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ストロングゼログラビティ研究⑤平成から令和への旅

第5章
平成の研究〜平成から令和への旅
2019年5月18日のブログ「夜会考・平成の研究〜平成から令和への旅」より抜粋と加筆


およそ100年前、キュリー夫人がラジウムを発見して以降、人類は原子爆弾を手に入れ、原子力発電を手に入れ、現在は原子力宇宙船が開発されようとしている。
しかし、たった100年前キュリー夫人がラジウムを発見した当初は「それが何に使えるのか?」はわからなかった。
その時点では人類にとって「太陽が何故光っているのか」という謎が解明されたに過ぎず、キュリー夫人の発見が、その100年後の我々にどれだけの影響を与えることになるのか、その当時の人達も、キュリー夫人本人にもわからなかったであろう。
発見当初は放射性物質の危険性も分からなかったため、キュリー夫人は研究に用いた放射性物質が原因で再生不良性貧血を患い、1934年に66歳で亡くなっている。
つまり、当たり前であるが、多くの研究では「その最中にはこれが何なのかわからないもの」なのである。
わからないから研究をしているのだが、人は安易に「そんな研究何になるんだ?」と発言してしまうものである。しかし、研究者本人にも「それが何になるのか」はわかっていないのである。
その時はわからない、だが「先の未来にはこの研究が何かに繋がるかもしれない」と信じ、研究者は果てしない研究の海に出るのである。 

※素手で実験するキュリー夫人



平成31年4月30日夜9時。つまり平成が後3時間で終わろうとしている夜、私は雨の中を急いで皇居を後にし、家路を急いでいた。 

皇居では「退位礼正殿の儀」が行われており、多くの見物客と日本のみならず世界各国の報道陣がいたが、自分が居た門から皇族の方々は出てこられず、警察官もマイクで「皇族の方がここから出て来る予定はありません!」と何度もアナウンスしていたが、多くの見物客は平成最後の皇居の写真を撮ったりただぼんやりと眺めたりしており、私もしばらく写真を撮ったりアルジャジーラ速報の後ろに映り込もうとしたりしていたが、どうしても夜には帰らなければならなかった。
それはおおがきさんの「ツイキャス」が平成の最後に放送されるはずだと信じていたからである。
信じていた、というのは確証があったわけではないが、必ず放送されると漠然と信じていたのだ。
私とおおがきさんとは数年前からパブリックスペースの研究など、多くの研究を共にしてきた。
その一環として、去年の9月から「ツイキャス」での活動を行っており、研究を進めていく中で、我々は避けて通ることはできない大きな研究テーマにぶち当たったのである。 

「平成の研究」である。 

私は昭和60年に生まれたので、物心ついた時から今までの人生はほとんどが平成であった。
おおがきさんも少年時代に平成を迎えたので、平成そのものが人生と言っても過言ではない。 

しかし、私は平成の終焉を目前にして、ある感情がふつふつと湧いてきたのである。 


「平成がしっくりこないまま平成が終わってしまうではないか」 

平成研究に取り掛かる以前、いつものようにおおがきさんとツイキャス夜会で盛り上がっていた時、(その時のテーマは「こちらは全然ロリコン犯罪者じゃないですよと周囲にしっかりアピールしながら、危険な所を歩いている子供に『危ないよ』とその場を安全に立ち去るように促す方法について」)不意におおがきさんが話の脈絡とは関係無く、 

「そんでもって平成も終わってしまうっつーじゃない!」 と言った。 


その瞬間、私は寝耳に水みたいな状態、こんだけ日々「研究研究」と広言しておきながら、肝心の今生きている「平成」そのものを研究していなかったことに気づかされたのである。 

私は平成という時代を研究活動で駆け抜けたように思っていたが、その「平成」という時代自体についてはなにも研究していなかったのだ。 

私は若い頃からやたら物事に対して斜に構え、主流を嫌い、ムーブメントを疑い、脇道からの客観だけでそれぞれの事象についての推察考察などをし、それらを「研究」という形で発表し続けながら人生の時間を消化して生きてきた。
しかし、その為に、何に対しても乗り遅れ、何のムーブメントにも乗り切れず、やっかみに近い小言でクール且つお洒落に時代を乗りこなしている人たちの揚げ足を取り続ける面倒な老人に片足を突っ込みかけていた。
平成のムーブメントには何にも乗り切れず、その都度「もっと自分らしい『平成』がきっと未来にあるはずなのだ」とあらゆるものを先延ばしにしたまま、何の本番も来ないまま…その平成が終わってしまう。
翌日、職場にて清掃作業をしている最中にも、おおがきさんのふいに言った言葉が度々頭の中で鳴り響いていた。 



「そんでもって平成も終わってしまうっつーじゃない!」 




平成は残り二カ月、たった二カ月ではあるが、まだ時間はある。
出来ることは沢山あるのだ。 

仕事が終わってすぐにおおがきさんに連絡した。平成最後二カ月のラストスパートを平成の研究に費やさなければならないことを告げると、おおがきさんも近しいことを考えていたのだろう、「そうなんだよ」と言っていた。
こうして二カ月間の果てしない平成研究の旅が始まったのだった。 

まず「平成の研究」と言っても、31年間ある平成を全て網羅していくには時間が限られているため、研究の対象を割り切り、絞っていかなければならなかった。 

私は「新訳」という手法を取り入れることにした。
「新訳」とは、数年前におおがきさんとの夜会で発見した研究方法で、簡単に説明すると、歌や小説など、一般に流通している既存の作品に対し、新たな自分なりの解釈でその意味を訳し直していく作業である。
そして「新訳」の結果、そこに全くの新しい物語が現れると、それはさながら旧約聖書と新約聖書のように別の一冊が誕生することから、「新訳」と「新約」の二つの意味で使っている。 

私はこの「新訳」という手法を使って、平成のヒットソングを解読していく作業に徹した。
おおがきさんは「平成元年(1989年)から平成31年(2019年)のウィキペディアを一年ずつ解読していく」という手法で研究を始めた。(その年々でキーポイントであろう曲も新訳していた)
この模様は、お互いのツイキャスにて記録しているので、是非合わせて聴いて頂きたい。 

この時の私の研究から一つ例をあげるとすれば、平成9年(1997年)に大ヒットしたGLAYの「HOWEVER」という曲。 


この曲のサビを見てみると、
「絶え間なく注ぐ愛の名を、永遠と呼ぶ事ができたなら、言葉では伝える事が どうしてもできなかった、愛しさの意味を知る」となっている。
これを新訳していくと、
まずは、「絶え間なく注ぐ愛の名を、永遠と呼ぶことができたなら」とはどういう状況なのか?
そして、「絶え間なく注ぐ愛の名を」なぜ「永遠」と勝手に言い換えようとしているのか?
この謎の続きには「言葉では伝えることがどうしてもできなかった」とあり、
やっぱり、「愛」を「永遠」と勝手に言い換えて会話を進めた為に、言いたいことが伝わらなくなっている……。
そしてサビの終わりは「優しさの意味を知るー」と続く。 

つまりこの歌詞が意味するところは、
「勝手に言葉を言い換えて会話をしてみたが、どうやら相手にはまったく伝わっていない、しかし何故か相手はそれが伝わってるフリをしてくれている」ということに気がついた(優しさの意味を知った)のではないだろうか?
そういう人と人との繋がりを大事にする為の優しい嘘、それが温かい社会を維持していく為には必要なのではないだろうか? 

というように、平成のヒットソングを一行目から最後まで、歌詞の全てを一語一語分析し、新訳し、解読していくことにより、「平成」には何が隠れていたのか?ということを発掘していくのである。 

これは一曲だけでも、かなりのエネルギーと時間を要する。 

時には全く新訳できない曲にもぶち当たったりした。
特に平成の後半に進むにつれ、新訳作業が二進も三進もいかない曲ばかりが台頭していた事に気がついたのも、この研究を進めたからこその発見であった。
おおがきさんも「ここら辺から新訳家ごろしの『新訳ガード』がある曲ばかりになってきてるよ!」とかなり苦戦していた。
一語一語解読を進めていくためには、翌日が仕事で朝7時起床にもかかわらず、朝5時近くまで新訳に費やすこともザラであった。
それはおおがきさんも同じで、次の日仕事が早いにもかかわらず朝方まで平成の研究に徹していた。
いつしか、平日は一人ツイキャスで平成の研究を進め、土日はおおがきさんとツイキャスコラボ夜会にてお互いの研究状況を話し合う、というリズムが出来上がっていた。
つまり、やむ終えず休む日もあったが、ほとんど週7日まるまる平成の研究に没頭しており、まさに「寝る間を惜しんで」毎晩研究していた。
そして平成も残すところ後10日となった頃、私は激しい頭痛と目眩とくしゃみという謎の奇病にやられ、完全に体調を崩してしまった。
仕事中も、何度も目眩に襲われ、清掃作業がままならない状況に陥っていた。 

いつかこうなる気はしていた。 

研究中の物質が原因で、自らの健康を害してしまう研究者のように、研究者なら誰しも背負っているリスク、ミイラ取りがミイラになってしまうリスク。
思うように体調が回復しない私の脳裏に、一つの大きな不安が過っていた。 

おおがきさんは大丈夫だろうか?
そういえば、珍しく三日間ほどツイキャスでの平成研究を休んでいた。 

その夜、恐る恐るおおがきさんにLINEを送ってみたところ、しばらくして一言だけ返信があった。 





「声が出なくなりましたー」 





私は「いかん!」と叫んだ。新時代の幕開けを目前にして、二人して力尽きてしまっては本末転倒ではないか! 

残り少ない平成を、健康で無事に過ごさなければならないはずだったのだが、我々は些か焦っていた。 

2019年4月1日、新元号が「令和」と発表され、我々の平成研究もいよいよ佳境に入り、今までずっと先送りにしていた平成で最も売れた最大のヒット曲「世界に一つだけの花」の新訳という、絶対に避けては通れない、最大の大仕事に取り掛かることになっていたのだ。 

しかし、満を持して「世界に一つだけの花」に取り掛かった我々の周りに、謎のアクシデントが頻発しはじめた。私は体調を崩し、それでもなおと平成研究の配信を試みるものの、何故か配信をしているパソコンが、何度やってもフリーズして止まってしまうのである。 

そして、手分けして別々の平成ヒットソングを新訳していたおおがきさんも、何らかの不穏で巨大なエネルギーにあてられたようで、「世界に一つだけの花」の解読に取り掛かろうとした矢先に体調を崩したようである。 

おおがきさんからの返信は、


「『世界に一つだけの花』は何らかの力で新訳を拒んでいるようです」
と続き、

「ナンバーワン、オンリーワンで韻を踏んでいると見せかけて説明が足りない、もしかすると別の○○ワンが続くのかも知れない………もしかして犬?」
と、衰弱しているにもかかわらず、最新の研究成果を教えてくれたのだった。 



「私に言えるのはここまでです………メイ、レイワ、ビー、ウィズ、ユー」


と最後に告げ、シュワルツェネッガーの画像と親指を立てたLINEスタンプが送られてきた後に、交信が途絶えたのだった。
おおがきさんがもはやスターウォーズのヨーダのように半透明のようになっていることは容易に想像出来た。 



「May the REIWA be with you」 

「I'll be back」 



私もかなりハードに体調を崩していたが、まだまだやらなければならない研究は残っており、「おおがきさんは必ず復活する」、 そう信じて平成の最後まで研究に全力を尽くすしか道は無かった。 





平成31年4月31日夜9時。つまり、平成が後3時間で終わろうとしている夜、私は皇居の前にいた。 

この二ヶ月、毎日平成研究に費やし、「やるだけのことはやったんだ」ということ、そしてその平成が今日で終わるということ、その何とも言えない時代の一場面を、研究者として一目見なければならないと思っていた。 

雨は強くなっていたが、それでもまだ多くの人が皇居を眺めていた。 

立ち去る前、少し離れてもう一度数秒皇居を眺め「この時代とは何なのだろうか、そして時代とは何なのだろうか」と思っていたら、何かの帰りにふらりと寄った風な派手めな格好をした若い女性二人が皇居を一目見て「エモっ!」と言っていた。 

「この感覚、エモいだったのか」 

この平成研究にずっと渦巻いていた感覚、研究が進めば進むほど心身共に疲れ果てていくこの感覚、「エモい」だったのか。そうか、ずっとエモかったのか。
私は最後の最後に「エモい」という大発見の感動を抑えながら、皇居を後にして家路を急いだのだった。 

「令和までに回復出来れば、、」
おおがきさんはそう言っていた。おおがきさんは必ず復活するはずだ。
健康を害しながらも、共に平成の研究で平成の最後を全力で駆け抜けてきたおおがきさんの復活を見なければ、私の平成の研究は完成しないのだ。
急いで自宅に戻った私は、パソコンでおおがきさんの放送が配信されるはずのページを開き、今か今かと復活の知らせを待っていたのだが、残り2時間、残り1時間と、容赦無く平成は終わりに近づいていく。
気づけば23時45分になろうとしていた。
平成も残り15分。 

おおがきさんは思っている以上に体調不良なのかも知れない。それは仕方がないことだ。なにもかもが希望通りにはいかない。今までもそうだったし、これからもそうなのだろう。それが人生なのだ、と諦めかけたその時、iPhoneにツイキャスから通知が来たのだった。 

「おおがきさんがツイキャスをはじめました」 


急いでパソコンの画面を見ると、スクリーンに「平成を掲げた小渕さん」が映し出された。
そして、聴き覚えのあるあの曲が、威勢良く流れ始めたのだった。 

ZEEBRAさんの『Street Dreams』だ! 

※ZEEBRAさんのStreet Dreams←YouTube


流れ始めたのはZEEBRAさんの『Street Dreams』であったが、イントロが終わって歌い出したのはまぎれもなくおおがきさんの声だった。 


「ただマイク握りたくて!夜な夜ながむしゃらにブラザー達かき分けて! あれはナインティーナインティやたらとファンキーだけれどもただのパンピー!何だこの変なジャァッパニーズ!みたいに見られてマジかったりぃっ! 」 


確かにおおがきさんの声であった。本意気でラップをするおおがきさんの声であった。
チャンピオンが帰って来た!何だかわからないが私はそんな気持ちになっていた。
まだ本調子ではない掠れた声でおおがきさんは続けた。 



「テレビにラジオっ!新聞もっ!世界が動く俺が韻踏むと、まさにWorld Is Mine!変わりづらい、この世界変えるここFar East Side! 何だって本気でやりゃ叶う、成さねばならぬだから成せばなる きれいごとだとか言うな マジでうるせぇ!俺のこの人生で証明するぜっ!」 




平成の31年間、我々はスポーツや格闘技やテレビや映画や漫画などいろんなところで、数多くの復活劇を目にして来た。
しかし、ここまでの復活らしい復活を、真の復活を、自分はかつて見たことがあっただろうか。

不死鳥だ。

平成の終わりに私は不死鳥を見た。
おおがきさんはZEEBRAさんの絶妙にかっこいいトラックに合わせて続けた。 



「俺がNo.1ヒップホップドリーム!不可能を可能にした日本人! これが俺のスタイル!俺のヴァイブス!ぜってぇ誰も真似できねぇ俺のライフ!ヨウッ!掴めNo.1ヒップホップドリーム!胸はれ誇り高き日本人!声上げな!声上げな!声上げな!みんな声上げなっ!!」 



気づけば私は立ち上がって両手を挙げ震えていた。いや、踊っていた。 

平成を生きてよかったと思った。
いつもつまらなく、いつも誰かと食い違い、嫌なことばかりだった平成を最後まで生きてよかったと思った。 


何て楽しいんだ平成。
何て輝いているんだ平成。
ありがとう平成。 


「道半ば!あきらめた奴らっ!ハード過ぎて箸投げた奴らっ!都会に飲まれた奴らっ!今じゃ連絡も途絶えた奴ら!今どうしてる?! 」 

おおがきさんはもはや吐血してるんじゃないかと心配になるほどの掠れた声で、気づけば2番、3番と歌いづづけ、最終的には一曲まるまる歌い上げていた。 

そして、その後ツイキャスのコラボ配信にて久々の夜会を開催し、夜会の最中に0時になり、何とか無事に新時代「令和」を迎えることが出来たのである。
平成を生き抜き、平成研究をしてきたお互いの労をねぎらい、祝杯をあげたのだった。
そう、研究に研究を重ねた「平成」が終わり遂に「令和」が始まったのである!
ついにこの瞬間、平成が終わりを遂げたではないか。 

紆余曲折はあったが、「平成の研究」と称して心身共に疲労し健康を害すまでの過酷な研究の日々、令和へのオデッセイな旅は、これにて無事に終了したのであった。 


キュリー夫人の研究ノートは100年以上経った現在も放射性物質を出し続けているらしく、鉛の箱に入れられ厳重に保管されており、未だ不用意に触れることは出来ないという。
この「平成の研究」が遠い未来に何になるのかはまだわからない。 

夜会の最中に令和になり、お互い東京と大阪で乾杯をしながら、おおがきさんは
「いやー!そんなことより南くんは渋谷のスクランブル交差点とか行かなくていいのかよ!令和からはそういうのに行かなきゃダメなんじゃないのかよ!パーティーピーポーなんじゃないのかよ?!」
とこれからの研究を心配するほど見事に大復活していた。 








※当時の様子がツイキャスに記録されていますので、興味のある方はご参考に視聴ください。

streetdreams、改元の瞬間の夜会(おおがきさんツイキャス)

GLAYのhowever新訳(木石南ツイキャス)

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