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さようならの予感

「むーちゃんとあと何回、桜を一緒に見れるんだろうね。」 毎年桜の季節になると、母親がそんなことを言う。 むーちゃんとは実家の犬で、実際は”むく”という。 今も元気いっぱいに生きているが今年で11歳。すっかりシニア犬である。 私は別の場所に住んでいるので、むくには毎日会うことができない。 とはいえ、時々一緒に散歩へ行く。その度に、あと何回こいつと一緒にこの道を歩けるんだろうと思っている。 あと何回、私を振り返って見てくれるんだろう、と思う。 春になると、別れの予感が私の中

    • 個展『小箱のはなし』の作品たち

      こんにちは。 個展『小箱のはなし』が来週の土曜日からスタートです。 場所は前回の個展でもお世話になった大阪のnewpure+さんです。 ぜひお越しください! いよいよ会期が近づいてきたので、出来上がっている作品たちを部屋中に並べてみました。今回の個展のため、去年の下半期に制作した作品ばかりです。眺めていると、過去の自分の記憶を再解釈したようなものが多いように感じます。 私には残しておきたい大切な記憶があり、その時の心の動きを削り出して絵にしたいと常に思っています。 言葉

      • スタジオ崖小屋

        みなさん、こんにちは。 今年1月より独立し、スタジオ崖小屋という場所を立ち上げました。 どこかの崖の先端にある小さな家から、 みなさまへいろいろなものをお届けします。 わたしと、崖小屋の住人たちのこと(さまざまないきもの・いきていないもののこと)、いろいろな形で発信していきたいと思っています。 どうぞよろしくお願いします。 『スタジオ崖小屋』という場所からできることを、自分のペースでちまちま行っていく予定ですので、長い目で見守っていただけると嬉しいです。 自分の絵や

        • 絵を描くこと・なぞ

          絵を描いていると、いろいろなことを考える。 自分はどんなものをうつくしいと思うのか、それを理解したくて絵を描いている。自分だけが生み出すことができる、うつくしいかたちを探しているような感じがある。 大切だと思ったものを残しておきたいから、絵の具を木の板にこすりつけたり、粘土をこねたりしている気がする。 誰のためでもなく、全部自分のためで、なんの社会的意義もない。 この世には自分だけがわかっていればいい何かがたぶんあって、私は、それをわかりたいだけであり、それを探る手段として

        さようならの予感

          ある絵描きの、折り合いがつかない感情についての記録

          つい先日、久しぶりに強く抱いた感情があり、その感情について文章にして残しておこうと思う。かなり個人的なコンプレックスの話であり、同じような劣等感を抱いている人が他に居るのかも謎だが、へ〜こんな人もいるんやな、くらいの気持ちで読んでくれる方はお付き合いいただければと思う。 (*文章内に出てくる批判的な文言は全て私個人に向けられたもので、他者に言及する意図はありません。) _____ 私は、私が一番美しいと思っているものを決して作ることはできない。 それを一番強烈に実感し

          ある絵描きの、折り合いがつかない感情についての記録