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カイナとの記憶 

チリに住んでいた頃、良くしてもらっていた友人カイナの母が亡くなった。今朝、仕事せずfacebookを見ていたら、お別れ会の情報が流れてきた。そこには、闘病中と思われるカイナの母の写真が投稿されていた。

記憶とは不思議なもの。ふとした瞬間に思い出す感覚。カイナの投稿を見て、彼女と彼女の家族と過ごした遠い昔の時間を思い出した。忘れてしまった記憶は、忘れられたことも、忘れられてしまっている。当たり前か。

カイナと、カイナの家族と過ごした時間は私の心の温かい一部分となっている。

カイナとは留学していた高校で知り合った。他のクラスに私より後に転校してきた子だった。明るくて、ガサツで、よく皆んなが噂をしていた。沢山お酒を飲むとか、パーティーが好きだとか、カイナを悪く言う人も多くいた。私は日本人というだけで、学校で目立っていたので、カイナも私を珍しがってよく話しかけてきていた。私の近しい友人は、カイナと距離を取ろうとしていたが、私は真っ直ぐな彼女といるのは居心地が良かった。クラスメイトとの関係に疲れた時の息抜き、また普段の友人たちとは少し違った世界を見せてくれたのがカイナと、その家族だったような気がする。

彼女の家に呼ばれて、お寿司を作ったり、ブラジリアンワックスで口ひげをとったり、沢山食べて一緒にお昼寝したりした。陽気なカイナの両親は、私が作る巻き寿司を大喜びして食べてくれた。カイナのお母さんは、最近脂肪切除をしたと話していた。花柄のワンピースを嬉しそうに着ていたのを覚えている。昔はこんなに太っていたけど、手術のおかげで、こんなに痩せられたととても嬉しそうに話すカイナのお母さんのことを思い出す。手術の後も沢山食べ、飲む人で、その危うさを少し心配したことも覚えている。別れ際にはいつも、もちもちしたカイナのお母さんが私をキュッと抱きしめてくれた。

親元を離れ、一人チリに留学していた10代の私にとって、どこかの家族に温かく迎え入れられ、大切にしてもらう時間は心の支えであった。

チリを離れ10年が経ちそうだ。離れては近づき、近づきは離れていく友人たち。素敵な夜を過ごし「またね」と言って、また会えたら、それは最高だ。けれどもそれがとても難しく、奇跡的なことであることも、経験からだいぶ理解してきた。

カイナのお母さんにもう一度会いたかった。顔を見せたかった。昔話がしたかった。けれども10年前、彼女たちと過ごしていた時、私の心はその場所にあり、かけがえのない時間を噛み締めていたのを覚えているで、心はなぜか清らかだ。


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