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道明寺天満宮 ~菅原道真の先祖由来の地~

 昨日は、道明寺天満宮の梅園にのみスポットを当てました。今日は道明寺八幡宮そのものを紹介します。

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 最寄り駅は近鉄南大阪線の道明寺駅。近鉄南大阪線の河内松原駅あたりから、古市駅、そのあと続く盲腸のような支線・長野線の終着・河内長野駅までの沿線は南河内の見どころ満載です。

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 ちょうど梅まつりの期間でした。梅まつり、梅園の模様はこちらを参考にしてください。

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 ここは藤井寺市道明寺という地区、藤井寺には漢字が違うものの同じ読み方の葛井寺がありますが、道明寺は天満宮が最も有名。でも近くに道明寺という名前の寺院は存在します。

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 こちらが道明寺天満宮の説明。天満宮なので菅原道真由来の神社になります。菅原道真以外にも天穂日(あめのほひ)命と覚寿尼を祀っています。
 天穂日命とは天照(あまてらす)と素戔嗚(すさのお)が誓約をしたときに生まれた神の一柱。天照大御神の右のみずらに巻いた勾玉から成った。物実(物事の種)の持ち主です。後に大国主(おおくにぬし)に仕え、道真の先祖・土師(はじ)氏の祖神となりました。
 覚寿尼は道真のおばにあたります。

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 梅まつり開催中のためか、境内には縁日のような屋台が出店していました。

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 梅園にも石碑がありましたが、こちら境内にも石碑を発見。

青梅や 餓鬼大将が 肌ぬいで  

 これは有名な俳人・小林一茶のもの。1795(寛政7)年の西国行脚中に、当時33歳の一茶が、道明寺天満宮に立ち寄って詠んだ一句です。

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 境内の案内図です。梅園は本殿の後方に広がっています。

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 境内にも梅が咲いています。でもここはそれより、国歌の君が代に出てくる「さざれ石」がありました。

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 天満宮に行けば、たいてい牛の像(臥牛像)があります。これは神様の使者で、菅原道真の使いが牛。傷や病気の箇所を牛の像に当ててさすると、その場所が回復するとの言い伝えがあるので、頭の部分が特に剥げています。

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 境内には能楽殿(能舞台)がありました。大阪府内ではもっとも古いもので、1815(文化12年)の完成です。また平成14年に改修工事をした際に、女性上方浮世絵師の五世・長谷川貞信氏が奥の松を描いたそうです。

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 いよいよ本殿です。道明寺天満宮の歴史は古く、天満宮の前からも存在していました。元々は垂仁天皇の32年に野見宿禰(のみのすくね)という人物が、殉死制度を止めさせるために埴輪(はにわ)を考案したことから、土師氏を名乗るところから始まります。

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 こちらは梅園内にある「和合稲荷社」です。道明寺周辺が土師氏の所領となってからは土師神社。仏教伝来後は土師寺が建立されました。その土師氏子孫の中の分家のひとつが菅原氏。道真のおば覚寿尼が寺院に住んでいました。

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 そして道真が突然大宰府に左遷されることになり、京都から北九州に向かう途中、この地で覚寿尼との別れを惜しんだとあります。
 その後に天満宮が創建されますが、それまでの土師神社が境内の元宮、土師寺が隣にある道明寺と名前を変えて現在に至ります。
(元宮、土師寺については後日)

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 ちょうど道明寺天満宮の宝物殿が公開されていました。300円で看板にあるように国宝や重要文化財。また菅原道真が愛用していた遺品が公開されていました。内部の撮影は禁止なので画像は紹介できませんが、いずれも見る価値のある物。特に道真が実際に使用していた遺品は貴重です。

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 ということで道明寺天満宮を紹介しました。元宮の土師社や道明寺などとの関係などを詳しく見るとさらに歴史が気になるスポットでした。

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