《小説》GINGER ep.9

ep.9  深い夢に入る前に


私の慰め会の次の日から、3人としばらく連絡が取れなくなって、一ヶ月が経った。



怜生からの最後のメッセージは、



《ランウェイの練習をする事。姿勢を直して、しっかりストレッチをする事。太らない事。痩せすぎない事。4月の本番まで体型変えるなよ!》



とのご命令。
ミクの作るドレスの採寸が終わっているので、私は採寸の日から体型が変わらないように必死だ。
高一から、体重と身長はほとんど変わっていないから、キープをするのは困難ではないけれど、いざ変えるなと言われると背筋が伸びる。



「絵麻ちゃん。桜並木の桜、もう満開よ。見た?」



買い物を終えて帰ってきた祖母が、嬉しそうにリビングのドアを開けた。
紙袋を受け取ると、綺麗な紫色のカーディガンと、緑のベレー帽が入っている。



「桜まだ見てないや。それよりおばあちゃん、相変わらず派手な色買うね」



「あら、お洒落に差し色は必要なのよ」



「なるほど」



確かに、ミクは真っ黒なコーディネートをしても、必ず差し色が一つ入っていた気がする。



「絵麻ちゃんも最近ちょっと変わってきたわね。恋でもしてるのかしら」



「なっ、し、してないよ!」



「あらそう?」



祖母はクスクスと笑いながら、丁寧に紙袋からカーディガンとベレー帽を取り出して、タグを切る。



「私、ちょっと友達に会いに行って来るから、夜ご飯は大丈夫。一人にしちゃうけど、ごめんね」



「良いのよ。気をつけて行ってらっしゃい」



外に出ると、日が少し傾き始めていた。
白線の上をはみ出ないように真っ直ぐ歩く。
車の通りがほとんどない数メートルだけ、ランウェイの練習として続けている。
始めた時は、よろよろしないように歩くので精一杯で、ランウェイへの不安が増しただけだった。
それでも、人間は面白いもので、一ヶ月続けるともう足元を見なくても、白線からはみ出る事なく歩けるようになった。



白線のランウェイを抜けると桜並木に入る。
祖母が言っていた通り、桜は満開に咲いて、柔らかい風が花弁を優しく舞い上がらせた。



大学まで歩いて30分。
桜並木がずっと続くこの道を、入学したての私は長いなぁと億劫に感じていた。
勿論、今も長いとは感じるけれど、季節毎に色々な顔を見せてくれるこの道が好きになった。



「ずっと満開でも良いくらいなのになぁ。君は儚いねぇ」



毎年思う。
4月に入れば、強風と雨であっという間に桜は散ってしまうのだ。
一年かけて一生懸命膨らまし続けた蕾が、ようやく開いたのに、と、ここまで考えて、今ミクが一生懸命作っているドレスも、披露できる時間は一瞬なのだと気付く。



私はもしかすると、ものすごく責任重大な役割を任されているのでは…?
急に怖くなって来た。
軽く頭を横に振って弱気をふるい落とし、信号を渡り始めると、正面に待ち合わせの相手が見えた。



「小鳥ちゃん!」



彼は大袈裟なくらい手を振っている。



「水瀬君。恥ずかしいからやめてよ」



「え?ごめんごめん!見つけられないかと思って」



「私、身長はある方なんだけど」



「まあまあ細かい事は良いから。お店、ファミレスで良いかな?」



「もちろん」



昨夜、急に思い立った事があり、これは彼にしか頼めないと、今朝、今日会えないかと連絡をした。
突然だったのにも関わらず、水瀬君は特に何も聞かず、良いよとだけ返事をして来てくれた。



「いらっしゃいませ」



うちの大学の学生も良く通うファミレスに、堂々と二人で入れるようになったのも、自分に自信が付いたからなのだろうか。



案内された席でメニューを開きながら、水瀬君は話を始めた。



「いきなり呼び出されるから、何事かと思ったよ。まだ怒られるのかなってヒヤヒヤしちゃった」



「違う違う。そういうんじゃないよ」



「それなら良いけど。俺このハンバーグとライスのセットにするわ。小鳥ちゃんは?」



「私はグリルチキンのサラダで」



「そんなんで足りるの?まあいいや。頼んじゃうね」



タッチパネルのメニュー表から、慣れた感じで水瀬君が注文をしている間に、私はドリンクバーへ向かった。
二人分のお冷とおしぼりを持って席に戻る。



「悪い、ありがとう」



「うん」



しばらく沈黙が続いた。
二人同時に水を飲んで、グラスを置く。
水瀬君が深呼吸をして、わざとらしく咳払いをした。



「あのね、水瀬君にその、頼みがあるの」



「頼み?」



「私のドキュメンタリーを作ってくれないかな」



「え?」



水瀬君は飲もうとしたグラスを置いて、驚いた顔をした。



「私、友達の作る服のモデルをやる事になって、今、結構人生のターニングポイントって言うか、残しておきたいの。みんなの制作する姿とか、私がランウェイを歩く練習してる所とか、本番まで全部」



「小鳥ちゃんがモデル…。そうか、だからサラダ…いや、最近変わったのか」



「うん。それでね、私の色々な部分、水瀬君は知ってくれたし、水瀬君の映像が凄く好きなのはやっぱり変わらなくて、絶対に水瀬君に撮って欲しいの。見てて欲しいの。私、頑張るから」



真剣に聞いていた彼は、少し考え込んで、すぐ優しく笑って頷いた。



「俺なんかで良ければ、喜んでやるよ。小鳥ドキュメンタリー、最高じゃん。想像しただけでワクワクするわ」



「良かったあ…断られるかと思った」



「何でよ。今ちょうど、4月から何撮ろうか悩んでたんだ。そうと決まれば早く始めよう」



頼んだメニューがそれぞれ運ばれてきても、私達はどんな映像にするかの話し合いが止まらなくて、まとまった頃にはすっかり料理が冷め切っていた。
私が彼とやりたかったのはきっと、これなんだと、心の底からワクワクした。



冷めた料理を食べ終えて、30分程、誰がどうとか、あの講義はどうとか、今まで出来なかった大学生らしい会話をして、私達はファミレスを出た。



ファミレスを出て直ぐに、私は怜生に連絡をした。
水瀬君と二人で、緊張しながら返事を待つ。



《ミクとミズキからも了解って来た。変な映像にしたら殺すって言っといて》




「何か凄い物騒なメッセージ来たけど、OKって事みたい」



「怜生君、だいぶ俺の事嫌いだよね?」



「嫌いと言うか…あっ、そうだ。ねぇ、水瀬君、何で怜生の事男の子だって分かったの?」



「ん?あー、説明すると長いんだけど、実は小鳥ちゃんと二人で歩いてる所見かけた事あって、綺麗な子だなって思ったんだよね。そしたら、その数日後たまたま怜生君だけ見かけたんだけど、その時はロングヘアに男の服装でさ、もしかしてって思ってて。で、あの日改めて顔見て確信した」



「水瀬君じゃなきゃ気付けないね…」



「そう?まぁあと、怜生君必死だったから。なんか、好きな子守りたい男子みたいな雰囲気あったからさ。おやおや?って」



「すっ、好きな子…いやいやそれは無い無い」



「どうかなー。怜生君も気付いてなさそうだけど。とりあえず家まで送るよ」



少し火照る頬を叩きながら並んで歩く。



静かな夜道。
桜が風でカサカサと音を立てながら、車のライトや街頭に照らされて、昼間とは違う、少し妖艶な姿を見せている。



「小鳥ちゃんは、モデルになるの?将来」



「今はそのつもりは無いよ。でも、人と何かを成し遂げるって楽しいんだなって思ったから、サークル何も出来てないし、まずは映像作ろうかなって。何か始めてみなくちゃ」



思ったより素直にそう話せた自分に驚いた。




「そっか。じゃあまずは、ドキュメンタリーが第一歩だな」



怜生に背中を押され、ミクとミズキに自信を貰い、水瀬君に弱い自分を受け止めてもらった。
この人達に出会わなければ、自ら一歩を踏み出す事は出来なかったかもしれない。



「うん。ありがとう」



「じゃあ俺はここで。小鳥ちゃん、頑張ってな。応援してる」



水瀬君は軽く私の左肩を叩いて、ヒラヒラと手を振りながら来た道を戻って行った。
あんな事があっても、私を応援してくれる。
私は、やっぱり彼のような人になりたいと心から思った。



「ありがとう。やれる所までやってみる」



水瀬君の背中に、大きな声でそう告げて、大きく手を振った。



家の鍵を開けてようとした時、スマホが鳴った。



《服が完成した。色々調整したいんだけど、明日来れる?》



怜生からの連絡だった。
話したい事が沢山ある。



明日行けると返事を返して、 水瀬君にも明日よろしくと伝え、鍵を回した。



ベッドに入って、水瀬君の優しさに改めて触れてしまった私は考える。
祖母の言う「恋」とは、どっちの事なのだろうか。
水瀬君への憧れか、怜生の不器用な優しさか。
高校生の時とは違う、どちらに対しても特別な不思議な感情が湧き上がって溢れていく。



でも、私は無意識に、深い夢に落ちる前、ぼんやりと温かくて優しい夜を思い出して、ゆっくり夢の中へ落ちていくのだ。


次回 ep.10  カメラの向こう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?