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続・葛井寺 ~境内から見える歴史とカフェ~

昨日だけでは紹介しきれなかったので、今日は葛井寺の続きを紹介します。

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 葛井寺の境内を歩いてみました。葛井寺は真言宗なので、弘法大師・空海の像があります。この像は公式ページを見ると「修行大師」とありました。
 高野山で真言宗をの霊場を立ちあげる前の姿でしょうか?

 奈良時代に創建された葛井寺の歴史では、何度か再建されている記録があります。特に1096年に大和の国に住んでいた藤井安基が伽藍の大修理に尽力したことから、「藤井寺」という言葉が登場するようになりました。

 

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 その後の平安時代後期には観音霊場として名前が知られ、西国三十三か所の霊場のひとつに指定されます。

 室町時代には興福寺の末寺として栄えたとあるので、このころは興福寺と同じ法相宗に属していたのでしょうか? いつから真言宗になったのかは確認できませんでした。

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 こちらが専心龍乗観音です。この観音像の説明についてはふたつ上の画像を参考にしてください。
 
 また葛井寺は、中世の戦乱ともかかわりがあって、南北時代には楠木正成が陣を引いて戦いました。境内には旗掛けの松というものがあり、それが正成らの楠家ゆかりのものと伝わります。ちょうど観音像の後ろに松がありますが、それだったかどうか? 境内に松の木がいくつかあるので確定で来てません。(次行くときがあればチェックします)


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 これは紫雲石灯篭と呼ばれるものです。建てられたのは鎌倉時代制作と想定されており、230センチの高さがあります。宝珠、笠、火袋、中台、竿、基礎がほぼ完全な形で保存されており、大阪府指定有形文化財に指定されています。また葛井寺の山号・紫雲山もこの灯篭から来ています。

 葛井寺は戦国時代に不幸に見舞われていました。管領という足利将軍家に次ぐ地位にあった畠山氏の内紛に巻き込まれてしまいます。そして多くの伽藍が焼かれてしまいました。後に豊臣秀頼が重要文化財の西門(四脚門)を再建しています。


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 こちらは少し小さな東門からの雰囲気、鐘楼堂が見えます。

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 さて東門から境内に戻ったとき、石畳に気になるものを見つけました。

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 年号らしきもの? が刻まれていました。

 さて、葛井寺の境内を一通り見渡すと気になる建物を発見します。

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 これは境内の休憩所「カフェ」です。残念ながらこの日は店が閉まっていました。

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「ヴィクリディタ・サマディきりく」という名前。この中で「サマディ」は、サンスクリット語(समाधि:三昧)で、瞑想で精神集中が深まり切った状態を意味するそうです。

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情報を調べると「藤井餅」という葛餅が名物のようです。これも機会があればぜひ立ち寄りたいですね。

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 さて一か所工事中のところがありました。見るからにして立派な建物がありました。
 これは南大門とよばれるもので、今回最初に入った西門よりも立派。寛政12年(1800年)に完成しました。二階建ての門で恐らくは正門の位置づけのようです。

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 確認してみると令和の改修中とのことです。開創1300年を前に回収や債券を積極的に進めていくようです。そして寄付を募っていました。

 2025年がその時ということで、まだ4年も先のことですが、完成したときには、新しくなった南大門から葛井寺境内に入ってみたいと思います。

葛井寺地図

紫雲山・葛井寺
大阪府藤井寺市藤井寺1丁目16-21
電話:072-938-0005
開門時間:8:00~17:00
アクセス:近鉄藤井寺駅から徒歩5分

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#ヴィクリディタサマデきりく


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