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【読書記録】月夜の森の梟/小池真理子

失礼ながら、小池真理子さんの本も、夫である藤田宜永さんの本も
読んだことがない。
別に避けていたわけではないけれど。
ご縁がなかったのだろう。

今回、こちらを手に取ったのは父を亡くしたタイミングに
目に留まったから。
ご縁が回ってきた。

藤田宜永さんと小池真理子さんはご夫婦で直木賞作家。
ずっと同じ屋根の下、二人で小説家として生活されてきた。
そして、2020年1月藤田さんが亡くなった。

小池さんが亡くしたのは夫であり、
父親とは違うのだけれど、
誰か大切な人を亡くした哀しみというのは
どこか通ずるものがあると思う。

お二人の闘病日誌かなと思ったけれど、そうではない。

亡くしてからの、小池さんの哀しみの日々を綴ったものだ。

それは、
失った」実感が襲ってきて打ちのめされる日と
懐かしい日々が甦り慈しむ瞬間の繰り返し。

もう大丈夫」と思える日と
まだダメだ」と涙を浮かべる日の繰り返し。

遠くなる日々
いつまでも身近にある存在。

「その人」を失った哀しみという感情は
それぞれ「その人」が自分にとってどんな存在かによって、
共有できるようで共有できない。
同じ人を失っても、「その人」に対しての想いが
あれ、なんか違う…と感じる時がある。

けれど「大切な人」を失ったという抽象的な感情は
共感できる部分がたくさんある。

親、兄弟、ペット、配偶者、友人…
誰を失ったにせよ、
その哀しみの感情は言葉にできないままに
心にあって、
それは
小池さんの個人的な手記のようでいて、
たくさんの人に共通するものだと思う。

続いていく生活の中で
不意にまだ生きているかのように思う瞬間。

闘病生活の中で辛かったことがフラッシュバックする瞬間。

楽しかった思い出。

あの時、こうしていればよかったと思う後悔。

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本書の中で、藤田さんの特徴的な字でかかれた沢山のメモたちが
そこかしこで息づいていると小池さんが感じる描写がある。

私が、父の手帳の中に「父」を見たように。

誰かが書く文字というのは「その人」が宿るのだろうか。

わかる、
と思った。
小池さんの文章を読みながら、何度も
わかる、
と思った。

その
「わかる」
と思った瞬間に少し癒されていくのを感じる。

親を失くす、
配偶者を失くす、
それは多くの人が経験する
平野啓一郎氏の言うところの「平凡」なことだけれど、
それを独りで乗り越えるのは
なかなかに難しい。

誰かの言葉に
「わかる」と頷いて、
ああ、私だけじゃない、と感じて
少しずつ乗り越えることができる。

エッセイをきっかけに出会ったけれど、
小池さんの本をぜひとも他にも読んでみたいと思った。

エッセイと小説はまた違うだろうけれど、
そんな出会いもいい。

小池さんの作品で何かオススメをご存知の方、
教えてくださいまし。




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