて、湿気がなくなった冷たく乾いた風だけを南麓に吹かせる。だから、南麓は雪が、基本的に積もらない。雪が積もる北麓より、風が冷たい。雪が家の周りに積もって断熱効果があるわけでないので、本当に冷たい。寒いじゃない。冷たい。

 この冷たい風をつかって、薫製を作る。三枚肉やソーセージなどを風にあてて、乾燥させ、生ハムなどを作る。たまにゆで卵とかも薫製するんだけど、これらがたまらなく美味しい。本当にお酒がすすむ。薫製は、発酵とならんでマジックだと思う。

「カナちゃんご飯できたよ!」

 ベットメイクをしてたら、オーナーの呼ぶ声がする。お昼ご飯の時間だ。

「はーい すぐ行きます!」

 と、元気よく返事。とりあえず元気だけが取り柄な子。

 茹でたてのパスタが並ぶテーブルに走って滑り込む。この時間帯はお客さんもいなくって、ゆっくりご飯が食べられる時。
「カナちゃん、そろそろ3年だよね。何か少し見えてきた?」
 あれ、わたしまだ2年だと勘違いしてた。そっか、もう3年になるんだ。本当なら、少し体の変化とか合ってもいいはずなのに、全然その傾向が見えない。相変わらず、中性というか無性。
「前言ったこと、考えてくれた? ずっとここにいること。」
 
 オーナーは、いつもご飯を口にほおばりながら、おしゃべりする。
「うーんと、まだ、答えがみえないんですよねー、大体、体の変化も全然ないし…。わたし奥手なんですかねぇ」
「そうなんだ、こないだそんな感じしなかったけど」

 そう、この話をするのは今回がはじめてじゃない。ことある毎に聞いてくる。ようするにわたしを口説いてるんだと思う。
 実は、オーナーとは何回か関係を持った。お客さんが寝静まった深夜、二人でワインを5〜6本空けて、オーナーの旅の話や、わたしの産まれた場所の話、いっしょに旅を始めた友達からきた手紙の内容とか、いっぱい話した。彼の話はよく聞いてたけど、自分の話をじっくりしたことってそういえばなかった。それはお酒が入ってたからかもしれないけど、自分のことをこんなに他人に話すなんて不思議な体験だった。

 一通り酔った勢いでしゃべっちゃって、そして沈黙の時間が流れた。その間、彼はずっとだまって聞いてくれて、時折うなずいてくれた。黙っちゃうと、酔っ払ったせいか、急にねむくなって、その後記憶がない。気がついたら、彼のベッドに横になっていた。別に裸になってたとかじゃなく、吞んでた時のままの姿で。彼は横のソファーで寝てた。

 アルコールで眠ちゃったときは、かならず中途覚醒する。結局、睡眠時間は短く、、中途半端な時間に目が覚めてしまったので、ぼーっとしてるような、すごく冷めてる感じがするような、でも二日酔いで頭も痛いしっていろいろで、なんか、急に誰かに甘えたくって、そのまま彼の寝てるソファーに潜り込んだ。

 そしたら、彼起きちゃったみたいで、そのままぎゅーってしてくれた。そのまま流れで…みたいな。でも、わたしまだ体かわってないので、そういう行為は最後までできない。ハグして、チューして、そして、あっちこっちにキスされて、それで終わり。でも、それで充分。すこし彼の領域に入れたような気がした。

 そんなことが、何回かあったんだけど、それとて、そんなにセクシャリティなエッチなことをしたって感覚はなくって、むしろ、歳の離れた兄に、頭なぜなぜしてもらった感にちかい。これを続けてれば、もしかしたら私は女の子になったのかもしれないけど、いきなりそうなるわけでもなくって、自分で、こっちにいくんだなって分かってから、2年とか3年かけてからだがかわっていく。だから、もし恋して、だれかに体をあずけたくなたり、あずかったりしたくなったとしても、数年またなければできない。残念ながら。1番気持ちがもりあがってるときにできないんだなぁ。これが…。

 わたしは、昔、奥さんがいたとはいえ、いまはひとりの彼のところにお世話になってる時点ですこし女の子側に振れてきてるのは確かかも知れない。でも、ここは宿なわけで、客室とプライベートゾーンは別れてるとはいえ、キッチンや浴室は共用だし、けっして二人で暮らしてる感はない。でも、まぁ女の子でもいっかって気持ちがないわけじゃないけど、絶対、どうしてもわたしは女の子!みたいな、強迫観念はない。だから、ちゃんと振り切れなくって、女子っぽい中性みたいな中途半端なところでぶらぶらしてる。

 その事を、彼も少し心配してるようで、だからわざと、わたしを抱こうとしてるのかもしれない。多分、彼なりの優しさなんだと思う。でも、女の子になるのと、男の子になるのと、決定的に違うのは、自分の体の中に命を宿すということ。逆に言えば、月末以外の子育てが実質ない私たちの世界では、それ以外に大きな違いはないのかもしれない。

 別に、女の子になって、誰かとの子供を宿してもかまわないんだけど、彼の子を…って考えると、それはないな。決して嫌いじゃないけど、どうしても、歳の離れたお兄ちゃんに見えちゃう。むしろ、あり得るのは、同い年ぐらいの男の子。もっといえば、幼なじみがいいかもしれない。いろいろ最初から、分かり会えてて。でも、今の時点で、だれが男子になって、誰が女子になったかっていう正確な情報がないし、そもそもみんな、故郷ちゃんと帰ったのかどうかも分からない。そんなことを、つらつら考えてたら、もしかしたら、そろそろ帰り時なんじゃないかなって、思い始めた…。

第2章 けいとの場合

 わたしは海が好き。具体的に言うと、波が好き。波は一度足りと同じ波は来ない。わたしが産まれた街には、海はなくって、最初はスケートボードから始めた。公園(パーク)にいって、階段を飛び越したり、手すりの上を滑ったりする、フリースタイルっていうのをやってた。

 しばらくして、仲間から波乗りしてみない勝って誘われて、少し離れたいい波がくる、海水浴客なんてだれもいない、スポットに連れて行ってもらった。貸してもらってロングボードで、教わったとおり波をまち、波が来たら、一生懸命パドリングをして、波において置かれないように付いていく、タイミングがよければ立ち上がって波にのる。最初はそんな簡単に波にのれるわけじゃなく、すぐに転んでしまったり、パドリングで付いていけなくって波に乗れなかったりする。でもウレタンフォーム出来た初心者向けのロングボードなら、小さな波なら1日練習すれば少しは乗れる。まずはこいつで感覚を身につけて、こんどはウレタンじゃなくって、ちゃんとフォームを削り出したボードにのって波にのる挑戦をする。初めて乗れたときの快感は、永遠に忘れないと思おう。

 サーフィンの世界では、ローカルという地元のひとが、事故が起こらないようにローカルルールを決めたり、早朝からビーチクリーンをしたりして、そのポイントを守ってたりする。自分達は、あくまでもローカルのひとにその場所をお借りしてる立場だった。

 旅をするにあたって、自分は、あっちこっちを訪問して、いろんな人にあって、自分を見つける旅よりも、気に入ったポイントに根を下ろし、ローカルの人たちと交流して、いつかローカルのメンバーにいれてもらって、じっくりと一箇所にとどまって、常に変わる波と、ローカルのひととの関わりとの間で自分を見つける方がいいと思った。

 目指す場所の条件は、自分が好きなロングボードにあった波がくるところ。そしてローカルコミュニティがしっかりしてて、サーファー向けのゲストハウスがあるところ。

 若い子は、ショートボードや、ファンボードでトリッキーな波乗りをしたい人のほうが多いし、ロングボードはどちらかというと、そういうボードに飽きて、まったりと波乗りをしたい歳を取った人が多い。でも、自分はそのロングボードならではの乗り方に惹かれて、最初からロングボードで行くことを決めていた。

 サーフポイントは、ボードの長さにあった波が来る場所によって、それぞれ分かれる。ショートボードが推奨されているポイントでロングボードをだすと、場合によってはBANNされる。だからポイント選びは大切。

 まずは、いつも通ってたポイントに行ってみて、そこでいろいろ話を聞いてみて、よさそうなポイントに移動して、そこが気に入ったらそのを当面の定住の場所とする。いろんな波を楽しむ為にポイントを変えていくサーフトリップっていう旅のスタイルもある。サーフトリップしていって、気に入ったポイントがあれば、そこのローカルとして定住って感じがいいかなって思った。

 ロングボードは当然大きい。鉄道でいけないこともないけど、鉄道業者によっては、ショートやファンはOKだけど、ロングはダメってところがある。だから、今回は、まずは中古で車を買って、サーフラックをつけて、車で旅をすることにした。そうすれば、車中泊の用意もすれば、宿代も浮くし、きままに定住までの場所として最適かなって思った。

 先に鉄道で出発した、カナとゆかちを追いかけて、両親に挨拶をしてから、落ち合うコリビングにむけて車をだす。場所は、ハイウエイで2つ先のインターで降りて、少しいった場所。そんなに遠くはない。お昼前に出発すれば、夕ご飯時には到着するはず。そうナビがいってる。 

 小さな中古のSUVに、むりくりロングボードを上に乗せて出発する。多分車の長さからいって、違反すれすれ。メジャーで測られるとやばいかも。後部座席には、着替えや読みたい本が詰まったリュックサックが1つ。あと、メッシュの大きな巾着に、秋冬にサーフィンすることを考えて、ロングジョンやフルスーツのウエットなどをのサーフィン道具を一揃え。たまにSUPサーフも楽しみたいから、カーボンの2ピースパドルも用意した。本当はサーフィンとSUPはボードの形がちがうんだけど、ま、細かいことはこだわらない。

 ハイウエイに入る直前のカフェで、ソイミルクのカフェオレと、ビーガンなバゲッドサンドイッチで軽く夕食を取る。波乗りをうまくやるためには、日頃の食生活や、体調管理、メンタルを整えることとてもが肝心だ。だから、可能な限り、体にも環境にもよい食べ物をとり、エネルギーは自然エネルギーを使う。大昔は車も排気ガスを出してたって聞くけど、今の車はなにも出さない。車によっては水蒸気を出しながら走るものもあるけど、それは基本的に馬力のいるトラック用で、自分の乗ってるような小型車は何も出さない。でも、車を作る過程、破棄する過程で、なにが、環境に影響のあるものを出す。だから、できるだけ長く大切に使いたい。イマドキの車は、パーツパーツ単位でユニット化していて、ユニット自体をアップデートして交換すれば、車自体の性能は、新車と変わらない。アップデートに必要な費用も、メンテナンス会員になれば、月々ちょっとだけ費用を負担すれば、高額なアップデート費用はとられないので、とても助かる。いろんなことが、昔の時代で問題となったものが改善されて、今のこのよき時代があるんだと思う。そこに行き着くまでの道のりや苦労は大変だったんだろうなって、つくづく思う。

 お昼ご飯を食べ終わり、ハイウエイに乗る。急いでる旅じゃないから、巡航速度になったら、自動運転に切り替えて、あとは、好きな本を読みながら進めばいい。出口に近づいたら、アナウンスがあるから、手動運転に切り替えて、市街地を通過して、離れにあるコリビングを目指す。基本的にナビが誘導してくれるんだけど、ナビばっかりを頼りにしてると、土地勘がわからなくなるし、人間だめになるから、一応、折りたたまれた紙の地図の一部を広げながら、これから通る街の位置関係を把握しておく。

 ☆

 コリビングに到着したころは、夕暮れが綺麗な時間だった。着替えが入ってるリュックだけを降ろし、宿に入ると、カナとゆかちが、キッチンで夕ご飯を作ってた。その街で採れた野菜と魚介類だけでつくったパエリアだ。サフランの良い香りが部屋中に充満してた。

「あ、ゆかちお帰り!」

 カナとゆかちが、まるで双子の兄弟のよう
に揃って声をかけてくれる。

「おう、ただいま! お腹空きすぎだよ。めちゃうまそうじゃん。」

 そう言って、リュックをソファーに掘り投げ、キッチンのカウンターに滑り込む。
 ゆかちが、そろそろと危なげに、テーブルにパエリアパンをもっていく、そのとき、無謀さに投げ出されたいたネットワークケーブルにつまずき、パエリアパンは中を舞ってし
まった。

「あ!」

 3人そろって、声を上げる、パエリアパンはゆかちの手を離れ、1回転して床に落ちる。
でも、運良くそのまま、少しだけこぼれただけで、床にそのまま着地した。

「セーフじゃん! ゆかち!」

 ひっくり返ってるゆかちを起こすために、手を差し伸べながら、フォローの言葉を投げかける。ゆかちは、自分の腕に体重をかけながらゆっくり立ち上がった。
「けいと、ありがと。ご飯よかったぁ。もうちょっとで、今日の夕ご飯なくなるとこだったね。」
「だって、一回転してるんだもん。ひさしぶりに笑っちゃった。」
 
 3人で大笑いしながら、食卓につく。冷えたカヴァ(南の国のスパークリングワイン)をカナがグラスと一緒に持ってきてくれて、まずは再開を祝って、乾杯することにした。

 ご飯が美味しいと、アルコールがすすむ。このままベロベロに酔っ払って、ソファーで寝てしまいたい気持ちだったけど、カナが大きな地図をソファー前のテーブルをどけて広げだした。
「ねぇ。みんなどこに向かって旅するの?」
 カナがワイングラスをテーブルからフロアーに取りに行きながら、みんなに問いかける。みんな、どこにいって、何者になって帰ってくるのか気になるんだ。

 「わたしは、自分で自分を見つける自信がないから、占い師にあってみて、いろんな角度で占ってもらいたいんだ。だから、こないだオンラインで占ってもらった先生にあってみたい。」
そう、ゆかちが言う。
 「わたしは、正直、どこにいったらいいのか分かんないんだよね。だから、二人と違う方向に向かって旅するつもりよ。」
 カナが、ワインを一気に飲み干して、ちょっと赤くなった顔で言う。
 「そなんだ、わたしは、サーフィンができればいい。だから必然的に西海岸かな。」
 そういって、酔ったからだをソファーに預けながらつぶやいた。
「じゃ、占い師さんは北にいるし、けいとのサーフポイントは西だから、わたしは、東か南ね」
とカナ。
 
 東になにがあって、南になにがあるか、そしてなぜわたしが西でサーフィンがしたいのかを少し整理して伝えてみたら、カナは、東の高原に行きたいって言い出した。これで、3人の目的地はきまったんだ。

 いつも通ってたサーフポイントに着いて、サーフショップのオーナーに挨拶する。数日間、サーファー向けのシェアハウスに滞在して、その後の旅先を決めたいってことを伝える。オーナは当然のことのように快諾してくれて、とりあえず、開いてるドミトリーは右の部屋の2段ベットの上だけだから、そこにまずは荷物を投げ込んで、1、2本波に乗ってくればって言ってくれる。その言葉に甘えて、少し冷たくなってきた海にあわせて、起毛のラッシュガードとウェットの中間のようなウエアーをみて、その上にロングジョンを着る。車のキャリアに積んであったロングボードを起こし、車からフィンと、リーシュをだして、浜の方に向かっていった。海には、膝〜腰のロングボードには良い感じの波がきてるようだ。

 浜にでて、軽くストレッチをした後、すこしボードの上で瞑想をする。こうやって自然と波と自分を一体にして、精神を集中するんだ。
 長めの(自分が感じただけでそんなに時間はたってないのかもしれない)瞑想をおえて、波打ち際にボードを浮かべ、その上に馬なりになって、バランスを取る。そして、ゆっくり寝そべって、両手でパドリングして、波がブレイクしてる、少し後で180度回頭しえて、浜のほうを向いて、他の人に邪魔にならないように、順番を気にしながらゲッティングアウトのチャンスをうかがう。

 基本的に、サーフポイントでは、波のピークに一番ちかく、一番先にテイクオフして立ったひとが優先。たとえば右から波がブレイクしていく場合、右側のひとが優先となる。 これは明文化されてるわけじゃないけど国際的なルールだ。基本1つの波には1人しか乗っちゃ駄目。人の波を横取りするなってもってのほか。ローカルの人しかのってはいけない浜もある。ここはシェアハウスのあるサーフショップがある場所だから、ローカル以外も歓迎って思われがちだけど、あくまでも自分達は、そのシェアハウスにある程度長期に滞在するってことを前提に、準ローカル扱いしてもらえてるだけだ。子供の頃に日帰りできてたときは、あくまでも子ども枠ってことでOKだったんだとあとから分かった。

 一般にロングボード向きの波、ショートボード向きの波っていうのがある。その為、そういう波が立ちやすい浜によって、異なるボードが好きなサーファーがいる、
 ロングボードはどちらかというと遠浅の海で、遠い沖から波が割れだして、インサイド、すなわち浜の近くまで波が続くポイントだ。さらにそれが、決まった方向から定期的に規則正しくわれてくるといい。陸から海に向かって吹くオフショアの風があり、ブレイクしたあとの海はガラスのようにつるつるだとなおさら言い。

 よくテレビとかでみる、おおきなチューブにはいって、そのなかを駆け下りていくサーフィンを見たことがあると思う。もちろん、そんな巨大な波がでるポイントなら、ロングボードでもチューブメイクをすることは可能だ。でも、ロングボードの魅力は、遠浅の長く続く波にのって、ノーズライティングして体重移動したりすることにある。なかには愛犬を前にのせて、いっしょに波乗りしてるひともいたりする。

 自分も始めた頃は、チューブのなかをずっとキープするようなサーフィンにあこがれたことがある。でもこの国にはそんな大きな波が常にあるポイントはない。唯一あるとしたら、南の遠くに台風が発生して、そのうねりだけがこの国の海岸に到達して、普段では出会えないような波が発生することが、台風シーズンにはよくある。その恩恵に合えるのは、当然、そこに住んでるローカルだけで、何も都合よく、休日にそんな波が発生するなんてレアケースだ。だからこの国で本気でサーファーになりたかったら、住んでる場所から離れ、サーフショップとかでバイトしながら、海の近くでローカルとして生活していくしかない。

 ほどよい波に2回ほど乗れたあと、今日は早めに切り上げた。ここにいるのは1月ぐらいのつもり。オーナーやローカルのひと、サーフトリップの途中で立ち寄る人たちに、いろいろ聞いてみて、自分がローカルとして、住み続けられる場所を聞いてみるつもりだ。その短い間だけ、いまのサーフショップでアルバイトさせてもらい、そのかわりシェアハウスの家賃を、負けてもらう約束をした。

 夕暮れになり、水平線が薄赤くそまっていく、この時間の静寂が好きだ。今日はフルムーン。もう少ししたら、この静寂を破るようなラブリーでハッピーなサウンドがこの浜を埋め尽くすだろう。そう今日はフルムーンパーティがあるんだ。月に1回あるかないかのパーティは、ローカルはもちろん、あっちこっちから人が集まり、みんなピースフルなカッコを思い思いに着て、流れるサウンドに身を寄せて、体を揺するように踊る。静寂も大好きだけど、同じぐらい、この自然の中で、大音量の音楽に、身に寄せて踊るのも好きだ。かかる曲は、BPMがすごく高いものじゃなくって、もう少しラウンジより。それでもちゃんと踊れるぐらいのテンポ。だからうるさいなんて思ったことは一度もない。

 パーティがある場所には、そこに集まった人を目当てにキッチンカーが何台かやってきて、いろんな国の料理が食べられる。波と戯れると、とてもお腹が空くので、ダンスパーティの輪にはいる前に、腹ごしらえをすることにした。どれを食べるか悩んだ末、南の国のみどり色の辛いカレーを食べることにした。 魚醤と言われるしょっぱい調味料をご飯にかけて、ルーとご飯を混ぜながら食べる。辛いけど、ココナッツの甘さもあって、ご飯がすすむ。自分的には、結構ヒットかもしれない。食べ終わった、紙を固めて作った容器を返して、まずは、まったりとした音が流れてる、サブフロアー的なところを覗いてみた。

 そこでは、メイン出かかってる曲とは全く違うモノがかかってる。そもそもダンスミュージックですらない。遠い昔の歌謡曲。アイドルとか言われる人達がいた時代の曲だ。良くそんな音源を探し当てたと思う。DJブースの前では、子どもから大人になる手前の、ちょうど自分と同じぐらいの子達が、歌謡曲にあわせてフリをして、踊ってる。かかってる曲が、恋愛系のキュンキュンソングだから、踊りも当然そんな感じになる。みんなわたしと同じく、性別はまだ決まってない訳なので、そういうのを踊るとまるで少女だ。自分はサーフィンとかやるので、基本スポーティだから、何となく男子よりになってきてはいるけど、別に女性のサーファーだっていっぱいいる。結局何をやるのかじゃなくって、どっちになりたいかとか、誰か好きな子がいるとか、そういう気持ちを強くもつことなんだろうなって思った。あの子達は、もしかしたら女の子になりたいと、強く思ってるのかもしれない。それって、要するに男の子に抱かれたいってことだと思う。わたしにはその気持ちはないな。

 フロアーの壁越しには、まるで踊ってる子と達を物色するような、いかがわしい目つきで、踊ることもなくじっと見てる人たちが何人もいる。できることならば、お気にの子をお持ち帰りしようと思ってるんだろうな。ようするに、ここはいわゆる発展場。その事を否定はしない。自分も島に来たときに、2度ばかし、興味本位とお金ほしさに、選ばれる側を体験してみたことがある。

 別に、男性に抱かれること自体には割り切ってしまえば抵抗感はなかったし、まだ自分は性別が決まってないから、そもそも、最後まではできない。だから以外と気軽にできた。要するに髭ずらの男子にハグされるだけのこと。肛門にいれられるのだけは、全力でこばんだ。それなら、ちゃんと女の子になって、しかるべきところにいれられたほうが全然いい。

 でも、その経験で感じたのは、選ばれる立場にも成りたくないということだ。自分の事は、自覚的に自分でしっかり選びたいいうこと。そこのとだけは、強く思った。

 サブフロアーで掛かってる曲は嫌いじゃないけど、なにか居心地の悪さを感じて、そそくさと、メインフロアーに移動した。フロアーといっても、そこはオープンエアーの場所で、満月の光をいっぱい浴びられる場所。ゆっくりと、掛かってる曲に身をゆだねて行こうとと思ってたら、友達から声がかかる。
 
 「けいとの探してるサーフポイントって、陸路でいくところじゃなくって、ちょっと離れた島嶼部にあるんじゃないかな」

 ここでであった、サーフィン仲間が教えてくれる。
 「なんで、島なの?」
 「だから、遠浅ではないかもしれないけど、海流が常にぶつかってるから、いつも、考えてるような波がある。本土のように、台風のうねりがくるまで、ずっとまってなきゃいけないってことはないみたいよ。」 

 海流が生んだ波って、うねりより小さそうで、実際の所どうなんだろうとは思ったけど、その前に、島暮らしってこと自体にすごく興味がある。天候が悪くなったら、本土から食料や日用品は届かないわけだし、本当に、海と共に暮らしてる感じがする。べつに、ロングに適した波がこないなら、ショートやファンに乗りかえてもいい。車でいけない訳だから、荷物もできるだけ整理して、よりミニマリストになることも出来るかもしれない。(後で聞いたら、貨物船で、車はあとから送る事も出来るらしい。)

 時間は過ぎて、満月だった月もどこかにいってしまい。ほんの少し東の空が明るくなってきた。フロアーに掛かる曲は、ダンサブルなものから、少しスローテンポで多幸感のある曲にかわった。アフターアワーズの時間がはじまったんだ。自分が一番好きな時間帯。このために、深夜にはあまり踊らず、体力を温存しておくんだ。

 残ってる人は、地元の人だったり、本当にこの時間帯が好きな人ばかり、なかには、わざわざ始発の鉄道できたり、夜の仕事がおわって、やっと自分のために遊べる所を探してやってくる人もいる。深夜の雰囲気とは、がらりとかわって、知らない人同士も挨拶したり、ハグしたりして、すごくラブリーな空気に包まれる。

 バーカウンターは、すでに掃除してて、アルコールはもう終了。その代わり、無料で飲めるコーヒーがでる。それを1杯吞んで、朝の気分になったら、フロアーに流れる曲に身をゆだねて、まったりと踊る。もうぎっちり混むことのない。ダンサー同士の空間は広く、踊っている人どうしが、アイコンタクトで、今の幸せを交換する。自分も、目を閉じて踊りながら、時折、開けたとき、そうやってアイコンタクトした。


 
 ブレイクしてる波を見ながら、ボードを海に浮かべて、パドリングしていく。遠浅のトロい波じゃない、ロングボードに不向きな波でも、乗りようはある。そもそも、このポイントには、誰もいないから、場違いなボードで波に乗っても、誰にも迷惑をかけることはない。

 結局、自分は島に渡った。島に来てそろそろ1年になる。車は、最初に尋ねたサーフショップに預かってもらった。必要な荷物だけをバックパックに詰めて、ボードといっしょに島に行くための船に乗った。本土から島までは約30時間。朝乗って、一晩寝たら到着する形だ。そして、メインの島から、もう1回船にのって、6時間ほどすると、今の島につく。島は、そうやって本土から、1つ1つ距離を取っていく毎に、島時間がゆっくりとなり、時代が1つずつ前になっていくを感じる。

 コミュニティーバスすらないこの島は、なにげに車がないと不便だ。若いサーファーは、自転車やバイクにサーフラックをつけて、ポイントまでいくのだけど、さすがにロングボードは無理。今住んでるところは、海に近いからなんとかなるけど、別のポイントにいくことも考えて、車を取り寄せることにした。

 車は、基本的に島にくる客船ではなく、人が乗らない貨物船にクレーンで持ち上げて、コンテナの上に乗せられてやってくる。貨物船は遅いので、到着するのに最低でも3日はかかる。もちろん、毎日出港してるわけじゃないから、出港日から3日だ。

 実は客船も正式には貨客船なので、車を詰めないことはない。貨物船より頻繁に出てるので、届くのも早い。でも、その分料金は倍近いし、急いでるわけじゃない。積み込み場所までの移動を、本土のサーフショップで仲良くなった友達にお願いし、料金はネットで支払って、車を取り寄せる事にした。これで、ここでじっくりと暮らせる。

 今暮らしてるところは、シェアハウスじゃなくって普通の一軒家。島を出て行った人が借主を探してた家だ。本土で島の不動産情報を検索すると、下手な本土の家より高く、なかなか空室は見つからなかった。でも、いったんシェアハウスで暮らしながら、島のひとと仲良くなり、色々聞いてみると、本当の物件は口コミでしか出てこない事がわかる。  ちゃんと信頼出来る人にしか貸さないのだ。 だって、本土に出ていったとは言え、島のひとは、いつかは島に戻りたいと考えてる。だから、その間、大切に住んでくれる人にしか、貸したくない。そこが本土の不動産事情と大きく違うところかもしれない。

 「けいと、車到着したよ」 

 港のそばで、移動カフェを経営してるオーナーから、スマホの画面に、メッセンジャーの通知が届く。
 「ありがとうございます! これから港に自転車で向かいます。」
 オーナーに感謝の連絡をしてから、海の塩害で錆びてきているBMXに乗って、港のほうに向かう、こいつなら後の座席を倒せば、車に投げ込める。

 1年ぶりに再開した車は、SUV車らしいグリーンの車体が海に時折映りながら、クレーン車で地上に降ろされる。預かり券を渡して、所有者であることを示して、車を受け取る。リアハッチを開けて、後の椅子を片方だけ畳んで、乗ってきた自転車を投げ込む。

 さっそく、車にサーフボードを乗せて、いつもと違うポイントに向かう。そこは、島でも南の外洋側に面してるので、よくうねりが入ってくる。といっても、本土の浜のように、左右が閉じていて、湾の中でうねりが大きくなるという形になってるわけじゃないのだけど、それでもうねりによって波がサイズアップするのは、事実。いつものポイントより広いので、うねりがないときは、パドルを使って、SUPサーフィンも楽しめそうだ。

 島で暮らして三年ちょっとが経った頃、ゆかちが島を訪ねてくれた。北にいったゆかちは、占い師に、いろんな角度で占ってもらって、自分の方向が少し見えて、自分も占いを媒体にしたセラピストみたいなことが出来ないかなって思って、そういう勉強をしてきたって言ってた。占いっていうと、少し怪しげで、スピリチャルなもの(科学的じゃないもの)に聞こえちゃうけど、その先生は、心理学や精神医学にも詳しく、占いをつかって、クライアントのインナーチャイルドを探っていくのは、まるで、精神科でやる箱庭療法みたいなものなんだよって説明してくれた。

 ゆかちは、あとは帰るだけ、そして仕事を始める準備をするだけだから、時間はいっぱいあるので、少しこれから事を考えて、整理するまでの間、ここにいても良いかなって聞いてきた。全然OKだし、一軒家なので、部屋はあまってるし良いよって言っておいた。たまにサーファー仲間が吞みに来たり、サーフトリップの途中に寄って泊まっていくけど、それでも良ければというのが条件だった。

 自分がサーフィンにでかけるとき、ゆかちは、お昼ご飯を作ってくれて、一緒にでかけるようになった。いつもは、朝食の残りを適当にパンにはさみ、アルミホイルで包んで持っていったのだけど、ちゃんとしたお昼ご飯、それも保温マグに入った暖かいスープがあるのは、海で冷えた体にとても嬉しい。ゆかちは、自分がサーフィンしてる姿を、望遠レンズで写真を撮ったり(見事なサーフフォトだった)絵に描いてみたり、そして、自分が帰ってから始める、小さなセラピストスタジオ、ヨガ教室と占いが合わさったような場所の構想、場所とか、予算とか、用意しないといけないモノとか、許認可や開業届、そして一番大切な屋号のこととか、そういうことを、ボクのサーフィンを見ながら、ノートにまとめて整理してるようだった。それはすでに頭の中で名は出来ていて、それを文字に書き起こすことで、抜け漏れがないように、また、大切な申請のこととか間違えないようにするための、大切なメモのようなものの様だった。

 何本か、いい波がきて、気持ちよく乗れた後、お腹もすいたので、ボードは波に持って行かれない場所まであげて、ゆかちが座ってる浜と草むらの間の場所に向かった。ゆかちがご飯を広げてくれて一緒に食べた。たわいのない話をして、また、海に戻った。ゆかちとあったのは、それが最後だった。ゆかちは進むべき道を見つけたみたいで、故郷に帰って行った。そうしてボクは自分のことをボクというようになった。

 季節は台風が遠くで出来る頃になり、水温も下がってきたので、海に出てるのは、顔見知りのローカルだけになってきた。ローカル同士は、今日の波が、ヒザやコシ下だとかって、1番先に浜を見に行った人からの波のサイズやうねりの入り方の情報がチャットアプリに投稿されて、ローカルだけで共有してた。

 その日は、前の夜の天気予報で遠くの海に台風ができたことを伝えていて、うまくいけば、きもちのよいうねりが浜にやってきて、いつもとは違う波乗りができる可能性が高かった、気持ちを抑えきれない仲間が朝一番で海を見に行き、いままでみたことのなようなうねりが来てるっていう情報をチャットアプリに投稿した。彼は、今日の仕事はお休みにして、1日サーフするんだって興奮してた。大体この辺の連中は海時間で働いてる。

 チャットの投稿を見て、自分も早々に準備をする。フルスーツにはまだは早いので、薄めのウエットジャケットにロングジョンを着て、ボードとリーシュコードをもって、車で浜に向かう。すでに何人かが海に入っていて、パドリングしたあとにうねりがくるのを待っている状況だった。

「ゆかち! 早く来いよ。今日はすごいぞ」

 ローカル仲間のひとりがそうやって、自分を呼ぶ。すぐいくと答えて、ボードを海に浮かべ、波がブレイクしてるポイントまでパドリングをして進んで、仲間と合流した。でもしばらくうねりを待っていたけど、来る波は、いつも変わらない波でしかなかった。仲間のなかにはしびれを切らしたのか、いつもの波に乗って、いったん浜に戻るものもいた。

 自分は、わざわざ浜に戻るも面倒だったので、ボードの上で少しのんびりしてた。こういうとき、ロングボードは楽だ。しばらくして、少し沖のほうにいた仲間が、うぉーって声を上げて叫び始めた。うねりが来たのだ。

 うねりは普段の台風のうねりとは明らかにちがってた、海面が上昇したら、下がらず上がったままだ。これは台風のうねりじゃない。誰か遠くの台風がっていってたけど、多分、これはうねりじゃない。遠くの地震で起きた津波だ。波乗りには絶対危険。逃げなきゃいけない。

 強力なエンジンのある大型船ならば、津波の大きさにもよるけど、津波に対して真っ直ぐ船を立てて、全速前進で波を登り超えて、逃げることもできる。でも、手で漕ぐしかないサーファーのパドリングでは、こんな高い津波は登り切れない。なんとか登れないかと格闘してみたけど、結局、津波の先端が崩れ始めてるところで、波にもまれてしまい、ボードから落ちてしまって、まるで洗濯機の中に入れられたように波にもまれてしまった。海水を飲まないようにだけ注意したけど、上下の感覚がわからなくなって、どっちに行けば海面に上がれるのかがわからない。こういうときは、からだを脱力して、自然に浮かぶのを待つしかない。でも、まだ波は洗濯機状態で、それを許してくれる感じじゃなかった。その内、呼吸が苦しくなってしまい、段々意識が薄くなってきた。このまま、ボクは死んじゃうのかなって、おぼろげな意識の中でそんなことを思い浮かべた。この長いサーフトリップが終わったら、故郷に帰りたかったのにな。そんな想いが浮かんでは消えた。

しばらくして、この季節にしてはギラギラする日差しを感じる。気がつくと、上半身だけがボードの上に乗ってる状態になってた。こう言う事故の時のために、サーファーは、片足と、サーフボードを、リーシュコードと言われるケーブルで結びつけている。だからリーシュコードが外れない限り、サーファーとボードは離れることがない。だから、シーカヤックやヨットのように、PFDと呼ばれる救命道具を身につけることがない。

 脱力してる体をなんとか起こして、ボードの上に寝そべるように上がってみた。周りをゆっくり見てみると、360度全部水平線だ。こんなのあり得ない。外洋の航行もできるシーカヤックなら、こういう時にでも、海図と先端につけたコンパス、場合によってはGPSを使って、現在位置を知ることができるし、万一の時は、携帯で118にかけたり、マリンVHFの緊急チャンネルにコールして助けを求めることだってできるけど、サーファーは、アクティブなスポーツだから、できるだけ身軽な形で海にでる。だからそんな装備は、まったく用意してない。そもそも波乗りだから、陸地が見えるところでしかやらない。これがSUPなら、パドルで漕いで思う方向に漕いでいくことはできるかもしれないけど、さすがに手でのパドリングで進める範囲は限られてる。結局、いまできることは、運良く漁船や、海保の航空機に見つけてもらうことだけで、ただ体力を温存するために、ここにとどまるしないと判断した。でも、航空機からみつけてもらうための、海をオレンジに染めるエマージェンシーキットも、目標物を大きく見せる海に浮かべるリボンもないし、白いボードに黒いウェットだと、まず航空機から見つけてもらえる確率はかなり低い。

 なんとなく、覚悟を決めるしかないかなって想った。今までのこと、これからしかたったこと、いろんなことが走馬灯のように、頭の中を巡る。お腹は不思議にすかなかったけど、日差しが強いので、喉はやっぱり渇く。周りは水だらけなのに、塩分があるから飲めないなんて、理不尽だ。住んでいた場所だったら、このシーズンにこんなに日差しが強いことはない。だから相当流されたんだなって事がわかる。もしかしたら50キロ、下手をすると100キロ以上流されてる可能性だってある。多分、津波にもまれて海面に出たときに、そこを流れていた海流に捕まって、そのまま南のほうにながされたんだろうっていう判断になった。やっぱり手でのパドリングでどうこうできる距離じゃないんだ。

 とにかく、喉の乾きをごまかして、体力を温存するために、少し横になって寝てみることにした。ショートボードじゃこうは行かないけど、ロングボードならなんとかなる。すこしウエットのチャックを緩め、ボードの伏せた形で日差しをよけて、腕枕で寝てみた。寝れないかなって思ってたけど、疲れてたのか以外と少しうつろうつろ出来そうだ。

 ぼーとしてると、ゆかちのことが思い浮かんだ、彼女の作るお昼ご飯は、本当に美味しかった。もう一度、あのお昼ご飯が食べたいと思った。自分のことをボクというようになり、ゆかちの事を彼女と呼ぶようになって、どのくらいが経つんだろう。僕たちは、そうやって呼び合うことで、お互いに惹かれ合って、自然とそれぞれの性別になっていったんだろうなって思った。ボクがボクになったのは、ゆかちがいたからだ。

 故郷に帰って、ゆかちに告白して、一緒に暮らしたいって、本当に思った。海がない地元に、海に連れてってあげるツアーをやる、サーフショップを作って、いつものポイントに、ローカルとして、認めてもらえるような関係性を作る。その店をゆかちにも手伝ってもらいながら、2階の広間では、ゆかちの学んできた占いやヒーリングやヨガや瞑想ができる場所を作る。そうやって、一緒似くらしながら、子どもを作って、自分達がそうだったように保育園のような学校に行かせて、毎月帰ってくる時は、いっぱいハグして一緒にご飯たべて、一緒にお風呂はいって、一緒に寝る。そんな普通の生活がしたいって思った。その為にはまずは助かること。だから、体力を温存するために少し寝るんだ。そう思って、うつろうつろする気持ちの中に、潜り込むように目をつぶった。

第3章 ゆかちの場合

 わたしは魔法使いが主催する占いの塾に入塾する。その為に、長距離バスに乗って北に向かう。いままでオンラインで自分事だけを先生に占ってもらってたけど、ちゃんと他人事を占えるように、基礎から学びたいと思った。ほんとは、競争率も高く、そんなに簡単に入れる塾じゃないんだけど、すでに先生からはオンラインで学んでたので、先生推薦ということもあり入塾できた。この大切な時にチャンスに恵まれたのだから、しっかり学んでこようと思う。

 旅立ちのバス停は泊まったコリビングから徒歩で5分ぐらいの階段を登ったハイウエイの所にあった。この辺、バックパッカーが多いことで有名だから、いろんなところに行くバスが、途中で止まってくれるのだと思う。
 ちょとだけ重たいガラガラ音のするキャリーケースを引きずりながら、バス停に着いた。電子書籍を読みながら、少し待ってると、静かにバスがついた。今どきの車は、大型車でも音がしない。昔みたいに内燃機関じゃなくってモーターだから。って内燃機関の車みたことないけどね。授業でならって知っただけ。

 キャリーケースはバスの座席の下にある、トランクにいれてもらって、貴重品のはいったサコッシュとバスの中で読むタブレットにはいった電子書籍だけをもってバスにのった。バスはネットにつながってるから、読みかけの本や、ライブラリーに積読になってる本もダウンロードして読める。

 バスに乗る人はわたしだけ、指定席に座ると、バスはドアを閉めてするすると動き出した。速度制限のないハイウェイだから、早い車が走る車線に移動して、順調に速度を上げていく。昔はバスの旅は、酔うし、エコノミー症候群になって大変だったらしいけど、今どきの長距離バスは、シートも独立だし、カーテン閉めれば個室みたいだし、シートはフルラットになってベットみたいだから、むかしのエンジンっていうやつ?の振動もないので、超快適。だから、若者だけじゃなく、結構普通のひとも利用してるみたい。深夜便だと、一泊宿泊代が浮くしね。

 わたしが乗ったのも、ほぼ深夜便。到着は明日の10時ぐらい。でもかなりの長距離だから、深夜に乗るじゃなくって、早めの夕方にバスステーションを出発する。わたしが乗ったのはバスステーションの次ぎの乗り場のなるので、30分遅れで乗った事になる。

 本を読むと、眠くなるのは鉄板。夕ご飯は、早めに食べてきたので、いつもより早く眠くなった。さすがに紙の本と違って、寝落ちしてタブレットを落として壊すのは嫌なので、素直に諦めていったんタブレットを前の席の背中についてる網にいれて、配られたブランケットを胸までかけて、室内灯の電気を消すことにした。おやすみなさい。

☆ 

 遮光カーテンを合わせたすき間から、朝の日差しがしっかりと私のおでこにあたってた。もう少しで到着かも。
 バスの旅なのに、意外とぐっすり寝れた。でも、空調がすこし効きすぎなのか、うっすら寝汗をかいたみたい。暮らす場所についたら、部屋に荷物を置いて、まずはシャワーを浴びたい。
 わたしが暮らす場所は、コレクティブハウスってところ、シェアハウスより、もう少しプライベートがある。共用のリビングやキッチンがあって、たまに棲んでるひとと一緒にご飯を食べる会とかあるけど、部屋には鍵をかけられて、トイレやお風呂、ミニキッチンそれぞれにある感じ。イメージとしては独身寮とか、シルバーハウスに近いかも。でもシェハウスには若い子しかないないし、シルバーは、シルバー世代向けだから、当然世代が片寄る。コレクティブハウスはその辺の世代バランスを気にするので、子連れが大きな部屋にいたり、若い学生も暮らしてる。そういう世代を横断する感じがとても暮らしを豊にするんだって、空室を問い合わせた時にオンラインミーティングで、そこの暮らしを支援してるコーディネータの人が言ってた。

 私はそのコレクティブハウス「ノースフォレスト(北の杜)」で暮していく。当然、ホテルやホステルじゃないから、賃貸借契約だし、住民票も移動できる。正直何年暮らせば自分の体や心の置き所がわかって、それでやっとやりたい事が見つかり、見つかったものを突き詰めて修行して一人前になれるんだから、それなりな時間をここで暮らすんだろなって思ってる。

 軽くシャワーを浴びて、もってきた服に着替える。大きな荷物はあした宅配便で届くはず。一応、同じ国ではあるけど、自主権が認められた地域だから、バスの旅ではパスポートを預けるので、そのままノーチェックでいけるんだけど、荷物はそうはいかない。
 
 前に別な旅で安いバスで国境を越えたとき、機関銃をもった兵士がバスにのりこんできて、「パスポート・コントロール!」って叫んだときは、正直怖かった。実際に、独り外人ぽい人が捕まって、バスから降ろされて、首の後ろを握られたままどっかに連れて行かれたのを見てたから、ちょっとトラウマ。

 でも荷物は大丈夫だと思う。特に怪しい物は入れてないから。さっぱりしたところで、薄めメイクをさささっとしてから、毎日、通うことになる、塾にいくことにした。

 住まいと、塾は徒歩5分ぐらいのところにある。 バス停はノースフォレストのエントランスを抜けて、アプローチを過ぎたところにある。塾の前にもバス停があるし、いくつもの路線のバスがこの間を通るので、そんなに待たなくでもすぐ乗れて、あっというまについちゃう。大昔のマンガでいうことろのどこでもドアにみたい。

 塾の名前は、「ラズベリーラブ」まったく占いや魔法を学べる感じがしない。創立した人が、大のラズベリー好きだったからみたい。

 来たバスを路線の確認もせずと飛び乗る。乗ってかこの系統が、ラズベリーラブ前にとまるか確認する。ほぼ9割が塾前を通るのだけど、1系統だけは違うみたい。程なくして通りは大きく右に曲がって、しばらくするとラズベリーラブの前に着いた。誰から降りますボタンをおしえてくれたので、何にもせずに、ただ電子マネーで運賃を支払って、バスを降りる。多分この辺は駅から、ノースフォレストのちょっと先までの循環バスが多いので、大体どこでおりても同じ金額のような気がする。

 ラズベリーラブという言葉の通り、塾のファザードは、ちょっとくすんでるけど透明感のある赤むらさきの建物だった。派手かなと思ってたけど、そうでもない。妙にしっくりくるし、ここに通うんだっておもたら。すごくワクワクしてきた。

 玄関からはいると、
「見学の方ですか」
 と事務所の人から声をかけられる。
「秋入学のものなのですけど、通学路を調べるついでに、塾にも来てみました」
 と私。
「それでは、ここにお名前といまの時間を書いてもらって、お帰りになるときには、終了時間を書いてもらえますか?
いまの時期は、専門教室は空いてないけど、教室は見れますよ」
 と事務員さん。
「ありがとうございます!」
 といって、名前を書いて、まずは教室を目指すことにした。

 教室は、物心つく前から通ってた地元の学校とそんなに変わらない感じがした。廊下には個人別の鍵のかかるロッカー、15人ぐらいが、丸く輪になって座れる教室の広さ、ミニテーブル付きの折りたたみ椅子。移動できる電子黒板(黒板っていうけど実際は映像が表示できるホワイトボード)その辺は全く同じ。 唯一ちがうのは、理科室でもないのに、部屋の片隅に等身大の人体模型があったことだけ。多分見た教室は、魔法使いになるためのクラスなのだと思う。わたしが通う、占い師向けのクラスにはないんだろうなって思った。  

 ☆

 一週間なんて、すぐに過ぎ去っていく。積読なってた本を消化しようと思ってたけど、結局、読み切れたのはバスの中で読み始めた1冊だけ。大昔と違って、いまは紙は貴重品だから、基本は電子書籍。だから積んどくっていうけど、詰めないのでプレッシャがない。ただ、メインライブラリーの中の本が多くなってしまい、読みたい本を探すのが大変になるだけ。ちゃんとカテゴリ別に分類したり、タグ付けしたりして保存すればいいのだけど。結局、検索して探す感じ。

 授業が始まる。

 最初は自己紹介とかしながら、ゆっくりと進むのかと思いきや、いきなり初日から宿題がでた。ネットの転がってるホロスコープ作成サイトをつかって、自分のホロスコープを作成して、なぜ、数あるホロスコープ作成サイトの中で、なぜ、そのサイトを選んだのか、二百字以内で答えると言う課題だった。

 たしかに、「ホロスコープ 無料」で検索すると、沢山のサイトが結果として表示される。生年月日だけで結果表示するサイトもある一方、出生時間と生まれた場所の緯度経度まで必要で(緯度経度は病院の場所とかがわかれば、地図サイトで調べる事は出来る)結果は、各天体がどの星座かを表示するだけでなく、アスペクトといわれる、星同士の角度についても、しっかり表示される本格的なものもある。

 そもそもなんで星占いかというと、古い東の国で占いはは5つに分類されてた。生年月日でみる人生のシナリオ「命術」、偶然の中の必然から占う方「卜術」、外見や見た目から占う「相術」、病気を治すこと、方法「医術」心と体を鍛える方法「山術」の5つだ。星占いは、生年月日でうらなうから「命術」。
手相は「相術」、ヨガは「山術」になる。拡大解釈すれば、けいとがやってるサーフィンも「山術」かもしれない。けいと、メンタルバランスとかすごく気にしてたモノなぁ
 
 わたしは、少し知識があったら、本格的なサイトで調べてみた。自分の産まれた生年月日だけでなく時間も場所もしってたから。なぜかって、旅にでるときに、私の母子手帳を両親が記念にってくれたから。
 でも、星それぞれの役割を覚えるだけでも大変なのに、アスペクト(星同士の角度)なんてチンプンカンプン。三十度や六十度、一二〇度は吉角で、九〇度や一八〇度が凶角だってことだけは覚えてる。でもプラマイ三度以上ずれてれば、アスペクトとしてみない(角度や星によってはもっと厳しく考える人もいる)のが流行なので、ちゃんとアクスペクトになるのは、そんなに数はないかもしれない。
 
 まぁそんなことで、占いっていうのは、いろんな見方からみれるというのが、本当の占いなので、星占いをメインにしてる人が、実は風水もやるっていうのは別に不思議じゃない。

 そんな知識を初日に教えてもらった後、さっそく「命術」の代表でもある星占いで自分を占ってみるようにという宿題がでた。「命術」それも占星術からはいるのは、占いの入口としては良いともう。言い方が偉そうだけど。
 星占いは、スピリチャルなものというより、天文学であり、統計学でもあり、心理学や精神医学とも通じると思う。まだ暦がなかったところ、唯一天体の動きをみて、暦の代わりにしていた時代があった。その頃は、天文学と星占いは多分同じだったともう。天文学者か星占い師か分かんない人が、この星の動きからすると、、いまが、種まきに最適でございます」とか、王様に答申して、「よし庶民のみんな、種まきをせよ」なんとお告げをしてたのだと思う。
 そんな大昔から、天体と人の運勢を蓄積していって、こういう傾向があるというのをあぶりだしてのが、今の占星術じゃないかな。 ようするにバイオリズムのもっと膨大な情報の蓄積したものと思えば、スピリリャルな物が嫌いな人でもはいりこみやすんじゃなかな。だから、どんな人でも自分の星座(この場合、大きい太陽の星座)を知ってるいうのはそういう訳なんだ。

 と言うわけで、自分のホロスコープを描いてみた(そういうサイトで生成させた)別に何度も見てるホロスコープ。それじゃつまんないから、現在進行中のホロスコープ(トランジット・進行図)との関係とか作ろうか思ったけど、ちゃんとそれを読めるかっていわれると、出生図を読むのがいっぱい、いっぱいで、それで、わざわざこの学校に来たのに、最初から、知識さらけだして、あいつには、もう教えることないから、こっちの落ちこぼれに、教えなきゃとか思われると、授業料がもったいないので、ちょっと初心者ぶりっこすることにする。でもこのサイトを選んでる時点でバレると思う。
 結局、ホロスコープなんて、いまは無料で自動的に作ってくれる。昔は天文暦とか分厚い本を調べながら(まさに天文学の本だ)手書きで描いてたらしいので、それを作る事自体に意味があったけど、いまはそうではない。結局、ホロスコープの最初の星読みを相手に伝えたあと、どういう反応(合ってる、その通りとか、ちょっと、違和感あるかもとか)」を経て、詳細な星読みをする。それって、精神臨床学の箱庭療法とか、ロールシャッハテストに近いしれない。だから、学校のシラバスには、心理学や臨床心理士の受験内容に近い授業もあるのだ。実際、臨床心理士希望者向けの補講もあるぐいらい。

 わたしは、臨床心理士をとるほど真剣ではないけど、私が占ったことによって、クライアントはなにがしかの影響をうけるわけだら、安易に占いたくない。さらに占ったことで、自分も少なからず影響をうける。臨床心理士は定期的に、おなじ臨床心理士どうしから、定期的にカウンセリングを受けて、自身のメンタルが大丈夫か常に調べるらしい。私はそういうのが占い師にもあってもいいような気がする。
 
 最初の宿題は、やってくることに意義があるだけのようで、提出しただけで終わった。下手にあのサイトを選んだ事が、友だちにばれて、自慢げにしたい気持ちが、バレなくってよかった。ほんと、スクールカーストでどの位置にいるのかとか、気にしちゃうのは、とっても嫌だ。頂点にいるのも、底辺にいるものしんどい。できればそのカースト制度の外側にいて、無責任な傍観者でいたい。バンドやってて、クラスのイベントにはほとんど参加せず、楽器屋にいりびたってた、うちのパパのような感じに似てるかもしれない。

 とはいえ、塾は専門学校だから、人間関係は結構自由な感じな感じだし、そもそも一クラスの人数が、子どものころにいてった学校より全然少ない。だから、いじめとか起こらないんじゃないかな。嫌な子なら、付き合わなきゃ良いだけ。
 授業では、まずは占星術をきちんと占えるように学び、さらに、5つの分類から、タロットカードやインナーチャイルドカードと、風水を学ぶ。その後は生徒がそれぞれ、占いたい方法を専科として先生について学ぶ。占星術を極めたい人、また違う占いのほうがしっくり来る人、はたまた、結果を伝えるコトに興味がわきて、臨床心理士を目指す人などなど、本人の興味にあわせてじっくりまなべる。基礎科2年、専科1年の3年コースだ。

 最初に学ぶ占星術は、実は占いの中でも異端だ。なぜなら、とても科学的で理系的な頭を使うから。スピリチャル大好きっ子が、この学校の門を叩いて、いきなりこの授業を受けたら、驚いてついて行けないかもしれない。

 今暮らしてる足の下にある星を中心にホロスコープを描くスタンダードな方法のほかに、頭の上で光ってる太陽を中心に占う方法もある。でも私たちが暮らす世界は、太陽は、大きな太陽と、小さな太陽がある二重恒星だから、どっちで占うかによって、またホロスコープが違う。どれかを選ぶのではなく、どれも見てみて、その差分や重なる結果を重視して、星読みをする。そう、肝心なのは「星読み」の部分だ。

 授業は、各星のもつ意味、各星が入室してるハウス(12分割した小部屋)、星と星の角度(アスペクト)、360度それぞれの各度が持つ意味(サビアン)などを総合して占う。ホロスコープ生成サービスサイトや、アプリなどで、出生データをいれれば表示されるってことは、前にも言ったと思うけど、ほんと一瞬で表示される、しかしアスペクトなどが細かに絡み合ったホロスコープを読み解くには相当な実力がいる。それが、今現在や将来のこと、はたまた相性なんてことを占い場合、ホロスコープが2重円、3重円になるわけだから、それは、もう素人には混乱しまくるわけだ。
 でも、授業を聞いてると、全部の星を読み解く必要は、そもそもないみたい。ポイントなる星とアスペクトを読めば、大まかには分かる。遠くの星は1周まわるのに、何年も何十年もかかる。個人の意味というより、世代の意味だったりする。だから、比較的近くの星をよく読めばいいみたいって事がわかってちょっとホットした。
 ホロスコープには当然、ネガティブなことも、ポジティブな事も現れる。たとえば、ある年の、6月16日午後に産まれた私の星々は、上(天頂)に多くの星が集中していて、下に試練を意味する星が1つだけある。先生曰く、かなり珍しいらしい。
 先生はやんわりってたけど、恋愛にせよ、仕事探しにせよ、必ずなにかの障害が起きる。中でも癒やしを意味する星がMC(天頂)にいることで、人間関係でトラブルが多い。でもそれを乗り越えることで、自分にも自信が付き、人にも優しくなれて、まさに癒やしを与えられる人になれる。そういう先生の星読みに、感銘をうけたし、壁を1つ乗り越えていけそうな気がした。

 授業は大型ディスプレーが埋め込まれた壁に、名前を伏せたら形で、生徒のホロスコープを、大きく表示して、そのかなで、1,2点、特徴のある星やアスペクトを取り出して、星読みの例を提示しながら、生徒からの質疑応答に答えるという形式だった。これを体験してみたあと、記号の意味からはじまり、さっき言ったハウスやアスペクトをいったん、整理して、体系的に学ぶみたいだった。でも私は今の授業が実践的で好き。だって用語の意味は教科書を読めばわかるもの。

 基礎科の2年がすぎ、専科を選ぶ頃、応用的な占いのため、2重円や3重円をつかって、相性や未来を占う事とが多くなってきたい。その時に、わたしの出生図、けいとの出生図、現在のトランジットを使う事が多くなった。けいとの誕生日は普通、一緒に暮らしたのだから知っててあたりまえだし、出生時間は、前、学校で占いがはやった時に聞いてた。産まれた場所はみんなおなじ病院。なので、つかいやすかったの。

 けいととわたしの相性はとてもいい。気持ちいいぐらい、私の出生図の問題点を、あの子がフォローしてくれてる。もしかしたら、ソウルメイトなのかもしれない。要するに前世とかで繋がってたのかもってこと。とくにわたしの制限を司るする星と、けいとの幸運を司る星の相性がよく、私の制限を取りのぞいてくれる。一方、わたしの、恋愛や奉仕をする星が、けいとの内面を司る星と相性がいい。こんなに出来てる関係ないか思ってた。昔から、カナ、けいと、わたしは、ほんと1歳児のころから、なにかかけてつるんでて、まるでどっかのコメディアンのユニットみたいだった。3人の間には、笑いが絶えなかったし、どんな人に言えない悩みでも共有して、みんなで解決してた。もちろん、カナのホロスコープとも相性はいいけど、けいとほどシンクロ率は高くない。やっぱ、わたしたちの間にはなにかあるんだ。

 専科の授業は、基礎科とはちがい、まず自分でテーマを考え、それを指導教官に承認してもらったら、調査、分析、考察、執筆と言う流れで、まずは論文の形で報告書をまとめ、それを指導教官に意見をもらって、なんどかブラシュアップしたり、調査が足りないところをさらに詰めたりすることが中心だった。
 わたしは占星術を極める。とくに星読みの部分の客観的な方法として、どのような方法があるのかというテーマにしてみたいと指導教官に伝えた。教官は、まだまだ抽象的で幅が広すぎるから、そのままでは論文化するのは難しいと思うよという意見だったのだけど、それは分かってたので、調査分析のところで、もう少しテーマを絞って、まとまったところで、もう一度、指導をお願いしますといったら、それならOKってことになった。
 
 調べるまでもなく、まず星々の持つ意味を理解することが重要。そもそもその星はなぜそういう意味を持つようになったのかについての考察が大切だとおもった。
 例えば幸運を司る星は、十二年で一周するのだけど、星がなにも幸運ビームとかを照射してるわけじゃなく、幸運って誰にでも十二年周期で訪れるとか、幸運の星が、出生図においてこの星座にある場合、こういう傾向の良いことが起こる事が多いちということを、統計学的に整理したってこと、実は星はあくまでもその正確な周期を知るための、いわば物差しのようなものでしかない。
 それは、内面、知性、恋愛、やる気などを司る星にもいえてて、それぞれがどの星座にいるのか、そしてトランジットの星座と、どのような関係にいるのかと言うことを読み取ることが、まずは星読みの基本だと思う。占星術=天文学的統計学と言われる所以だ。。

 問題はここから、クライアントの出生情報を聞いて、ホロスコープを作る。各星の星座や、置かれているハウス、星同士の各度(アスペクト)を読む。ここまでは記憶力の問題でしかないから、誰でもできる。ここから、ポジティブなことは、強調してクライアントに勇気をもってもらい、ネガティブなことは、オブラートに包んで、できるだけポジティブな言葉で言い換えるように星を読み、クライアントに伝える。
 そしてそれに対する反応、たとえば、やっぱりそういうことなんだ。とか、いや、なんか違和感あるなぁとかっていう反応をみて、次ぎに伝える言葉を紡ぐ。この過程は、箱庭療法や、ロールシャッハテスト、さらには曼荼羅をつかった心理療法とほとんど同じ。だから、占星術=心理学・精神医学とも言われる所以だ。
 
 クライアントの深層心理にも関わることだけら、ご本人がトラウマとして抱えていて、蓋をしている現象とかが、いきなり現れてしまう可能性もある。もしかしたら、急に泣き出したり、怒ったりもするかもしれない。
 実際に、専科になると、外部のクライアントを迎えて、研修中なので、トラブルに対処出来ない場合もあるけど、その場合はサブでついてる教官がフォローしますので、お安く占えますよと言う形の実践授業もあって、もう十人ほど、占ったのだけど、お一人だけ中で泣き出した方がいた。さすがに怒られたことはまだない。

 星読みを練習するために、研修でお会いした方のホロスコープや、自分のホロスコープと、けいとのホロスコープを重ねてみたりしていくうちに、どれだけけいとと、わたしが星読み的に特別な関係であるかってことがよく分かる。でもそこには私の内面に、けいとのことが実はスキで、そういうバイアスが掛かってる可能性は否めないなと思った。だからその気持ちが本物なのか、確かめないと、前に進めない気持ちがしてきた。梅雨時期から、初秋までの長い夏休みに、けいとのところに行きたいって、メールを送った。実際には、夏休みにはいけなかったのだけど、塾を卒業した春に、けいとのすんでる島にいくことにした。

第4章 暮らしを作る

 わたしは、故郷に帰った。普通、故郷に帰ったり、旅先で暮らすようになった子は、パートナーがいない場合、独り暮らしをする。でも私は、ちょうど同じ頃に、故郷にもどってきたゆかちとルームシェアーすることにした。
 ちょうど、とっても小さなコレクティブハウスだった建物が、一棟貸ししていた。ゆかちは、自分の占いやヒーリング施術を行う個室が、自室とは別に必要だったし、いずれもどってくるだろうけいとと、あと5人ぐらいで暮らせるといいなって思ったからだ。

 ゆかちが北の国でくらしていたコレクティブハウスと違い、わたしたちのハウスは全室埋まっても10世帯まで、2部屋はちょっと広めなので、小さなお子さんがいる家族なら暮らすことができる。多分どっかの小さな社員寮だったようで、おおきな業務用のキッチンと食堂(ラウンジ)があるのがここの自慢かもしれない。

 ゆかちはホームページを頑張って自作して占い&ヒーリングの仕事を始めた。私もハウスの管理人だけでは食べていけない。
 でもハウスではコモンミールっていうみんなでご飯をたべよう会が不定期に開催されるので、時間もできるだけ自由に使いたい。そこで当面は、自由にできる自転車デリバリーのバイトをすることにした。管理人&デリバリーの仕事をしながら、空いた時間に、前からやり遂げたかった物語を書くことに時間を割きたいとおもったのだ。

 ゆかちの仕事は順調で、彼女の占い方。ようするに、相手に寄り添った星読みの仕方が好評で、最初は知人やSNSで知った人がくるだけだったのだけど、いまではホームページからのお客様も増えて、半年先まで予約がいっぱいになっていた。そんなお客さんの中には、待ってるあいだにとおされるリビングの広さにびっくりして、ここの暮らし方に共感をして、半年後には、ここで暮らすコトになった人もいる。

 コレクティブの暮らしかたは、多様性を許容する暮らし方だから楽。大人になって、女性にふりきったゆかちと、どっちつかずの私。どっちちかずだから、日によってパンツルックだったり、ワンピースだったりするわけで(ワンピースはとにかくお腹を締め付けないで楽過ぎるので、性別とはず全人類が着ればいいと思う)それでも、特にどっちとかきめつけず、カナはカナとして相対してくれる居住者さんばかりでホントに暮らしてて楽だ。訳あって独り暮らしをしてる10代もいて、当然その子には性別ないので、ある意味私と同じだ。

 コレクティブハウスは、けいとの為に空けてある2Fの1Rを除いて全室埋まってしまった。けいとには何度もメッセージソフトで連絡をしているのに、ずっと既読がつかない。もしかしてスマートフォンを機種変更して、連絡先の再登録に失敗してるかもとか思った。でも、知り合うのサーフショップのオーナーにもゆかちは連絡してるのだけど、なんか歯切れの悪い返答しかないようだった。
 
 ほどなくして、けいとの家族から、けいとから半年前から連絡がとれない。そちらには連絡があるかという照会があった。なにか連絡があったら、そちらにも伝えますという旨をつたえて、ゆかちとふたりで泣いた。半年月前といえば、この建物を契約して、ゆかちが占いの仕事を始めた頃。すなわち、ゆかちがけいとがローカルの浜で、一緒にサンドウィッチを食べて、その後、この街に帰ってきた頃だ。
 けいとはしっかりと、あの浜に住み着きローカルとして暮らしていた。でも彼も、放浪癖が全くないかと言われれば、そうでもない。もともとサーフトリップの途中であそこに住み着いただけで、ふつふつと旅にでたくなることは考えられる。でもそうなら、すくなくとも実家か私たちにはそのコトを伝えると思う。わたしたちはそういう関係だし、秘密にするコトなんてない。
 ローカルの仲間によると、行方が分からなくなった日は、数年に1度の巨大なうねりが入ってきた時だったらしい。それも台風がつくったうねりじゃなくって、遠くの地震によってできた、うねりというより津波に近い波だったってコトみたいだった。けいとだけじゃなく、数人のサーファーがその波に翻弄されて、コントロールを失い、浜に流されたり、沖に漂ったらしい。ほとんどのサーファーは自力で浜にたどり着いたらしけど、けいとともう一人の連絡が、いまだ着かないらしい。漁船や海上保安庁とも連携しているけど、状況はかなり厳しいようだった。

 「あの島にいこうよ」

 ゆかちが、何かを思いついたよういつぶやく。
 「あの島にいったら、なにかヒントがあるかもしれないし、もしかしたら無事たどり着いてるかもしれないじゃん。」
 私もその意見には賛成だった。でも厳しいことを言うようだけど、もし可能性がなかったら、親御さんにも連絡して、けいとの棲んでた部屋を片付け、遺品になってしまうかもしれないものをそれぞれに分け、ケジメをつけないといけないかもしれない。そういう悲しい現実と向き合う為にも、私たちはその島に行かないといけないんだって思った。

 けいとの暮らす島に向かう日にちが近づくにつて、ゆかちのメンタルが段々揺れ動いてるようだった、ゆかちは結局のところけいとのコトが好きで、ずっと待ち人だったわけだ。それはわたしだってそうで、わたしはけいとのコトはさておき、ゆかちにこっちを向いて欲しかった。え、それビアンじゃんって言う声がきこえそうだけど、わたしは男子にも女子にも振り切ってないから、ビアンになるとは言わない。たまたま気になる人が親友の女性だったってコトだけ。

 船が出る街まで夜行の高速バスででかけ、朝一番にでる貨客船を乗り継いで翌朝、島に到着し、朝から浜を探索する。そのあと、けいとの家を見て、その晩はローカルの人の家に夕食をご招待いただき、その晩、けいとが暮らした家に泊まり、翌日か翌々日、また浜をみてから家に帰る計画にした。

「やっぱり、行くの辞めとく」

 そういうゆかちを、無理矢理バス停は引きずっていき、私たちは島に向かったのだった。 

  

 浜を探索しても、流木や貝殻が見つかるだけで、波の音以外何にも聞こえなかった。あの日以来、サーフィンは自粛になっているようで、海にもサーファーはいない。みつかるはずもないゆかちの痕跡を探して、わたしたちは手をつなぎなら浜をあるいた。
 ゆかちは、島にきたのは2回目、最後にけいとに合ったとき以来で、わたしはまったくのはじめてだった。自分が暮らした高原からは、けいとが暮らした浜はとても遠く、いったん地元を中継しないといけなかったので、足が遠のいたのだった。
 浜の探索がたんなるお散歩になりそうだったので、ゆかちの家に行くことにした。合鍵はオーナーから借りてある。
 けいとの家は、小さな平屋の一戸建てだった。玄関をあけるとサーフィングッズだらけ、季節毎にちがう厚さのウェットスーツを着るから、寒い時用のやつは玄関はいってすぐの脱衣所に干してあった。
 リビングダイニングにいくと、私たちと連絡をとりあってた小さなパソコンと、ちょっと大きめのモニターがあった。いい波がこない時は、知り合いのサーフショップでバイトしたり、ホームページ作りのお手伝いをしたりしてるって言ってたから、その為の機材なんだと思う。机の脇には本が並んでたんだけど、ほとんどが気象や波についての本ばかりだったのだけど、1冊だけノートっぽいのを発見したので、こそっと見てみることにした。
 
 これからの暮らし方、サーフィンをしながらご飯を食べていく方法の模索。地元に帰るか、ここを終の住処にするのか、それともまたサーフトリップを続けるのか。いろんなオプションが並列されていて、それがマインドマップのような形それぞれのメリット、デメリットが書いてあった。
 そのなかの一箇所に、私と暮らす。旅するっていうことがあった。読んだ瞬間ドキドキすると同時に、ゆかちに絶対見られちゃまずいと思って、ノートをすぐにめくった。もしかしてけいとは、最初、私のコトが好きだったのかもしれない。以前より少しそうかもっていう瞬間はあったのだけど、なにぶん幼なじみすぐて、それを意識することはなかったのだけど、こうやって文章であらためて見ると、やっぱり普通の状態じゃいられない。

 わたしはゆかちが好き、ゆかちはけいとがすき、けいとはわたしがすき。三人、幼なじみの友だちだって思ってたけど、いつのまにかこういう感情が生まれてきて、大人への階段を上り始めたんだなって思った。
 この微妙な三角関係は、心地いいものではない。せっかくの仲良し関係が、一転してドロドロしてしまう。ゆかちがいなくなった以上、ゆかちのゆかちへの想いを断ち切り、わたしのほうへ向けてもらえるようにしないと、ただでさえ、たまごメンタルなゆかちは、普段の暮らしさえ、できなくなっちゃうんじゃないかって思った。でも、火事場の泥棒みたいで、こういうの卑怯かな。

 でも後で知ったコトだけど、けいとはゆかちが浜をたずねてくれたことで、ゆかちのほうに惹かれるようになったらしい。わたしは心境穏やかじゃないけど、相思相愛な二人をこころから祝いたかったと思った。

 ローカルのけいとのサーフ仲間にここでの暮らしぶりを聞き、そんなところにただいま!って、いまにでも帰って来そうな気配を感じながら、一方で、少し時間がかかるかもしれないけど、ちゃんとお別れしたほうがいいのかもって思いながら、かなり後ろ髪引かれながら地元に帰った。
 ゆかちは、必要なコトバ以外、しゃべらなくなり、食事も細くなり、終始うつむき気味だった。もちろん最初けいとがわたしのことを思ってたっぽいことは伝えてないのだけど、たぶんゆかちはけいとと相思相愛だったと思ってる節があり、それが余計にいまのメンタル状態になっているのだと思う。
 
 ゆかちは、想定どおり、部屋に引き込もりがちになった。朝と夜にの食事にやってきて、スープなど最低限の食事をして、それ以外はまたったく外にでない。もちろん占いやヒーリングのセッションは中止となり、家賃の応分の負担もできなくなり、わたしの細々とした収入だけで暮らしていくことになった。
 もちろん、コレクティブハウスなので、共用スペースでご飯と食べてると、ほかの居住者さんとも顔をあわせるようになる。どうもそのこと自体、ゆかちはしんどいようで、できるだけほかの人と会わない時間帯に現れて、冷えたご飯を温めることなく、最低限の量だけ食べては、また自室にもどるのだった。
 わたしは、どんどん痩せていくゆかちをみて自分も傷ついた、まだ、ほそぼそと、ご飯は食べてるから、摂食障害ではないとしても、夏の暑い時期にもかかわらず、長袖をきてるゆかちをみて、自傷の可能性も疑った。これは絶対、医者に見てもらうべきだ。
 幸い、知人の知人に精神科医がいて、外にでないゆかちのコトを考慮して、ハウスに来てくれることになった。こんなのとてもレアケースらしく、初診は予約だけでも時間がかかるもので、週に1から3枠しかなく、予約も数ヶ月先になるのが普通なのに、来週きてくれるとかあり得ない対応だった。それだけ先生の印象は切迫してるように感じたのかもしれない。

 先生がやってきて、現状の報告をする。そのなかで、自分のメンタルもしんどいコトを伝えると、かなりのカウンセリングの後、わたしも短い時間で簡単なセッションを持ちましょうと言ってくれた。今日は本来なら定休日らしく、わたしたちの為だけに時間を取ってくれたようだった。
 ゆかちの部屋で行うのが理想だけど、そこは不可侵な領域だろうから、ダイニングでやりましょう。その代わりわたしも含めて居住者さんには、2時間ほど、共有スペースにこないようにMLで事前にお願いしておいた。
 ゆかちは、重い腰と気持ちをもったまま、少し偽真安気な気持ちでラウンジにやってきた。わたしはここでいったん席をはずすこと、おわったら携帯に連絡欲しい旨をつたえて自室に戻った

 ゆかちのセッションは結構じっくりときかれたようで、出生してからいままでの自分史的な振り返り、いまなぜメンタルを病んでしまって、その為に、ご飯を食べれないとか、自傷してしまうとかの確認だったと後々になって聞かされた。
 腕にカッターナイフで切り傷をつくって出血を見る自傷は、けっして自殺未遂ではなくって、痛みと血をみることによる、生きてることの確認だって言ってた。自分はやらないけど、その感覚は分からないでも無いと思った。多分、ゆかちはけいとを失ったことで、自分自身も失いかけてて、その自分を現実に結びつける為に、自傷をして、生きてることを、定期的に確認する必要があったんだと思う。
 とはいえ、自傷の傷跡は目立つ。だからゆかちは暑い夏ですら、長袖を着てたし、ハウスにいて半袖のときすら、網状のシップとかをおさえるやつで包帯を隠してた。
 その姿をみるのが、私にはとても辛く、衝動的にゆかちを抱きたくなるのだった。

 そんな感じでは私は自分の中にある、ゆかちへの思いを確認したのだった。こんな話をしたところで、人によっては、それは近くにいる弱いものを守りたいという、一種のマウインティングだよって言うかもしれない。確かにそういう面はあるかもしれない。でも私の中には、そういう精神的な面だけじゃなく、私が気づいたのは、肉体的に、はっきりいうと性的にゆかちを所有したいと思えてることだった。心だけだと思ってたのに…
 でも、ゆかちの心も体も、空をみつめるようにけいとへの思いでいっぱいなのは、明らかだった、ゆかちもわたしも、実らぬ恋をしてるのだろう。
 ゆかちとけいとの間に何があったのかは聞いてない。なんでも話す中だったのに、でもおぼろげに、ゆかちとけいとは心だけじゃなく体の関係があったのだろうと、勝手に想像してた。でなければ、こんなにぽっかりと心に穴が空いてしまい、病んでしまうことは無いと思うからだ。

 半年ぐらい、この状態が続いたあと、ゆかちは突然宣言した。

 「わたし、ゆかちが暮らした島に戻る」

 そうして、私がこの文章をまとめたいと思った出来事がおこるのだった。

第5章 独りで生きていくこと

 ゆかちが島を再訪するため、このハウスをでてもう半年になる。その間、ゆかちからは全く連絡がない。ローカル仲間からもらう、細々とした情報では、けいとが暮らした家を好意で貸してもらい、ローカル仲間にサーフィンを教えてもらっていたらしい。でも、もともと運動が苦手なゆかちは、パドリングする力が弱く、波をとらえきれなかったようだった。ただ、バランス感覚は悪くなく、極たまにうまく波を捕まえることができると、ちゃんと波に乗るコトができ、そのワクワク感の虜になって、ずっと波乗りの練習をしてるらしい。そうやってけいとがなににとりつかれてたのかが、おぼろげながらストンと府に落ちたように理解できてきてみたいだった。
 ローカル仲間からは、カナもおいでよと誘われたけど、それは違うかなとおもって遠慮した、だって、ゆかちが遠くに言った理由の1つに、私の気持ちに気がついてたってことが絶対あると思うからだ。ゆかちは、そういう所、感がするどい子だ。
 ゆかちがそうやって、けいとやわたしのことに決着をつけようとしてるなら、わたしもゆかちや、けいとのコトに決着をつけないといけない。それは、男性でも女性でもない、今のままを受け入れ、このハウスの家守として、淡々とお一人様として生きること。そして、けいとやゆかち、そして私がこの時代に、旅にでて、どうやって大人になったかを記録することだと思った。
 多分、学校を卒業したら旅にでて自分探しをするこの時代、私たちの旅はさほど珍しいものでは無いと思う。起こったコトも、極ありふれたコトだろう。それでも記録するか、しないかは大きいと思う。
 誰かが言った。お百姓さんが毎年の農作業を記録していれば、学者になれるが、毎年そのままだとずっとお百姓さんのままだだと。
 事実は物語より奇なりと言うけど、そもそも言葉にしなければ物語にはなれない。そういうコトだ。

 もうひとつしっかり検証しなければならないことがある。私が男性にも女性にもならなかったことと、恋愛感がゆかち以外なかったので、結果、お一人様としての人生を模索するしか無くなったってコトだ。
 もちろん、たまに入れ替わるハウスの住民と、突然、恋に落ちることも考えられなくもない。可能性だけは捨ててないけど、多分そんなのない。だってわたしまだゆかちがスキだから。
 そんなことから、パソコンのワープロソフトを起動し、使いやすそうな原稿用紙フォーマットを見つけて、そこに思いつくことを書き殴ってから、プロットを考えることにした。

 たぶん、2年ぶりにローカルから情報がきた。こういうときは大抵、あんまりいい話じゃない。
 ローカルがいうには、ゆかちが海にでかけてから戻ってこないとのコトだった。ゆかちはローカル仲間の真摯なトレーニングによって、自分でそこそこ波乗りできるようになり、ここ半年はひとりで波乗りにでかけるようになったらしい、波がなかったり、逆に大きすぎるときは、ローカルのサーフショップも手伝って、少額ながらもアルバイト代をもらって、一部をけいとの家の家賃として払っていたってコトも知った。
 すぐに島に行く旨を伝えたところ、来てもなにもすることはないから、無用だといわれた。できることは、どこかの浜に打ち上げられて、無事にも取ってくるコトを祈るだけだって言われた。ようするにけいとの時と同じなのだ。
 静かにみえる海も、ときとして牙をむく。最初から牙がみえれば、距離を置くこともできるけど、海でてから突然、口をあけられては、逃げることもできない。まだ海との関係が浅いゆかちは、その牙にやられてしまったかもしれない。それは、そこそこ経験豊富なけいとですら、行方不明になってしまったのだから。
 
 続報のないまま私は気持ちの向け先が無くなったことを確認した。いまはお一人様が1番しっくりいく。だれがスキで、だれを抱きたい、抱かれたいとかまったくない。ぼちぼち三十代にさしかかろうとしていて、まわりがどんどんカップルになっていく今、お一人様人生と決めつけるのは幾分はやまった結論だといわれるけど、気持ちが向かないものは、仕方ないのだった。
 よくよく考えてみてたら、恋愛も肉体も、気付いたとこにはゆかちにむかってたから、経験らしい経験はなかった。もちろん、おさななじみあるあるで、ゆかちのほっぺにキスしたことはあるけど、それが限界だった。ようするに、相思相愛とか、肉体関係とか、いまいちよくわからないのだ。
 でも、よくよく考えてみたら、高原のオーナーと何回か女性として肉体関係をもったことがあったことを思い出した。でもその機能がまだそなわってなかったら、中途半端なものだった。でも全く知らないわけじゃなかった。でもあれはおままごとのようなものだったかもしれない。

ふと、ゆかちのコトも、成るようにしか成らないということに気がついた。彼らの行動に振り回されるより、わたしはわたしを生きるべきだと思った。その為にはどこまでゼンマイを巻き戻せばいいのだろう。それがかならずしも、良い位置とはおもえなかったのだけど、少し女性に振り切ってみようかと思った、高原のオーナーのところに行ってみて、それはリアルだったのか、それともそうではなかったのか、再度確認してみるのもいいかもって思った。すでにあれから八年以上たつのだし。

 そう思ったら行動は早かった。なんとなく、旅して結論を得る生き方になれていたから、基本的な荷物はすでにバックパックにはいったままだ。そこに着替えを投げ込めばすむ。前回は遠回りでヒッチハイクしていったけど、今回は直行の夜行バスで一晩旅すれば高原の中心のバス停につく。そこから少しだけ頑張ってあるけば、オーナーのホステルにつく。
 バスは一晩走り続け、かなりの早朝にバス停についた。高原の冷たい空気がバスのなかいっぱいに入ってきて、下界とは違う空気がそこにあることを伝えてきた。バスをおりて、荷物をトランクから取り出し、背負って目的地にむかって歩き始めた。
 その時、いきなりスマートフォンがぶるんとなって、通知メッセージにハウスの住民からの短い文字が表示された。 

 「ゆかち 戻ってきたよ」

 わたしは特に感傷に浸ることなく、すぐさま引き返すバスの席に身をゆだねたのだった。

この記事が参加している募集

多様性を考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?