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自分の頭を記録に残すことについて

耐えている人しかいないのなら絶望

生まれてからあまり体調がいいほうではない。中学生の時に典型的な片頭痛だろうという診断を受けて、何かと日常生活に支障はあったけど命を脅かすような病気では全くないから、悩んだとて誰かが助けてくれるものではないと、休んだり早退したり薬を飲んだりしながら学生の間は生きてこられた。

大学生の間は通学に電車で2時間かかるし(行きたい学部はそこしかなかった)、通学中は音と光で刺激されるし、着いたらパワポのスライドをずっと見続けなければいけないしで、通学自体はかなりの苦行だった。ほうぼうで嘔吐していた記憶。

でも社会人をまあまあ意識するようになったとき、今までは自分が困るだけですんでいた「体調不良」は人に迷惑がかかるということは簡単に想像ができた。

体調不良と言いつつも、授業がない日や午前に終わる日はアルバイトに行ける程度だったので、当時は週5フルタイムは無理でもなんとか自立できないほどではないというラインだと思っていて、どこを目指したらいいのか全く分からず毎日毎日飽きずにイライラしていた。週5の通学も厳しいのに!

そういうわけで片頭痛の先輩方はいったいどのように生きているのか調べることにしたのだけど、「休まざるを得なくてやるせない」や「同僚の視線がつらい」や「痛みを隠して仕事している」やらで、とにかく我慢する未来しかみえない。絶望的だな~と前にもましてイライラしていた。

「片頭痛 死にたい」という検索候補も出てきて、ちょっと分かるな、と思ったりもした。死んだら痛みを感じずにすむ(元気な時は思わない、痛いときに思うだけ)。もっとも、その人が片頭痛自体に苦しんでいたのか、片頭痛によって起こる我慢やつらいことに苦しんでいたのかは分からない。

でも日常で「死にたい」と思うほどの痛みを抱えて何年も何十年も生きていけないなと本気で思ったので、自分に適した場所を探す努力をしないといけないと本気で思った。


感情以外のデータが欲しい

紆余曲折あって、運よく自分の体調を最もコントロールしやすく、理解してもらいやすい環境で働くことができている。体調だけでなく、今いる場所を選ぶ動機にはもっと強いものがあったからQOLは格段に良くなった。その辺は別で書く。

頭痛が起きても絶望感はだいぶ減ったし、そもそも頭痛の頻度も減った。

でもそれは色々な引き合わせがあったからで、一歩違えば私も気力体力共に根こそぎ失っていたなと思う。

私はおそらく一生片頭痛を克服することはできないけれど、自分の適した状態にあるために研究と実験を結構したと思う。頭痛の兆しがちょっとでも現れた時に、何が原因か、何をしたら和らぐか、どういう対処をすればいいか、体感的に分かる程度にはなってきた。

そして最近、社会人の友達に「片頭痛になってしまったようなんだけど、どうしたらいいのか知りたい」と聞かれたのを思い出して、自分を大事にするとか痛みがつらいとかじゃなくて、どうしたらいいのか、どうやって生きていったらいいかを知りたかったな、という学生時代の感情がばーっとよみがえった。

片頭痛はありふれた病気なのでこの手の悩みも多分ありふれているのだけど、解決は各々、解散!と言われたので私は解散してしまった。

せめて解散!と言われてしまったほかの人が先人の体験記を見て絶望しないように、そして片頭痛は遺伝性らしいから、もしいつか自分にこどもが生まれて片頭痛に困ったら対処できるように、私の片頭痛の程度、薬の服用歴、症状、対処方法、感情20年分くらいをデータとして淡々と残しておこうと思う。




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