Soup Noodle Cuisine考 vol.3
2年前に金澤流麺らーめん南を閉店した時に、石川県でトップのラーメン店である自家製麺のぼるさんと自家製麺テラさんが俺のためにお疲れ様会を開いてくれた。
ナチュラルな料理とワインが評判のイタリア料理店に出向いて、普段はお酒を飲まない2人もワインを楽しんでいた。
その時にのぼるさんが俺にこんなことを言ってくれた。
「南さんが石川県に現れてから、明らかに石川県のラーメン業界は変わった。価格帯もそうだし、独創的な限定麺を出す店も増えた。南さんが与えた影響はお客様よりも俺たち同業者の方が強い」
これはとても嬉しい言葉だった。
確かに言われてみれば、全然面識のないラーメン店の店主からDMが届いたり、それほど絡みのなかった有名店店主から
「南さんのおかげで価格を上げる勇気が出ました。これからも先頭を走ってください。ありがとう」
なんてDMが来たこともあったし、何よりも一回り下の世代のラーメン店店主から
「話を聞いてみたい」
と言われることも少なからずあった。
しかし会って話をしてみると本当にがっかりするからもうのぼるさんとテラさん以外の県内のラーメン店店主とは関わりを持つつもりはない。
だって俺、ラーメン屋辞めたもん。
スープヌードルキュイジーヌ屋だもん。
個性ってなんじゃい
若い世代のラーメン店店主と会って何にがっかりするかというと、なぜか俺にチャレンジしようとする姿勢が見えるからだ。
みんな俺のことを
とても変わったことをしている人
と考えている。
「他所と違うことをやりたい」
「個性を出したい」
「俺はめちゃくちゃこだわっている」
という内容をとても熱く語ってくる。
うんうん、それでええやないか、そうしたらええやんか。
特に俺にアピールする必要ないやんか。
俺に認めてもらいたいのか、はたまた対抗意識を燃やしているのか、それは各人がそれぞれ胸の内で燃やしてくれたらいい。
俺には全く関係がない。
一体何を俺と話したかったのかが分からないから、
「はぁ、まぁ、ええんちゃう?」
と答えるしかない。
個性とは、発揮するものでも表現するものでもない。
自ずと滲み出るものだ。
香り立つものだ。
漂ってくるものだ。
いつの間にか染み込んで侵入してきて他者の心や感性を侵してしまうものだ。
「個性を出していきたい」
と言っている時点で、無個性なのだ。
尖ってるやつ、カッコいい?
ありがたいことに2021年のミシュランガイド北陸特別版にてビブグルマンとして掲載をしていただけた。
おかげで注目もしていただけたし、長年俺の店に通ってくださった常連様に恩を返せた気持ちにもなれた。
ところが後に面白い話を聞いた。
某有名食材店に勤めていた友人が俺に教えてくれた話なのだが、とある日のミーティングの場面のことだそうだ。
その店の上役の方がこう言ったらしい。
「うちとも関わりのある南さんがミシュランに選ばれました。素晴らしいことです。南さんは批判にも負けずに自分を貫いて尖り続けたからの評価です。うちも尖っていきましょう」
…待ってほしい…
俺は尖ろうなんて思ったことなど一度もない。
他人と違うことをやろうと考えたこともない。
確かに他所の店と丸かぶりしたものを出すのは怖い。
だが、最初から差別化を意識して作品を作るのではなく、ただひたすら自分の胸の内から湧いてきたものを形にしたいだけだ。
とても素直に、真面目に、誠実に、少しでも美味しく、美しく、想いが食べてくれる人に届きますように…
祈るような想いで作り続けているだけだ。
間違っても
目立とう
とか
尖ろう
なんて1ミリも考えたことはない。
「南さんみたいに尖ろう!」
と言っている時点で、すでにまぁまぁ鈍い。
イノベーティブ?
またある人はこんな風に俺を評してくれた。
「南さんはラーメン界のイノベーティブですね」
皆さんはイノベーティブという言葉を聞いたことはあるだろうか?
ジャンル分けできないような革新的な料理に対してイノベーティブと呼ぶことが増えてきた。
現にミシュランガイドでもフレンチや日本料理と並んでイノベーティブという言葉を見かける。
確かなに俺の作ってきた作品はラーメンだと思うと肩透かしを喰らうというか、拍子抜けするというか、おおよそラーメンのイメージからはかけ離れたものだと思う。
でもそれは、ただただ純粋に目の前にある食材を自分の今現在の技量と感性で丼ひとつに落とし込んで仕上げたらこうなった…という結果に過ぎず、
「革新的なラーメンを作ろう」
などと考えたこともない。
僕のスープヌードルはイノベーティブというよりはどちらかというと…
プリミティブ(原始的)でさえあると思う。
食材に対して素直に、どうすれば一番美味しくなるか?
料理とはいい素材、いい塩、いい火加減、これだけだ。
ラーメン界のイノベーティブとも捉えられたくないので、スープヌードルキュイジーヌと名乗ることにした。
今の時点では俺と同じ発想の人は少ないかも知れないけど、もう10年もしたらきっと似たような感性の若者が増え、スープヌードルキュイジーヌという言葉も広まっているのではないか?と考えている。
まずは自分が気持ちよく。
自分らしく生きる。
その過程で生み出されるものが、スープヌードルキュイジーヌ。
ここまで書いてみて、ちょっとした疑問が自分の中にも湧いてきた。
個性を出すことを意識したことなんて一度もないけど、周りが俺のスープヌードルのことを【個性的】というのであれば、その個性はどうして醸成されたのかな?
自分の個性なんて分析も意識もしたことなかったけど、そこについてもこの連載で掘り下げていこうかな。
読んでくれてありがとう。
愛してるよ。
(のんびりと続きます)
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