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南河内

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河内長野以外の南河内のスポット紹介です。
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#旅のフォトアルバム

下赤坂城跡 本丸と石碑まで南北に歩いて見学

今日はこちらの記事です。鎌倉時代末期から南北朝時代に南河内で活躍した楠木正成が考案したと…

鴨習太(かもならいた)神社

南河内郡河南町にある鴨習太神社を紹介しましょう。 こちらが地図です。近鉄富田林駅から金剛…

新緑 の 中を抜ける 舗装道 河南町の 広角視界

先日行った河南町の場所は左右に農園が広がり一本道が遠くまで抜けているような風景がありまし…

雨上がり 灰空の下 緑面 河南の古墳と 裾野に続く(南河内郡河南町にある 寛弘寺…

昨日ですが、雨が上がったタイミングで南河内郡河南町に行ってきました。ここは前から気になっ…

大阪狭山市にある茱萸木(くみのき)中央公民館の敷地内にあった神社と寺院

大阪狭山市の茱萸木(くみのき)地区を歩いていたところ、気になる場所を見つけました。 子安…

水の代わりにお酒をかける。大阪狭山市の酒かけ地蔵との異名を持つ玄晶法師地蔵

以前、西高野街道を堺から河内長野目指して歩いたときの話。河内長野まであとわずかのところに…

南木神社 建水分神社の境内摂社

 昨日の建水分神社の続編です。 建水分神社の境内には、本殿と見間違えるほど大きな境内摂社「南木神社(なぎじんじゃ)」があります。 祭神は楠木正成で、楠木正成を祀る最古の神社とのこと。1336年に正成が湊川で亡くなった翌年1337年には、正成の像を刻み、ゆかりの深い建水分神社の境内に祀ったとのこと。 後醍醐天皇の皇子、後村上天皇より「南木明神(なぎみょうじん)」の神号を賜わったとか。この拝殿は昭和15年建築、平成16年改修したそうです。 拝殿の奥に本殿が見えます。以前は

千早赤阪村の建水分神社

今回は以前訪問した千早赤阪村にある建水分神社(たけみくまりじんじゃ)の紹介しましょう。 …

羽曳野にある河内源氏ゆかりの史跡・壺井水

先日書いたこちらの記事。 ここだけの話ですが、この通報寺、厳密には羽曳野市にある史跡群で…

西高野街道を歩く③ ~関茶屋から狭山池まで~

昨日のこちらの記事の続きになります。 こちらの記事が総集編のようになっており、その第三弾…

南河内郡太子町にある泥掛地蔵

先日こちらの河南町にある馬場地蔵を紹介したときのこと。 「太子町の泥掛地蔵と並び有名なお…

奉建搭とは ~楠公六百年祭記念塔~

 先日、千早赤阪村のスイセンの丘に行ってきたことを書きました。 水仙の丘の上に、あるスポ…

河南町馬谷口にあった名もなき地蔵

先日こちらで河南町の馬場地蔵を紹介しましたが、河南町のこの辺りには本当に多くの地蔵があり…

河南町の馬場地蔵

南河内郡には北から太子町、河南町、千早赤阪村とありますが、今回は河南町のスポットです。 河南町にもいろいろな見どころが点在していますが、この神山というところは町の南西あたりに位置しています。 そして、ここに小さな祠があったのですが、丁寧な説明書きがりました。 こちら、馬場地蔵というもので、南北朝の頃の石仏が収められているとか。ここに説明があります。 馬場地蔵 古い記録によると「霊験あらたかで庶民の信仰厚い馬場地蔵」としてしばしばでてくる。もとは、北東約二百メートルのと