あるTwitterについて

私はTwitterにアカウントを持っている。
そこに、フォローもなにもしていなくても時々「こんな話題どうですか」といってツイが表示される。
そのシステムで、先日一部で話題になった(らしい)ツイが流れてきた。
とあるバイカーの自殺。
日本一周して自死の間際に死に場所と診断書らしき画像がついてさよならを告げるツイ。
正直なんとも思わない。死んでほしいとも生きてほしいとも思わない。その行為に至る理由やその人のことを私はなにも知らないから。
けれどリプは山のようにあり、本人を知っている人、全く今まで絡みもないFF外からも「死ぬな」「死んだら悲しむ人がいる」「もっと生きて楽しいことを見つけろ」というタイプのコメントがたくさんあった。
こういうのを見ると、辟易としてしまう。
私自身が他者にとやかく言われたくない性格で、賛否両論ありそうなことはできるだけ他者に理解を求めないというのもあるんだと思うし、自殺するにしてもさよならなど呟かない。そしてリプする人々は何がしたいのか。
もし現場をすぐに特定できて、止めに行けたとする。止められたとして、その後も物語は続いてしまう。漫画やドラマのように救えてよかったね、で終わるわけじゃない。
きっと止めた側はさぞいい気分なんだと思う。なんせ人の命を「救った」のだから。
でも救われた方は本当に救われるのか。
目の前の命を救いたいのは本能かもしれない。それは理解できるけど、死にたいほど辛い人の死にたい気持ちに触れることもなく一方的に生きることを半ば強要するのも違う気がする。
そして自殺は多かれ少なかれ誰かの手を煩わせる。どんなにきれいに去ろうとしても、なかなかそうは行かない。だからこそ、死ぬことを決めたのなら、誰も巻き込まず最小限の迷惑で済むようにしたほうがいいと思ってる。
さよならのツイをした方は、遺体で発見されたらしい。どこまでがほんとうかはわからないけど。
私たちは無自覚に、「自分は間違っていないバイアス」がかかる。とっさの時や緊急時などは特にそうだと思う。
生きるとか死ぬとか、同じものでも感じる気持ちとか、そんなものは人の数だけあるのだから、絶対にこう!という押し付けをせずにいられないものだろうか。

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