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小谷城郷土館 ~ニュータウンにかつて存在した小さな城跡と史料館~

少し前に荒山公園の梅を見るために泉北ニュータウンに行ってきました。

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その模様はこちら。

 人工的な昭和の未来都市の雰囲気があるこの泉北エリアでも、ちょうど隙間になる部分。泉北高速鉄道の泉が丘駅と栂・美木多駅の間にある谷のようなところには、こんなのどかな風景が残っていました。

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 畑や田のようなものが残っており、また下にあるような昔ながらの邸宅の姿があります。

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そして、その谷沿いを歩いていくと、非常に歴史的なものを発見しました。

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 小谷城郷土館。こんなニュータウンの隙間のようなところに城跡というだけで不思議なものです。ということで立ち寄ってみました。

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 こちらが入り口です。いわゆる城ではなくあくまで郷土館というミュージアム。それでも屋敷のような雰囲気に満ちていました。

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 財団法人だそうです。あとでわかりましたが、小谷城は近くにあった栂山城・豊田城と合わせて「鼎城」と称されていました。

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立派な門構えですが、これは旧小谷家の建物を郷土資料館にしています。

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 廃藩置県のときに移築した「白太藩屋敷の門」とありました。この藩は和泉市にあったもの。江戸時代には1万3500石の譜代大名・渡辺氏が治めています。

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 受付を済ませると立派な冊子を頂きました。絵の様にこの建物の裏手の小高い山(泉北丘陵)のところに城があったようです。後に麓のこの辺りに住み着むようになりました。

 ちなみに丘の上の城跡は、現在阪和第一泉北病院の敷地内にあるようです。

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 こちらに城の説明がありました。立派な物なので表の絵と共にスキャナーで取り込んでみます。小谷城は鎌倉時代の中頃に在った山城。泉北地域を含めた堺市で一番古い城跡だったようです。

 平家一門の小谷氏の居城で、南北朝時代には南河内一体に勢力を持っていた楠木正成の軍勢に参加して、南朝として戦ったとあります。

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 こちらが史料館。この小さな史料館が左右にあり、あと母屋の内部が展示場です。これらのものは撮影できません。外の庭とかは可能です。

 この後戦国時代に織田信長の根来攻めのことが書いています。根来とは和歌山県北部・岩出町にある「根来寺」を中心にした勢力。泉北地域とは南側の和泉山脈を挟んだ反対方向、紀ノ川沿いにあります。

  根来衆は戦国時代には鉄砲で武装していた傭兵集団。この城も根来衆に属していたとありました。

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 こちらが母屋となるメインの資料館。嫁入り籠とか貴重なものが数多く展示していました。

 根来衆自体は信長よりもその後の秀吉によって主に討伐されたようですが、資料によれば小谷城は信長の時代に攻撃を受け、天正3年に落城。以降は子孫が山麓に住むようになったようです。

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 立派な松がありますが、その裏手が殿様専用の「大玄関」とありました。

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 こちらは庭園です。内部には入れませんが、撮影はOKとのことでした。

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 民具や武具、古代の須恵器などいろんなものが展示してありました。そのなかでも一番気になったのは川崎巨泉 (かわさき きょせん)という明治時代の浮世絵師。郷土玩具画家の作品でした。

 こうして郷土館を後にします。少し歩くと気になるところがありました。

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入り口から上に続く道があります。こちらもお城のようですね。というわけでちょっと覗いてみたら。

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 本当に城にありそうな立派な門があります。閉鎖されていましたが、せっかくなので前まで行くと。

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 こちらの門、表札には「小谷」と書いていました。子孫の方が現在も住まわれているようです。

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 出てきて気づきましたが「小谷殿古城乃跡」と書いていました。

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 さらに歩くとこういう門。小谷家の家紋? があってその奥に道が。恐らくな山の上の城跡のところに続いているようです。

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 そしてこういうものも発見しました。城の主の末裔の方は駐車場の経営をしているんですね。
 先日紹介した荒山公園の梅見のために来たのですが、意外なスポットに楽しませていただきました。

小谷城郷土館 
住所:堺市南区豊田1602-1
電話:072-296-8435
開館時間:10:00~16:00
定休日:毎週月曜日
アクセス:泉が丘駅からバス豊田南下車徒歩5分

和泉小谷城

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