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【読書記録】彼岸花が咲く島

フェミニズムとか、政治的なこととかは私はあまりよくは分からない。

この物語の中にいて、ただ幻想的なものを感じ、
どこか懐かしくて、
過去を物語っているような、未来を想像しているような
そんな不思議な感覚だった。

言語というものは、きっと歴史の中で色々と変化を重ねていって、
昔、話していた言葉は、きっと今話している言葉とは違う。
そして、今、話している言葉は、未来に行けばきっと今とは
違っているのだろう。

正しい本来の意味を使いたい、と思っていても
それは否応なしに変わっていく。
そういうものなんだろう。

この「彼岸花が咲く島」では、〈ニホン語〉と〈女語〉が使われている。
〈ニホン語〉は漢字が多く、音読み、熟語、中国語のような雰囲気。
〈女語〉はひらがなが多く、今の日本語に近い。ノロと呼ばれる女性しかその職務につけない存在だけが、話すことを許された言葉。
この島に辿り着いた少女は、〈女語〉に近い言葉を話す。それは〈ひのもとことば〉と呼ばれ、漢字を排除し、ひらがなと、ひらがなに置き換えられない言葉は外来語(カタカナ言葉)に置き換えている。

と言った、3つの言語が出てくる。

過去にそれらは同じように生活していた時期があったことを表し、
やがて分たれたことがわかる。

私たちが今話す言葉も、生きている世界も
お隣の国と似ている言葉があったり、
共通の単語があったりする。

話は違うが、昔、観た「メッセージ」という映画に私はかなり衝撃を受けた。

言葉を理解するということは、
その言葉の持つ、背景や歴史、持つ力も受け取るということ。

お恥ずかしながら、私は一つの言語しか操れないので
「へえ、そうなんだ!」という衝撃を受けたわけだけれど、
世の中には母語以外の言葉を習得し、
生活し、活躍している人々がいる。

「彼岸花の咲く島」の作者、李琴峰さんも
母語は台湾系の中国語で、日本語を習得し、
日本語で書かれた今作が芥川賞を受賞した。

言語を習得し、さらに物語を紡ぐということ。
さらには、言語を新たに生み出しているということ。

すごく興味深かった。

私は母語ですらままならないが、
こうして二言語以上操る人が母語以外の言葉で
作品を作り、
その中では言語を大切に継承している、
島の内を守ろうとしている人たちを描いている。
しかし、物語の最後では大切にしてきたはずの文化や歴史を
覆すことになっても自分らしい選択をしようとする少女がいる。

なかなか難しい話だったけれど、
言語も人も力強く、柔軟な存在だなと感じた。

にしても、言語習得…頑張らねば、と全く違う感想をもつ私。
感心するばかり。


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