《小説》缶珈琲 ep.4
ep.4 TSUMUGIの常連
映画は、なんだかあまり納得のいかない終わり方で、あーだこーだと2人で感想を言い合いながら、映画館を出た。
「なんか無理矢理ハッピーエンドにした感。私はもう1人の方選んで欲しかった!なんであんな自由奔放な男にいっちゃうの?理解出来なーい!」
「分かったって。でも優しい男より、ちょっとミステリアスな男が良いって人結構いるじゃん」
「そうだけどさぁ…」
「音澄も人の事言えないと僕は思うけどね」
「え、私?なんでよ!旭さんは良い人だもん!優しいし、かっこいいし、女子振り回すような男じゃないもんね!」
「ふーん」
「なによ」
恋は盲目とはこの事なんだろうか。
外は少し夕日が差し込み出して、柔らかい風が吹いている。
改めて、音澄とは恋愛独特の空気感が生まれない事に少しガッカリしながら、気まずくならなかった事にほっとした。
「僕、兄貴の店寄ってくから、音澄は先に帰ってて」
「そうなの?良いけど、旭さんに余計な事言わないでよね」
「実はブラックコーヒーもいけますとか言わないから安心しろよ」
「言うじゃん!絶対やめてよ!」
「ははっ。はいはい。乙女な音澄さんまた学校で」
「ムカつく!」
音澄はちょっとむくれた顔をしてから、またねと笑って、整えられた長い髪を揺らしながら改札へ入っていった。
兄貴がロングヘア好きというのを教えてから、音澄はずっと綺麗に伸ばし続けている。
普段はキュッと後ろで束ねて、特別な日にはおろす。
どこまでも分かりやすくて、後ろ姿を見る度に体の奥の方がチクッとする。
少し客が増えてきた時間帯のTSUMUGIに入ると、僕と音澄の特等席に女性が座っていた。
何やら、旭と楽しげに話をしている。
「おっ、陽向おかえり。もう解散したのか?」
旭が僕に気付いてそう声をかけると、女性も一緒に振り返った。
「陽向君!久しぶり!」
「えっ、心春さん?」
グレーのスーツをピシッと着て、ふわふわに巻かれた長い髪を耳にかけ直しながら、その人はニコッと笑った。
「お久しぶりです。来てたんですね」
「ちょうど近くで仕事だったからさ。隣、座りなよ」
「ありがとうございます」
どうぞと微笑みながら、指先まで上品な白い手がブラックコーヒーのカップを持ち上げる。
相変わらず綺麗な人だと横目で眺めてしまう。
「今度実家に連れてこうと思ってたんだけど、陽向には先に伝えとくか」
「えっまだ誰にも伝えてなかったの?やだぁ旭、先に伝えておいてよ!」
「ごめんごめん」
二人の会話に鼓動が早くなっていく。
「え、何?」
兄貴は手を止めて、真っ直ぐ僕に向かい直した。
「心春と結婚することしたよ」
鼓動がさらに早くなる。
「結婚…?」
「ごめんね陽向君、こんな突然。結構前にプロポーズ受けてたんだけど、まさか旭が伝えてないと思ってなくて!」
「えっ、あ、いや、それは全然なんとも思ってないというか、そうですか。そっか…ははっ、いやぁめでたいっすね!おめでとうです2人とも」
「ありがとう陽向君。これからよろしくね」
「ありがとう陽向。父さんと母さんにはまだ内緒な。俺からちゃんと言うから」
ついに、やって来てしまった。
ずっと待っていた瞬間のはずなのに、全力で喜びたいはずなのに、昼間の嬉しそうな音澄の顔が何度も頭の中でリピートされて、喉の奥で声にならない何かが込み上げてくる。
「陽向?大丈夫か?ごめん、驚かせすぎたか?」
心配そうに笑う二人から目を逸らした。
僕には、聞かなくちゃいけない事がある。
込み上げる気持ちを飲み込んで口を開いた。
「音澄には、言ったの?」
旭の顔が少し曇る。
そんな兄貴を見かねて、心春さんが先に口を開いた。
「音澄ちゃんて、この店に良く来るって言ってた女子高生?」
「あぁ、うん。今日も来てくれてたよ」
「へぇ!好きなんだねぇTSUMUGI」
「アイツが好きなのは兄貴です」
「え?」
目を見開く二人を無視して、僕は続けた。
「アイツが好きなのは、このカフェじゃなくて、兄貴です。オープンした日から、ずっとアイツは兄貴に会いたくて、通ってたんです」
「えっ、旭…そうなの?」
「いや、それは…」
「気付かなかったとか今更言うなよ?」
ずっと待っていた。
兄貴と心春さんが結婚をして、それを知って落ち込む音澄に優しく声をかけて、願わくば僕に振り向いてくれないかと、性格の悪い期待をしていた。
それなのに、悲しいなのか、苦しいなのか、怒りなのか分からない、ぶつけようも無い感情が込み上げて止まらない。
「すまん」
「なんだよ…何のごめんなんだよ。気付かなかったのごめんなのか?黙ってて申し訳ないのごめんなのか?気付いてて、でも常連で居て欲しくて優しく特別扱いしてた事へのごめんなのか?」
違う。
そんな事言いたいわけじゃない。
「アイツがどんな気持ちで、ここで飲みたくもな…」
これ以上はまずい。
余計な事は言わない約束を破ってしまう。
「ひ、陽向君!落ち着こ?ね?他にお客さんもいるし…」
心春さんがまだ何か話しながら僕をなだめていたけれど、そんなものは聞こえず、僕は旭を睨みつけて、乱暴に店を飛び出した。
「陽向!」
兄貴の呼ぶ声にも振り向かず、駅へ走る。
落ち切りそうな夕日に目を細めながら、駅のホームの椅子に崩れるように座った。
普通におめでとうって言いたかった。
嬉しかったし、心春さんも良い人で、喜ばしい事だった。
でも、どんな顔して音澄に会えばいい?
何も知りませんって顔で、いつも通り馬鹿みたいな話をしたらいいのか?
こんなにぐしゃぐしゃな気持ちになる予定じゃなかった僕は、何本も電車を見送って、帰宅ラッシュが始まった頃、重たい腰を持ち上げて満員電車に乗った。
汗の臭い、香水、タバコ、色んな匂いが充満した淀んだ空気の中で、人とぶつかり合う苛立ちすら湧かない程、僕は沈み切っていた。
押し出されるように電車を降りて、改札を出た頃、着信が鳴った。
『今日はありがとう!少しは元気になったか少年?笑 また学校でね!』
音澄からのLINEだった。
もうどうしたら良いのか分からない。
いつもの自販機で、缶珈琲を眺めながら、財布を出そうとしてやめた。
『こちらこそありがとう。学校でな!』
返信を打ってから、また僕は走った。
「陽向、おかえり!旭に会えた?」
玄関に入ってすぐ、母さんが声をかけてくる。
答える気力もなくて、何も言わずに自分の部屋に向かった。
「ちょっと、陽向?会えたの?ご飯は?陽向!…もう。なんなのよ」
母さんの呆れた声を背に、荒々しく部屋のドアを閉めて、鞄を置いて、勉強で無理矢理忘れようと、机にノートと教科書を開いた。
書き始めようとした手が、ずっと拳を握っていたせいで震えている。
ペンを置いて、机に顔を伏せると大きなため息が漏れた。
恋が叶わないと分かった時の苦しさは、誰よりも自分が知っている。
好きな人がそんな苦しい気持ちになってしまうのは、余計耐えられない。
少し前の自分なら、こんな苦しさは知らなかっただろう。
ラッキーだと喜んで、どうやって振り向かせようかワクワクしていたに違いない。
でも、音澄の背中を押すうちに、兄貴が何かの間違いで音澄に振り向いてくれないかと、願ってしまう自分がいた事に気付いてしまった。
幸せになって欲しい。
そんな綺麗事なんて、言ってやらないと思っていたのに、今は心の底から絶対に幸せになって欲しいと思う。
兄貴から届いていたLINEの通知は開かず、音澄との写真を眺めながら、机に置いてあったペットボトルの水を飲み干した。
次回「ep.5 展覧会へ向けて」
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