《小説》GINGER ep.11

ep.11 カメラの向こう 水瀬編 後編



「よし。ミク、ドレスに移って良いよ」



「ラジャー!絵麻、こっちのカーテンの裏で着替えよう。男共、覗くんじゃないわよ」



小鳥ちゃんはメイクが終わり、カーテンの裏へとミクに誘導されて行った。



俺は、変身前の私服の彼女をギリギリまで撮り続けた。
台本は無い。
ただ、今の彼女を撮るのに、まぁここは良いかと言う予断は許されない気がしたのだ。



カーテンを全部閉め切る前、小鳥ちゃんはカメラの方へ振り返って、さぁここからですよと言えような笑みを向けた。
そうそう、これがあると思ったんだ。



今までなら、振り返りもせずカーテンの向こうにオドオドしながら入っていく小鳥ちゃんだったのに、モデルの小鳥絵麻として、しっかり演じ切っている。



視聴者へのパフォーマンスだと分かっていても、レンズ越しに、見ておけよ水瀬と言われたような気持ちになった。
格好良い。
こんなにも、人間て変われるものなのだろうか。



「行ってらっしゃい」



思わず、そんな言葉が出た。
小鳥ちゃんは、眩しすぎる笑顔を振り撒いて、カーテンを閉めた。



彼女の着替えを待つ間、カメラのバッテリーや映像の確認をする。
アイデアも何も無いままここに来てしまった俺も、やっと内容のイメージが湧いてきた。
彼女のドキュメンタリーであるのと同時に、俺の新たなドラマが始まっているような気がした。



「ねぇ、プリンスはさ、何でドキュメンタリー撮るのOKしたの?ほら、色々あったわけじゃない?」



相変わらずコーヒーを啜りながら、ミズキが聞いてくる。



「罪滅ぼしなら今すぐやめろよ」



散らかったメイク道具を片付けながら、怜生が口を挟んだ。



「初めは、罪滅ぼしもあったと思う。でも、素直に見たかったんだ。小鳥ちゃんがモデルをやる姿をさ。こっちが一番の本音。それと、小鳥ちゃんをこんなにも輝かせられる人達と会ってみたかった。自分も何か得られるんじゃないかなって」



「分かるなあ。俺も初めて絵麻ちゃんと会った日、あーこの子の変身見たいわって思ったもん。原石だったよね。怜生の方が圧倒的美人なんだけど、でもやっぱ絵麻ちゃんの変身には勝てないんだよなあ」



「おい、余計な事言うな」



「だって事実じゃん。プリンスは知ってる?怜生の女装とんでもなく綺麗なの」



存じております。
あの日の恐ろしい美人を俺は決して忘れる事はないでしょう。



「勿論。物凄く、び、美人で…」



「思ってねえだろ」



「はははっ。プリンスも言うようになってきたね!てか、絵麻ちゃんもプリンスも、怜生のそういうの気にしないんだね。今まで、俺らとは違う界隈で生きてる人達は、微妙な反応してたのに」



「色んな生き方あるって分かってるから」



「へえ。じゃあ俺が男が好きって言っても、受け入れてくれる?」



ミズキが近寄って来て、俺の顔にぶつかる寸前の所まで、整った顔を近付けた。



この人、何でもやるなまじで。




「あれっ。反応無し?嘘ん。大抵の男女はこれで落ちるはずなんだけど…」



「ミズキ、ややこしくなるからやめろ。コイツはただの女たらしだから」



「そんな言い方するなよ。ごめんねプリンス。今のは嘘だから、忘れてね」



「何でも良いっす。でも、怜生のは、どうやってどっちにするのか決めてるのかなとは気になる、かも」



小鳥ちゃんも分からないと言っていた所だ。
怜生が私に合わせてくれてると小鳥ちゃんは言ってたけど、だったら今日だってあっちでも良かったのではとか、色々深読みしてしまう。




「あー、そりゃ怜生は…」




「その日の気分。ただそれだけ。仕事の時は、ウィッグ邪魔になるからこっちにしてる。あの日は、絵麻に頼まれて女友達として行った」



ミズキの言葉を遮って、早口で怜生はそう答えた。
ミズキは、横を向いて笑いをこらえている。



「そっか。ごめん、変な事聞いて」



きっと、他にも理由があるんだろうが、俺には関係ない。
これ以上深掘りするのはやめた。



「お待たせ。プリンス、カメラ準備して!絵麻姫の登場だよ」



カーテンの隙間からミクが顔を出した。
どうでも良いが、プリンス呼びはこれからも続くのだろうか?



俺は急いでカメラを構え、ミズキはコーヒーを置き、怜生は立って腕組みをした。



「じゃーん!」



ミクの掛け声と共に、カーテンが開けられる。



美しい和洋折衷のドレスに身を包み、大きな装飾を頭に乗せて、小鳥ちゃんは大学では見せたことのない妖艶な表情を見せた。



「うわあ、やばいね。絵麻ちゃん、最高だよ」



ミズキが拍手をしながら、小鳥ちゃんに寄っていく。
怜生もミズキを追って、二人は小鳥ちゃんの装飾やメイク、細かい部分の手直しを始めた。



「ミクのドレスが素晴らしいんだよ。それと、二人の飾り付けも。魔法みたい」



絵麻は三人にそう言いながら、カメラの方を見た。
俺は、カメラを落としそうになって、構え直す。



今まで、何人もの女の子達と出会ってきた。
ときめきも、ドキドキも、恋愛特有の高揚感は全部知っているはずなのに、これは、この感情は何なのだろう。



良いなと思った子は、それまで簡単に手に入ったし、手に入ってしまうとそれまでの魅力がどんどん無くなっていった。
頭の中で作り上げられた理想像と、まるで違ったりして、長く一緒にいた子もいたけれど、結局離れる事になった。



小鳥ちゃんに対するこの感情は、手に入れたいとかそんな安易なやつじゃない。
誰の物にもなって欲しくない。
いや、これも何か違う。



アイドルファンが、初めて直接相手を見れた時、理由もなくただ涙が溢れる、みたいな、そうだ、これかもしれない。
とにかく、彼女と同じ世界に自分が生きているという事が嬉しくて、誇らしい。



「うーん。やっぱりあともう一個アクセント欲しいんだよなあ。何だろう…」



ミクが小鳥ちゃんの全身を眺めながら、大きな目を閉じたり、開いたりする。



「これじゃない?」



怜生は、ジャケットのポケットから小さな箱を取り出して、チラチラと振った。



「え?やだ、怜生、絵麻にプロポーズでもするの?」



「違ぇよ」



「怜生、私まだ心の準備が…」



「絵麻ものっかるな」



くすくすと笑う二人を少し睨みながら、怜生がゆっくりと箱を開けると、美しいリングが顔を出した。
色々な色の小さい花が上手く重なり合っていて、花束を上から覗き込んだようなデザインになっていた。



「きゃー!何これすっごい!やっぱりあんた天才だわ。どうなってんのこれ…やっばあ…」



ミクは箱ごとリングを取り上げて、宝石でも見るかのように左右に動かした。
俺も、斜めからリングを写し、少しずつ上からの視点へと変えた。
レンズ越しでも、花と花の間に縫い込まれたスパンコールがキラキラと輝いている。




怜生は、箱からリングを抜いて、小鳥ちゃんの右手の小指にはめた。




「おー、ぴったりじゃん。良かった」



「どうして小指なの?」



「右手のピンキーリングは、自分の魅力を引き出すって意味がある。あと、ピンキーリングなら、どんな仕草をしてもリングの花が顔を隠して邪魔しない」



「へえ、指によって意味違うんだ。素敵だね」



小鳥ちゃんと怜生の会話が、空間をより柔らかく包んでいく。
映像だけでは伝わらないかもしれないこの空気感を感じられるのも、カメラマンの特権だ。



「うん。これでほぼ完成だね!怜生、ありがとう。あとは私がギリギリまで粘るよ」



「ミク、まだ直すの?もう十分完璧なのに」



「直前になって変えたくなったり、こうすれば良かったが絶対あるの。後悔したくないじゃん。絵麻もそうならないように、ちゃんとランウェイ練習してよね」



「はーい!」



「じゃあ着替えよう。絵麻ありがとう」



二人はまたカーテンの裏へ戻って行った。
俺はカメラを置いて、椅子に座り天井を見上げた。




後悔しないように。




俺は既に、後悔している事がある。
この三人が出会った日に、俺も居合わせて、出来るならスタートからゴールまで全部撮りたかった。




俺がもっと早く、小鳥ちゃんの本質を見抜ける人だったら、違う関わり方が出来ていたかもしれない。



「水瀬君。これ」



着替えが終わった小鳥ちゃんが、USBメモリーを持っていた。



「何?」



「初めての採寸の日から、一人で撮り溜めてた映像だよ。私の映像もあるから、使えるのあるか分からないけど、良かったら」




本当にこの子は。




「ありがとう。めちゃくちゃ助かる。どうやって繋げようか悩んでたんだ」




「良かった!今日は朝からありがとう」



俺ばかり、彼女にどんどん飲み込まれていく。



「こちらこそ」



USBを受け取って、カメラのケースにしまった。



俺はこの日から、小鳥ちゃんのいない日も三人の撮影を続けた。
ミクの制作する姿や、三人のミーティング、撮れる日は全てカメラを向けた。



でも、小鳥ちゃんのランウェイの練習は撮らなかった。
彼女の努力は、隠しておく方が良い気がしたんだ。
きっと、小鳥ちゃんが残したいのはそこじゃないから。



本番は、もうすぐそこまで迫っている。
俺は、新しい俺に出会える扉の前にやっと辿り着いた。
ここからまた、物語を始めよう。




次回 「ep.12  ランウェイ」

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