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絵を描くこと・なぞ

絵を描いていると、いろいろなことを考える。

自分はどんなものをうつくしいと思うのか、それを理解したくて絵を描いている。自分だけが生み出すことができる、うつくしいかたちを探しているような感じがある。
大切だと思ったものを残しておきたいから、絵の具を木の板にこすりつけたり、粘土をこねたりしている気がする。
誰のためでもなく、全部自分のためで、なんの社会的意義もない。
この世には自分だけがわかっていればいい何かがたぶんあって、私は、それをわかりたいだけであり、それを探る手段として絵がある。
絵を描くときの私は、深く打ち付けられた鉄の杭のような確固たる自信に満ちているときもあれば、輪郭を保っていられないほどぼんやりとして、霧の中を彷徨う幽霊みたいになっていることもある。


いまだに自分がなぜ絵を描いてるのかと聞かれても、「好きだから」以外の答えが見つからない。相手の期待しているような言葉が思いつかず、こどものような単純な答えしか返すことができない。
大人の世界では、説明できないことは、存在することも許されないみたいな感じがある。いろいろなことに意味を求められる。語ることを求められる。言葉を尽くさないことは、怠惰だと言われる。

自分は、そもそも言葉を信じていないので、自分のことをあまり言語化したくない。言葉は便利だけど、いろいろな言語を学ぶほどに、この世界には言葉では説明することができないものがあるような気がして仕方がなくなる。
言葉で語ることで、視覚的に得た印象は、本来の印象を離れて語られた言葉の方へ引き寄せられてしまう感じがする。それだけ言葉の力は強い。
言葉で語り尽くすことができるなら、絵はいらない。
詩を書いた方がいい気がする。

この1年間は、そんなことばかりを考えていた。
まだ答えは見つからない。




毎日を生きていると、いろいろなことを忘れていく。
覚えておきたいことがたくさんある、しかし私はすぐに忘れる。
覚えておきたいと思っていたことすら、忘れていく。
それが悲しくて、さみしくてたまらない。
それと同時に、日々起こる出来事を何もかも忘れていってしまいたい気もする。
まっさらになって、ゼロになって、常に空っぽでいたいような気もする。
自分の中に、ふたつの自分がいる。

自分が忘れたくないと思うものは、いつも些細なものばかりだ。

晴れた朝、銀杏の葉がチラチラ反射して眩しかったこと
アトリエに差し込む、冬のやわらかい光のあたたかさ
公園に座り込む、カラフルな半纏を着たおばあさんの後ろ姿
動物が雪を踏みしめたあとに残った、まんまるの足跡
夕方、オレンジ色の犬の背中がゆっさゆっさ揺れていたこと
何度も振り返って、私を見ていたこと
車の上からこちらを睨んでいた、金色の目をした猫
取り壊されていく米軍住宅の廃墟のこと
フェンスの奥に咲いていたピンク色の花、枯れた蔦についた真っ赤な実
強風にはためく小さな星条旗、使われなくなったガソリンスタンド
夕飯を私の前にひとつずつ並べてくれた、おばあちゃんの手
おじいちゃんのことを語るときの目、仏壇に飾ってあった巨大なユリの匂い
日が沈んだ直後、黒い山の奥に広がっていた橙色の空
ニット帽をかぶっていた手作りの案山子たち
ひとりぼっちのバイクで山を登ったときの冷たい風
青白い森の中、霜の下りた植物たちを踏んだこと
氷点下の霧の中でみつけた、ちいさな狛犬たち

ぜんぶ、ぜんぶどうでもよくて、一つ残らず覚えておきたい。
どうでもいいことぜんぶ、死ぬまで覚えておきたい。

そういう時に感じた気持ちを絵に昇華したいのだと思う。
このどうしようもなく役立たずの気持ちを抽出して、形にして、残しておきたいんだと思う。残してもいいよ、大切だったよねって、言いたい。

漠然としていて、むずかしいことです。
でも、いつか形にできるようにがんばります。



2023年1月から独立することにしました。
環境を整えて自分の制作により一層向き合っていきます。
これからも絵を見てもらえるとうれしいです。
来年もよろしくお願いします。

おわり

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