《小説》GINGER ep.1
○登場人物
主人公:小鳥 絵麻(おどり えま)
大学二年生。名門大学に通っている。お洒落や流行りに疎い。真面目で一生懸命だが、人付き合いは不器用。おまけに、やりたい事や夢が見つからず焦っている。水瀬に憧れを抱いている。
水瀬 理玖(みなせ りく)
大学二年生。絵麻の同級生。明るくて爽やか。誰とでも仲良くなれるコミュ力お化け。
姫川 音澄(ひめかわ おと)
美大の二年生。絵麻の高校のクラスメイト。
桐野 陽向(きりの ひなた)
大学二年生。絵麻の高校のクラスメイト。
神代 怜生(かみしろ れお)
音澄と同じ美大に通う二年生。サラサラの金髪マッシュヘアの下でピアスがいっぱい光る。既に個展を開いたり、色々な企画やイベントのイラストも手掛ける天才。少し無愛想で言葉がキツいが、実は過保護で優しい。
一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一
ep.1 おばあちゃんの朝ご飯
「おばあちゃん、おはよう」
「はいはい、おはよう。早く顔洗っといで。今日は冷え込んでるから、生姜のお紅茶淹れようね」
伸びた前髪をピンで留め、後ろ髪を適当にヘアゴムでまとめる。
まだ夢から覚め切っていない頭を起こす為には、冷たい水での洗顔が一番だ。
タオルで顔を拭きながら、鏡の中の自分と見つめ合う。
「今日も冴えない顔だね」
鼻の上と両頬に広がるそばかすが、何だか妙に目立って見えた。
リビングに戻ると、祖母がジンジャーティーを机に運んでいた。
パキッといたスパイシーな香りと、ハチミツの優しい甘い匂いが漂う。
「はー、良い匂い」
「そうでしょう?これを飲んでおけば風邪知らず。さ、朝ご飯も食べちゃいなさいな」
「はい」
カップの表面に息を吹きかけながら、ゆっくり口に運ぶと、冷え切った指先までヒリヒリと淹れたてのジンジャーティーが流れていく。
祖母の朝ご飯は、米、野菜たっぷりの味噌汁、卵焼き、焼き魚。
作り置きされた小鉢は日によって替わる。
今日はきんぴらごぼう。
私の大好物。
祖母はジンジャーティーを飲みながら、カレンダーを眺めていた。
「絵麻ちゃん、春が来たらもう三年生になるんか。早いもんだねえ」
「そうだね」
「大学出た後は、どうするか決まってるの?」
「うーん。まあ、何となくね」
「そう。絵麻ちゃんが幸せなら、ばあちゃんはそれが一番だわ」
「ありがとう」
私は、大学生になってから祖母と二人で暮らしている。
高三の夏に祖父が亡くなって、一人でいるのは寂しいだろうという事と、祖母の家が大学に近い事から、両親に一緒に暮らすよう言われた。
おばあちゃん子だった私は二つ返事で、高校卒業をしてすぐに実家を出た。
身長は高くないけれど、スタイルが良く、お上品でお洒落で、良い匂いがする祖母は私の憧れだ。
近所の人からも綺麗なお婆さんだと言われている。
若かった祖父は、一目惚れをして、人気者だった祖母を誰にも取られまいと一生懸命だったらしい。
「絵麻ちゃん、今日はどこかお出かけするの?」
「うん。サークルの集まりがあるんだ」
「そう。あんまり遅くならないようにね」
「はい」
朝ご飯を終えて、自室に戻ると、隅に置かれたドレッサーの前に座った。
この冴えない顔をどうにかしなくては。
丁寧にスキンケアをして、これ以上そばかすが増えないように日焼け止めを念入りに。
下地、ファンデーション、コンシーラーで、そばかすとクマを消す。
流行りのアイシャドウで瞼にグラデーションをつけていく。
短いまつ毛はマスカラで伸ばして、控えめにアイライナーを引き、眉毛は一本一本書いてパウダーでぼかす。
チークにハイライト、シェーディングをして、ブラウンレッドのリップを塗って、石鹸の香りの香水をふって完成。
それにしても・・・、
「工程多すぎ」
メイクを終える度にため息が出る。
これを楽しくやれる人が羨ましい。
着替えてもう一度リビングへ向かうと、洗い物をしていた祖母が私を見て手を止めた。
「絵麻ちゃん、ちょっとメイク濃いんじゃない?」
「このくらいが普通だよ」
「そうなの?せっかく可愛いそばかすがあるのに勿体無いわ」
祖母は昔から、私のそばかすを可愛い可愛いと言ってくれている。
私も高校生までは特に気にしていなかった。
大学に入学してすぐの頃、別の科の女の子達とすれ違った時だった。
「あの子そばかすやっば。メイクくらいしろよって感じなんだけど」
と、会話しているのが聞こえた。
そばかすは恥ずかしいものなのだと、それからは、そばかすが目立たないようにメイクをするようになった。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい。気をつけてね」
「はい」
今は2月上旬。
まだ厳しい寒さが続いている。
手袋をした手をコートのポケットに突っ込んで、肩をすぼめて歩く。
吐いた息は白くなって、ふわっと消えていった。
「ことりちゃんおはよう!」
「”おどり”だってば。水瀬君、おはよう」
黒髪のショートヘアは少しパーマがかかっていて、二重の大きな目に、爽やかな笑顔を作る、顔の整ったこの人は同じ大学に通う同級生。
「ことりちゃんの方が可愛いじゃん。集まり向かってるの?一緒に行こうよ」
「いい。一人で行きたいから、先に行って」
「何だよ冷たいな」
「私みたいのが水瀬君といると他の女の子に何言われるかわからないから」
「そんなの俺がやめろって言ってやるよ」
「影でやるのが女の子ってもんですよ」
「ふーん。女ってめんどくさいね」
そう。
女は本当に面倒臭い。
映像サークルで一緒になっただけで、水瀬君に好きな人はいるのか?
恋人は?タイプは?連絡先知らないか?
とかもう、とにかく色々聞かれるし、探らされて、おまけに探ろうと話しかけると、話すなとすれ違い様に言われる始末。
あんまりではないか?
「ん!石鹸の匂い!ことりちゃんの匂いだな」
「そうだけど」
「やっぱ良い香りだわ。これ前も言った?」
「うん」
水瀬君が私の周りの空気を両手で仰いで、良い匂いだともう一度言ってくれた。
火照った左頬を慌てて、右手の甲で押さえ、話題を変えた。
「水瀬君って彼女いるの?」
「えっ、何、俺に興味あるの?」
「うん。他の女子がね」
「何だよ。つまんない」
「ついでに、タイプも教えて」
「俺の恋愛プロフィールでも作るつもり?まあ良いけど。安売りすんなよ?」
笑いながらそう言った彼は、急に真剣な顔になって私の前に立った。
「彼女はいない。タイプはガツガツしてなくて、俺に色目使ってこない人」
「へえ。派手な子が好きなんだと思ってた」
「ことりちゃんいじめるような奴は絶対嫌だね。どうせ自分の価値観とか押し付けてわーわー言うし」
「まるで経験したかのようね」
表情を崩して困ったように笑ってから、水瀬君はまた隣に戻って歩き出した。
「経験済みよそりゃ。付き合ったら、思ってたのと違ったとか言われてさ」
「それは酷いね」
「顔しか見てないんだよなあ。ことりちゃんは良いよね。素直に何でも言うけど、他人に踏み込みすぎない感じ。一緒にいて楽で良いわ」
「そうですか。そんな事より、私から離れてもらえる?もう着くから」
「ふはっ。はいはい。じゃ、また後で」
くしゃっと目を細めて笑いながら、水瀬君は先に走って行った。
サークルの集まりは、来年どんな作品を作るかのミーティングだった。
恋愛もの、ミステリー、アクション、色々な案が出たが結局まとまらず後日また話し合いになった。
「この後飲み会行く人!」
水瀬君がみんなに声をかける。
15人中、私以外の全員が行くと声を上げた。
ミーティングなんてのはおまけで、集まりの本当の目的はこっち。
どこに行こうかと盛り上がり始めたので、私はバレないようにそっと抜け出した。
集団が昔からとにかく苦手な私は、サークルなんて絶対にやらないと決めていた。
でも、水瀬君が一年生の時に監督をした映画がすごく素敵で、それを伝えたら一緒に作ろうよと、サークルに誘ってくれた。
それからは、雑用みたいな感じで撮影に参加している。
ただ、どうしても大学生特有の飲み会だけは受け付けない。
空気を読んで、盛り上げて、発言して、笑って、歌って。
私には到底無理だ。
のんびり歩いていると、知っている顔が遠くで手を振っている。
「絵麻!!」
「えっ、音澄?」
高校のクラスメイトの親友との、偶然の再会に思わず駆け寄って抱き合った。
9か月ぶりの再会だった。
「久しぶりすぎー!絵麻、元気だった?」
「うん!元気だったよ。会いたかったの。嬉しい。音澄も元気そうだね」
「バッリバリよ!」
音澄は相変わらず短い髪だけど、綺麗なピンクベージュに染まっている。
制服とは違う、個性的でアーティスティックなファッショに身を包んだ彼女はとてもキラキラしていた。
「陽向君とはどう?」
「うん。順調だよ」
「そっか。良かった」
一方通行だったあの頃の私達の関係は、卒業式に終止符が打たれた。
少しこじれた私達は、元の空気を取り戻す為、一年間3人で会うことはなかった。
それから、二年生に上がってすぐ、音澄から会おうと誘われて、二人がめでたく交際を始めたと報告を受けた。
心の底から嬉しかった。
「音澄、お隣さんは?」
「ん?あ、忘れてた。神代怜生。大学の同級生だよ。無愛想だけど良い奴なんだ。あと絵がマジで天才」
音澄の隣に立っている背の高い彼は、金髪マッシュヘア、耳には沢山のピアス、切長の目に色白の肌。
祖母とは違う”美しい”がそこにいた。
「無愛想は余計だろ。どうも、はじめまして。神代です」
「あ、はじめまして、小鳥です」
指先まで綺麗な手が握手を求めた。
恐る恐る手を取って、軽く握る。
「今、神代と共同制作しててさ。ネタ探ししてたとこだったのよ」
「そうだったんだ。出来上がったら見せて。楽しみにしてる!」
「もちろん!」
そう会話をしていると、黙っていた神代が急に私の近くまで寄ってきて、物凄く怖い顔で私の顔を覗き込んだ。
「あ、あの」
「ちょっ、え、な、何してんの神代!近いわ!そして怖いわ。絵麻引いちゃってんじゃん」
「小鳥さんさ」
「は、はい」
私は息を飲んで、気だるそうな、でも力のある彼の目を見て言葉を待った。
長い指を顎に添えて、考えるような顔をしながら彼は言った。
「化粧、濃くない?」
「「は?」」
音澄と私の声が重なる。
「あと、うん、香水もつけ過ぎ。君、そのスタイル好きでやってる?」
「神代。黙って」
音澄が代わりに怒ってくれている隣で、私は見抜かれたのが恥ずかしくて、言葉が出なかった。
神代怜生。
彼との出会いは最悪な空気で始まり、この神代との出会いはこれからの私を大きく変えていく。
次回「ep.2 天才」
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