村上春樹『猫を捨てる』を読んで大正生まれの祖父の戦争話を思い出す


当塾の中3クラスでは、歴史の「第二次世界大戦」あたりを勉強しています。

コロナウイルスにより、中学生の履修単元・受験範囲は減るかもしれませんが、第一次世界大戦、大正デモクラシー、第二次世界大戦は、削ってはいけない箇所でしょう。
削られないとは思いますが…。


それで村上春樹『猫を捨てる』には、著者のお父さん(故人)が若い頃、第二次世界大戦のとき、手違いで徴兵された、という話が出てきます。
中国に派兵されたあと、南方の島、レイテ島に行かされそうになったが行かなくてすんだ、ということでした。


私の祖父(故人)も、同じ頃、徴兵されており、行き先は、南方の島でした。
レイテ島とは別の島ですが、本を読んで、祖父の戦争話を色々と思い出しました。



中学生・高校生の皆さんは、「兵站(へいたん)」という言葉を知っていますか。

私はかなり大人になるまで、知りませんでした。
兵站とは、
「戦場で後方に位置して、前線の部隊のために、軍需品・食糧・馬などの供給・補充や、後方連絡線の確保などを任務とする機関。その任務。」
のことです。
要するに、戦争のとき、武器や食糧を兵士のために準備することです。


以下は、食糧にポイントをしぼって話を進めます。


「戦争になったら、国が兵士のために食糧を用意する」
という基本的なことを、私は子供の頃知らなかったのです。


祖父はよく戦場の話をしてくれました。それを聞いて、私は、「戦争に行ったら、食べ物のない戦場でいかに食べ物を手に入れるかが大事だ」と思うようになりました。


祖父がいた南方の島では、食べ物が不足していたので
「さつまいものツルを煮込んで汁にして食べていた」
というのが最も何度も聞いた話です。


加えて
「じーちゃんは農家の生まれやから、芋の苗を現地の人にもらって畑を作っていた」
とか
「泥水でも雨水でも何でも飲んだ」
とか
「時々、ねずみがとれたらごちそうだった!」
という話を何回も聞きました。


そのような話を聞くうちに、私は、
「へえー、戦争って、大変なんだな。食べ物がないんだな。戦場で畑作ったり、ねずみとって食べたり。戦争って飢えとの戦いだ」
と、子供心に思うようになり、ついでにテレビなどで
「いかに戦時中は物が少なかったか、いかにみんな飢えていたか」
という番組などを見るにつけ、ますますその想像は膨らみ、
「戦争って、戦場で自分で食べ物を手に入れなければならないんだな」
と、私の戦争観は作られたのです。

なんとも単純な考えですね。

戦争=飢えて当たり前

という考え。


それで大人になって
「兵站」
という言葉を知って

「ええっ!おじいちゃんが南方の島で飢えていたのは、戦争だから当たり前、じゃなく、国が兵士に食糧をちゃんとやらなかったからか!」

と私は知って驚いた、というお話なので、村上春樹のお父さんが日中戦争で背負った重苦しい記憶の話とはちょっと違う話かもしれませんが、同じ戦争、同じ南方、ということで思い出して書いてみました。


戦争の善悪はともかく、
「戦争になったら、兵士に食糧を与え、兵士を飢えさせないようにする」
というのは国が行うべきことですが、その時の日本はそれができなかった、ということなんです。


歴史の教科書には、それぐらいは書いていいんじゃないんでしょうか。

そうしないと
・第一次世界大戦
   ↓
・第二次世界大戦
   ↓
・原爆投下
   ↓
・戦争終了
   ↓
・平和な日本

くらいしかわからず、歴史の授業が過ぎ去っていく、と思いますが。


しかしながら、ずっと前、フランス人に
「歴史を勉強するかしないかなんて、興味の問題でしょ?学校で教えるかどうかなんて関係ないでしょう」
と日本語で言われました。
それもそうですね…。


だから学校の教科書に載っていないことでも、興味があれば、読んでみて下さいね。


それから、この本の挿絵は台湾の画家の方が描いていてノスタルジックな雰囲気が出ています。
ちょっと速く読みすぎたので、もう一度じっくり読んでみよう、と思います。



※南方の島

●村上春樹『猫を捨てる』に出てくるのはレイテ島というところ。フィリピン。

●私の祖父が行ったのは、ミクロネシアのトラック諸島のうちの一つ。
だから、まあ、ちょっと離れてますね…。興味のある人は、グーグルマップで調べて下さい。


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