《小説》缶珈琲 ep.9
ep.9 さよなら乙女
「ありがとうございました」
「ありがとうございました!またお待ちしてます!」
もう外も真っ暗になり、空ではオリオン座がキラキラと光っている。
家から1時間程かけて来た美容室は、ショートヘアがお得意だと謳っているだけあって、私にとても合ってるショートヘアにしてくれた。
首がしっかり見えるくらいの長さのショートヘア。
運動部の子を見て、ずっと憧れだったけど、旭さんからボーイッシュに見られたくなくて踏み出せなかった。
いざやってみると、少し大人びてみえて、むしろ早くこっちにするべきだったのでは?と思ってしまう程だ。
先週の土曜日、私は陽向と絵麻に付き添ってもらって、美術館に飾られた自分の絵を見に行った。
特別賞まで頂いてしまった私の絵は、大きなスペースの真ん中に飾られていた。
正直、今回の絵が通らなかったら、もう絵を描くのはやめようと思った。
描けば描くほど、自分のアイデアのセンスの低さ、技術、色々な未熟な部分が見えてきて、ネガティブになる。
そうやって行き詰まり、立ち寄った本屋さんである小説の中に出会った。
その小説の中に、「自分を愛せない人に、他人を愛す事は出来ない」と言う台詞を見つけ、心の奥の方がチクリとした。
私は、今の自分を愛せているんだろうか?
好きな人の為に、沢山仮面を被って、嘘をついて、偽りの自分を作り上げて、大切な絵でさえ、他人の評価を気にして描いている。
本当の私はどこにいるのか?
今、好きな人に振り向いてもらえたとして、それからもずっと仮面を被り続けるのか?
その小説を買って、一気に読み進め、本を閉じる頃、私は涙が止まらなくなっていた。
主人公が自分と重なりすぎて、主人公の友人が今までの私をも優しく否定して、正してくれた。
次の日から、張り詰めていたものが一瞬にして消え、気が付けば完成された絵が頭の中で出来上がった。
私は私のままで、私の思うように、私らしく、「幸せ」を描こう。
そうして出来上がったのが、今回の絵だ。
「自分が一番納得出来る作品は大事にした方がいい」
美術館に入る前、緊張した私に陽向がかけてくれた言葉にとても驚いた。
以前、旭さんにも同じ事を言われたから。
全く正反対な性格の兄弟なのに、こうやって稀に同じ事を言ったり、同じ行動をしたりする。
この言葉に、私は二度背中を押してもらったのだ。
絵の本当の内容なんて、分かってもらえなくても良い。
そう思いながら自分の絵の前に立って、隣では大好きな友人が褒めてくれて、それだけで十分幸せで、満足だった。
それなのに。
「誰かの幸せが、誰かの悲しみになったりするし、幸せだと思う事が、相手にとっては苦痛だったりする。この人はきっと、好きな人の幸せを幸せだって言える強くて優しい人だよ。好きだなこの絵」
私達の前で、私の絵を見ていた女子高生が、友達なのだろう隣の女子高生にそう言っているのが聞こえた。
好きな人が誰かのものになってしまう事への不安や悲しみ、嫉妬、一番多感になる高校生に、分かってくれる人がいるなんて。
嬉しさと、叶わなかった恋の切なさが込み上げてきて、耐え切れなくなった私はトイレに駆け込んで、ありがとうと呟きながらしばらく嗚咽した。
火曜日、展覧会を終えて戻ってきた絵を冷静に見て、私は猛烈な恥ずかしさを覚えた。
「このままだと、めっちゃ重い女じゃん…」
絵を泣きながら描いたという絵、なんて、自分の悲しみを押し付けてしまうようなもの。
プレゼントする約束をしてしまった手前、渡さない訳にもいかず、背景を変更することにした。
オシャレなTSUMUGIの空間と、旭さんと心春さんのイメージを崩さないように、丁寧に描き直した。
そして今、描き終えた私は最後のケジメとして、ショートヘアにしたという訳。
絵麻に写真を送ったら、音澄らしくなったと返信があった。
土曜日。
描きあげた絵を持ってTSUMUGIへ向かっている。
待ち合わせをしていた陽向が、目を丸くして私を見た。
準備中のTSUMUGIへ特別に入れてもらい、旭さんに約束の絵を渡した。
とても喜んでくれた。
背景が変わっているのに気付いた陽向が、何か言いたげだったけれど、言わないでと合図を送る。
飾ってもらった絵を見ながら、少し三人で話をした。
「音澄ちゃん。髪切ったんだね。ショートヘアも良く似合ってるよ」
「本当ですか?どっちの方が良いですか?ショートとロング」
旭さんは、腕を組んでしばらく考えてから優しく笑った。
「どっちも素敵だけど、ショートヘアの方が音澄ちゃんらしいね」
「やっぱりそうですよね!」
あーあ。
本当に、この人はどこまでも鈍くてずるい。
隣の席に座った陽向の小さな溜息も聞こえた。
「僕はずっと切れ切れって言ってたけどな」
「え?そんな事言ってた?」
「切りたい切りたい騒いでたの誰だよ」
「ちょっと余計な事言わない!」
「音澄ちゃん、切りたかったの?」
「え、あ、えっと、やっぱりロングの方が女の子らしいし、可愛いかなって思って、伸ばしてただけです!」
陽向クスクスと笑って、意地悪な顔をしている。
旭さんは反対に、優しい顔をしていた。
「どっちでも音澄ちゃんはちゃんと可愛い女の子だよ」
「へへっ。ありがとうございます」
私は、今日、ちゃんとこの恋を、今までの私を終わらせようと覚悟をしてきた。
「兄貴。あんまりそういう台詞サラッと言うなよな。女子に恨まれても文句言うなよ」
終わらせるんだ。
結婚するのに、恋人以外の女の子に可愛いなんて言えてしまう人。
「思った事を言ってるだけだよ」
店のオーナーとして、人を褒める事に慣れている人。
「だからそれをやめろって。これだからモテる男は腹立つよ」
私だけが特別なんじゃない。
「せっかくのイメチェンを褒めないなんて失礼だろ?陽向は音澄ちゃん、褒めてあげたの?」
「俺は音澄がどんな髪型になろうが、どんな服装しようがどうでもいい。何したって音澄は音澄だろ。むしろ好きなようにしてて欲しい」
こうやってずっと、陽向が私を正しい道に引き戻そうとしてくれていた。
気付いてて、逃げていた私はもういない。
「陽向も良い事言うな」
「うるさい」
ちゃんとするって決めたんだ。
「陽向、家だと一人称、俺なの?」
「え?うん。外では僕にしてる。チャラ兄貴と被りたくないから」
「そんな寂しい事言うなよ」
「お客さん並び始めたし、音澄、もういいなら帰るぞ」
「あ、ちょ、ちょっと待って」
立ち上がった陽向を引き止めて、私は旭さんにもう一度向き合った。
苦手だったキャラメルマキアート、旭さんに褒められて続けたロングヘア、心春さんの存在に知らないふりをし続けていた事、偽りの仮面を1枚ずつ取り外して、軽くなっていく心を感じた。
複雑そうな、でも変わらず優しい温かい目で、旭さんは私を振った。
TSUMUGIを出て、寄り道をしようと陽向に連れていかれたのは、小さな公園。
誰もいない、静かな公園のベンチに座って、陽向が缶珈琲を渡してくる。
長い片思いが終わって、スッキリしていたはずなのに、開けた缶珈琲の匂いが心を抉って、立ち上がった。
涙が、止まらない。
無理矢理笑顔を作って、振り返って陽向を見ると、見た事ない表情で私を見ていた。
「なんで、陽向も泣いてるの?そんな顔しないで…」
「うるせぇよ」
陽向に腕を引かれ、もう一度隣に座って、私は子供みたいに泣いた。
温かい陽向の手が、背中をさすってくれている。
陽向はずっと私を守ってくれた。
陽向を好きになれたらどんなに良いだろうと、何度も思った。
神様ってやつは、恋心ってやつは、簡単に幸せな方へは連れていってくれない。
ひとしきり泣いた後、陽向がぽつりぽつりと話し始めた。
「僕はずっと、兄貴に憧れてた。優しくて、愛想良くて、文武両道で、じいちゃんの店継いであんな立派な店に変えてさ。何やっても勝てなかった。好きな人も、兄貴に会うとみんな兄貴を好きになった。そりゃこんな無愛想で冷たい僕なんかより良いよな。だから、高校に入ってから、兄貴の真似をした」
「陽向を無愛想って思った事、確かになかったかも」
「うん。努力したから。と言うより、仮面被りまくったんだよな。そしたら誰とでも話せるようになった。おかげで、音澄とも絵麻ともこうなれたわけだけど、今の僕は本当の僕じゃない。本当はもっと心も醜くて、嫉妬深くて、冷めてて、必死こいてダサくなっちゃうような男なんだよ」
「でも、私は陽向に沢山救われたよ。たまに言う冷静な言葉に、愛があるなって思う」
背もたれに寄りかかって、陽向は寂しそうに笑った。
「音澄には、愛、こもってたかもしれないな。特別だから」
「え、え、と、とくべっ…」
「特別仲良い友達って事だよ」
「あ、あーそういう事ね…」
びっくりした。
少し熱くなった頬を両手で包む。
「だから、色んな仮面外して向き合った音澄はかっこいいよ。すごく」
こっちは見ないけれど、真っ直ぐ前を見て、真剣に話す陽向が太陽の光で輝いて見える。
陽向ってこんな顔するんだ。
「僕も、俺も、仮面少しずつ外していこうかなって思えた。好きな人に振り向いてもらうのに、仮面なんかいらないよな」
好きな人?
「陽向、好きな人いるの!?」
陽向は、呆れた顔をして、そして声を出して笑った。
「あー本当、兄貴の事鈍いとか思ってたけど、音澄も十分鈍かったわ」
「そんな事ないもん!良いから教えてよ!学校の子?同級生?それとも…」
「よし、帰ろう」
「ええ!ちょっと!」
陽向は笑いながら、先を歩いて行く。
絵麻の言葉が再生されるけれど、それを振り払って、私は陽向に問い続けた。
結局教えてもらえないまま、電車を降りて、改札を出た。
陽向との分かれ道へ来た時、急に陽向が立ち止まる。
「どうしたの?」
「卒業したら、教えるよ。好きだった人」
「過去形になってるじゃん」
「うん。叶わないって分かってるんだ、俺の方も」
「そっか。うん、分かった」
「うん。じゃ、また月曜日」
ヒラヒラと手を振って、私達は別々の方向へ歩き出した。
それから数ヶ月、私達は必死に受験生を駆け抜けて、入試を終えた。
私は第一志望の美大が決まった。
あとは二人の合否を待つだけ。
そして、気が付けば校舎に貼られたカウントダウンは一桁に変わり、卒業がすぐそこまで来ていた。
次回「ep.10 卒業」
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