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釜山留学日記(7)自分が大切にできる量

おはようございます。雨が降っている、静かな日曜日。今日も今週感じたことを書いていこうと思う。

今日は、勉強(今週のプレゼン準備)、仕事、勉強会(西面にて)という予定。勉強会に行く頃には、雨が止んでいるといいな。

近所。

1人でいること

今週は1人でいる時間が多かった。友人達から3回遊びのお誘いがあったけれど、3回とも断った。

最近釜山もコロナが再び流行。友人もかかってしまい、私も一応濃厚接触者ということで検査をしたが、陰性だった。期末考査も来週に控えているから、勉強に時間を使いたい。断る理由は、色々あった。でも、本音を行ってしまうと、”乗り気じゃなかったから”。この一言に尽きる。

大人数で遊ぶこと、あんまり仲良くない人と遊ぶことにきっと、いやかなり疲弊していたんだと思う。1人行動、1対1、時々少人数で遊ぶことが好きな通常モードの私よ。釜山生活2ヶ月目にして、カムバだね。おかえり…笑

いつだって新しい環境に入りたての時は、ワーッとエネルギーを使ってちょっとテンション高めに大人数と関わることが出来る。この期間はとっても楽しくて、キラキラしている。振り返れば、大学入学時、ドイツ留学生活、社会人なりたての時だってそうだった。でもそのテンション感は有効期限付きで、大抵数ヶ月で期限切れを迎える。

近所で週末よく行くカフェ。至福。

仕事と性格

これは、プライベートに限ったことでは、ないようで。この”ハイテンション期間”の自分を元に仕事を選んだ最初の就職先での仕事は、毎日刺激と出逢いに溢れていて、スピード感がある日々だった。自分はこれが好きなんだ〜って毎日突っ走ってた。でもこの期間限定の自分に照準を合わせた仕事の仕方だったから、長くは続かなくて心身のバランスを崩して1年も経たずにやめた。

その後の大学職員の仕事、言語を教える仕事は割と静かにコツコツしていく仕事で、最初から”スキ〜”とは全然ならなかったけれど、日々続けていくことが出来る仕事だった。こっちは、きっと”持続可能なテンション”の自分に合っている仕事なんだろうな、と最近の自分をみていて思う。

好きな仕事をしても、どうも自分がボロボロになっていく感覚があったり、体調にそれが不調として現れてくるのならば、それは”好きだけど、合っていない”と思うことにして、手放す様にしている。

何よりも大切なのは、健康(体も心も)だから。

私は、本当に言語を勉強したり、海外で普通の日常生活を送るのが何よりも幸せだと感じる。仕事はその時間を成り立たせる為のものだという、割り切りをして、自分が続けられることをコツコツと積み重ねていきたい。どうやら私の生活は、仕事を中心に回転しない様。

休日の定番

釜山に来てからは、(私にしてはかなり珍しく)大人数で遊ぶ週末が多かった。2ヶ月たって、コロナで遊べずに悶々としていた全ての鬱憤を晴らし切った様で。ようやく通常モードの私がカムバし、週末もいつものスタイルに戻ってきた。本読んで、コーヒー飲んで、言語を勉強して。自然の中をぼーっと歩いて。私の週末の定番。埼玉、東京、ドイツ、宮城、そしてここ釜山。どこにいても結局このスタイルに戻ってくる。これはもう1人暮らしを始めた8年前からさほど変わっていない様に思う。

結局こんな感じに落ち着く自分にかける言葉”おっけい。それが好きなのね。了解です。”

□近所探索ギャラリー

迫力。
色使いが美しい。
自然の中にあると、神秘的。
庭園にて。

幸せ源の違い

今週悲しかったことは、同じ雰囲気だな〜仲良くなれそうだな〜と思っていた友人がそうではないと分かったこと。異性に対して、最初の印象とその後の印象がまるで違くて、幻滅することはあっても同性の友人においてそう言うことはなかったから、余計に喪失感を感じた。

私は、ゆっくり会話して、相手を知りたいな…そんな気持ちだったけれど、彼女は会話というよりかは、クラブとパーティーがエネルギー源なようだった。少人数の予定も、必ずさらに知らない人を2〜3人追加で連れて来て、浅い会話だけが積み重なっていった。あ〜薄っぺらいと、思った。他にも色々な要素が混じりあった結果”仕方ないな”と思った。幸せの補給源が、違うってことだと気がついたから。このグループからは、(悲しい、本当に悲しいけれど)フェードアウトすることに決めた。

会話を大切にする人が好きということに、気がついた最近の出来事。感情を言葉にすることを大切にしている人。いろんな話題について、ゆったり深く長い会話が好きだ。恋愛でも。恋人と公園散歩したり、カフェで何時間もおしゃべりしたり、勉強したり。あと、美術館行ったり。落ち着いた会話のあるデートが好きだった。また次、それを幸せだなと感じるひとと出逢えたらいいな。

自分が大切にできる量

どうやら私の部屋は、ものが少ないらしい。家族にそう言われる。私は、ミニマリストを志しているわけではないけれど、確かに部屋は、いつもすっきりしている。

一つ一つ丁寧にしたいって思うとどうしても、数は少なくなる。手元にあるものを丁寧に手入れしたり、磨いたり、整理したりして大切にしたい。ものを次々に消費していくのが苦手だ。一つ一つ味わう前に、また新しいものがきたら、心が無機質になっていくからかな。手元にあるものを手入れすることは、生き急ぎがちな自分をゆっくりペースに戻す儀式的な…..?そんな効果もあるのかも…..!?。

これはもの以外ものにもあてはるなと、ここ最近の出来事を通して思った。人間関係・予定・仕事・遊び 等々も、自分が大切に出来る量はかなり少ないということに気がついた。

パンパンのスケジュール(遊びの予定だったとしても!)だと、うううう....となって全部投げ出したくなる。余白多めの悠々自適な日常が好みだ。

人間関係も、交友関係を広げすぎなくていいやと、思う。深くわかり会える人がいて、そこに時間と愛情を注ぐことで、幸せだなと深く感じるから。

ハングルの国

対人関係って常に揺れ動いていて、自分ではどうしようも出来ない感情にさせられる。

だから、自分の中に自分で平和を見出せるものがあると、自分を保ちやすい。私にとってのその一つが、韓国語。韓国語を勉強していると、満たされていくし、興味の浮き沈みがなく安定しているからありがたい。

韓国で生活、というよりは、韓国語が使われている国での生活は(伝わる、この気持ち?)は韓国語オタクの私にとって日常が楽しい。例えば、ハングルで書いてある食品パッケージをみてもテンションが上がる。ハングルで書かれているって、可愛い!キッチンにいながら、日本では見ないような後ろの詳細説明もしっかり読んで、新しい単語も覚えたりして。

はまっている混ぜ麺。
ちょっと甘すぎた、オレオアイス。
コンフレーク。

長くなったけれど、それほど色々なことを感じているということだろう。韓国での日々を噛み締めながら、生活していこうと思う。また書きます。

Minami


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