《小説》GINGER ep.8
ep.8 優しい夜を 絵麻編
私と怜生は、夜のあの店にいた。
アトリエに帰ってからも、私は泣くのを止められなかった。
怜生はもう何も言わず、いつものようにジンジャーティーを淹れ、一人寝室で過ごしながら私を放っておいてくれた。
しばらくして、泣き疲れてソファーで寝てしまっていた私を、男らしく整った怜生が店に行こうと連れ出した。
で、今に至る。
奥にあるテーブル席でジンジャーエールをちびちびと飲んでいると、もう馴染みある明るい声が、後ろから聞こえた。
「怜生、今日はそっちなんだ?」
「そろそろ違う声の掛け方出来ないのかよ、ミズキ」
「相変わらず過保護だねえ」
「ちげえよ」
何だか良く分からない会話をする二人に戸惑っていると、私の隣に来たミクさんと目が合った。
長めに引かれた跳ね上げのアイラインに、赤黒い唇で、今日も妖艶な美しさを放っている。
「絵麻ちゃん、何かあったの?」
「え?」
ミクさんは勢い良く隣に座ってきて、私を自分の方に向けると、両手で私の頬を挟む。
甘いホワイトムスクの香水が鼻腔を通って、喉の奥を刺激した。
「ビジュが死んでる。泣いた?誰に泣かされた?怜生?」
「ち、ちが、違います違います!」
「じゃあ誰?どこのどいつ?」
「えっと、あの・・・」
「絵麻の魅力が分からないモテモテ爽やか王子様だよ」
椅子の背もたれに寄りかかりながら、腕組みをして怜生が言った。
ミズキさんも心配そうな顔で怜生の隣に座る。
「はあ?何そいつ!もう、綺麗な顔が台無しじゃん。何してくれちゃってんのよ。ってか、怜生、一緒にいたならメイクくらい直してやんなさいよ。つっかえないんだから」
自分でリメイクしたんであろう派手に彩られた鞄から、ミクさんは黒いレザーのポーチを取り出して、メイク道具をかちゃかちゃと漁り始めた。
「どうせ泣くだろうって直さなかったんだよ。ほら、見ろミク」
「え?」
自分の右頬を触って、まだダメかとため息が出る。
「やだ、絵麻ちゃん何泣いてんの!どんだけ酷い事言われたの?」
「せっかく泣き止んだとこだったのに。ミクのせいだぞ」
「ちょっと、私が泣かせたみたいに言わないでよ!もー、どうしたのよ?泣かないで」
あたふたするミクさんと、何も言わずに優しい顔で笑うミズキさんが温かくて、涙が溢れてくる。
「違うんです。二人の顔見たら、安心しちゃって。ごめんなさい。本当に、もう大丈夫です。大丈夫なんですけど、やっぱりまだ今の自分を出していくのが怖くて。なんかもう、いちいち悩んで迷って、人に頼らなくちゃちゃんと立ってられなくて、こんな私がモデルじゃない方がミクさんの服も嬉しいんじゃないかなって思っ・・・」
「絵麻!」
両頬にピリッとした痛みが走って、思わず目を瞑った。
ゆっくり目を開くと、怖い顔をしたミクさんが私の頬を今度は強く両手で挟んでいた。
「どうしてそんな事言うの?」
「だって、私なんて、自分じゃ何にも・・・」
「良い?他人にどう思われるとか、どう見られるとか、そんなくっだらない評価なんてどうでも良いんだよ。絵麻は絵麻でしょ。そうやってうじうじしちゃう絵麻も、怜生が作る絵麻も、どんな絵麻も全部絵麻だよ。彼が何て言ったのか知らないけど、きっと絵麻が捨てたかった絵麻を彼は見てただけ。本物が今の絵麻なら、堂々としなよ」
力強い言葉に、絡まっていた糸が少しずつ解けていく。
「悩むのが何?迷うのが何?そんなの人間なんだから、当たり前にあんじゃん。モデルやるって言ってくれたあの日の言葉は嘘だったの?」
それは嘘じゃない。
口を開いたらまた泣いてしまいそうで、黙って首を横に振った。
「だったら何で?確かに私の服は、くよくよして逃げようとする人には着させられない。でも、本気になるなら、全力で絵麻が戦える武器にしたげる。どうする?やめる?」
彼女には、私の全部が見えているように思えた。
長い睫毛の内側で光る瞳が、私の体の奥に眠っている”本物”に問いかけてくる。
「やめない」
「逃げずに堂々と着て歩いてくれる?」
「うん。約束する」
何の為に流した涙だったのか、自分が一番良く分かっている。
ここまで来て、もう過去には戻りたくない。
もやがかっていた頭の中がやっと開けていく感覚がした。
キツい表情だったミクさんは、いつもより柔らかい顔になって、私の手を握った。
「大好きな人に言われる言葉って、誰に言われるよりダメージあるよね。分かるよ」
「うん」
「でも、自分が愛せる自分でいなきゃ。こんな私がなんて、悲しい事言わないで」
ミクさんの手が温かくて、優しくて、与える事ばかり考えていた自分の心に、与えられた温もりが静かに流れていくのが分かった。
「ありがとう、ミクさん」
「もうミクでいいよ。ミズキも、ね?」
「おう」
私が耐えてきた二年間は、この日の為の試練だったのかもしれないと、前向きに思えるのは紛れもなく、あの日沈み切った私を引き上げてくれた怜生のおかげで、そして、二人が私を迎え入れてくれたからだ。
神様も、たまにはちゃんと見ててくれているんだと、少し頭を下げる。
「さて、終わった?」
ずっと黙っていた怜生が口を開いた。
「ちょっとあんたさあ、何、終わった?って。今だいぶドラマチックな友情が目の前で繰り広げられてたでしょうが。少しは参加しなさいよ」
「女の友情に興味はない」
「最悪。口を開くな」
二人のやり取りに思わず笑ってしまう。
ミズキも笑いながら、小声で話す素振りをしながら私に耳を貸せと合図をした。
「こっちの二人は置いといて、コンテストの話しよっか小鳥ちゃん」
「うん!」
「「置いとくな」」
言い合いすら息ぴったりな怜生とミクが、少し羨ましい。
ミクは怜生を睨みつけながら、スマホのカメラロールをスクロールしていく。
「とりあえずまだ仮だけど、ある程度形になったから、早く絵麻に見せたくってさ。どう?」
写真の中のマネキンは。綺麗な和洋のドレスと、沢山の花が編み込まれた大きな髪飾りを身に纏って立っている。
黒を基調としたドレスは、黒いレースや、ゴールドの装飾、日常では着られないような派手な装飾が施されていた。
「みんな本当に天才・・・」
「ふふっ。ねえ私の事天才だって!怜生、聞いた?」
「絵麻は”みんな”って言った」
「はいはい二人ともそれ以上揉めない。一旦、このドレスと装飾品達を絵麻ちゃんに着てもらいたいんだけど、明日いける?」
「うん。むしろ明日着たい!」
「決まりだね。ミク、明日までに直せる所直そう」
「言われなくとも」
初めて二人と会った夜も思った事がある。
私は、この時間、この空間が好きだ。
一つの物に向かって、全員が同じ方向を向き、同じだけの熱量を注ぎ込む。
少しずつ形になっていって、一つのゴールが見えてきた時の高揚感をまた全員で共有し合う。
きっと私は、映像サークルでもこれがやりたかったんだ。
「絵麻」
私を呼んだ怜生と、私は多分同じ表情をしている。
「ここからは、俺らと絵麻だけの自由で最高の時間だよ」
「うん」
「もう誰もこの空間に介入出来ないくらい、やばいのが始まるから、ちょっと待ってとか、泣いてる暇なんて与えないから覚悟しろよ」
「うん!」
ミクとミズキも、笑って頷いた。
いよいよ本格的に始まるんだ。
新しい私に会いに行ける。
私達の自由な時間。
もう、誰にも邪魔なんかさせない。
次回 ep.9 深い夢に入る前に
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