高校や塾や親が思ってることと社会にはギャップがあるのではないか
タイトルは、私がこれまで生きてきて最近突きつけられた現実についてです
社会で活躍したいと考えるならば、早めに気づいていたかったことでした。
私は、私大文系で、それなりに高学歴と言われる大学に進学しました。
高校は自称進学校に入り、大学受験で成功するため、3年間勉強漬けでした。
模試は最初偏差値45くらいからのスタートでしたが、大学2年には学年で成績優秀賞をもらうほどになり、塾に通わず志望校に合格し、先生たちからはものすごく褒められました。
自称進あるあるだと思いますが、卒業目前には「後輩たちに勉強の成功体験を話してほしい」みたいに学校側からお願いされて、自分がどれくらい勉強して合格したのかを話す、という会にも出て
大学に入るまでは自分は努力してきて、出来る人間だと思い込んでいました。
大学生活も普通に楽しかったし、もちろん勉強して大学に入ったおかげで色々なことを知ることの楽しさを知りましたし、色んな人に出会えました。
これは、頑張ってその大学に入ったおかげで得られたことで、全く無駄だとは思っていません。
ただ、今思うのは、高校生みんなが大学受験に躍起になったとしても、社会に出たあとのことを考えると資格を持たない文系で日本で学歴を活かして活躍する人なんて本当少ししかいないのではということです。
それこそ、東大や慶應、一橋とかは、その出身校であることが優位に働くことはあると思います
でも、自分が就活などをしてみて思うのは、MARCHと呼ばれる層とかって、そんなに希少価値が高いわけでもなく、
MARCHだからなんだ、という感じです。
学歴というより、何か個性や強み +コミュ力 がないと、
求められている、とは感じにくい気がします。
私が実際それだったからです。笑
私の場合、中途半端な高学歴という肩書きだけは持っていても、コミュ力も強みもなかったので、社会に出ようとする時は苦労しました。
私は塾講師をしていたとき、何人も受験生を見ていましたが
その時受験生たちは、いわゆる高学歴と呼ばれるようなところに入れることが是であり、そうじゃないと浪人を考えるくらいの人が多かったです。
当時の本人たちに、落ちたから終わりなんてことはないと伝えたとしても響きませんでしたが。
何か資格を取りたいとか学歴に足切りがあるとかそういうわけじゃない限り今考えると、自分がやりたい勉強ができる大学とか学部であれば、どんな大学でもいいと思います。
東大とか一橋とか早慶とかそういうところではない限り、高校生が思ってるほど、社会に出る時に出身校が見られることはないんじゃないかと思います。
なぜならば、多くの仕事って受験勉強でしたことを使うわけじゃないからです。(思考力が一定求められる仕事は別ですが)
それよりも、中身で勝負するとか、自分の希少価値を高める方が、よっぽど役に立つと思います。
もちろん一つの判断基準として、より倍率が高かったりして入試難易度の高い大学に入ったという事実がある方が、勉強をコツコツ頑張ったのかなと思われるとは思いますが。
ただ高校生とかが思っているほど出身校、いわゆる学歴が全てじゃないということを言いたいなと思います。
それよりも、入った環境で何をするか、何を伸ばしていくのかに目を向けたほうが有意義なんじゃないかとおもいます。
なので、もし社会で活躍したいと思っているなら、大学に入ることをゴールにするのではなく、希少価値を高めることに注力するのがいいです。
by勘違いしてた学生より
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