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幸福はどこから来るのか?-映画『ゴッドランド/GODLAND』感想-

みなみ京二と申します。

映画『ゴッドランド/GODLAND』を見て来たので感想を書いていきます。

見るか迷っている方の参考にもなるように、途中まではネタバレなしです。


アイスランド特有(?)の独特な空気感

本作を見終わって真っ先に出て来た感想は、
「間の取り方や映像の空気感が独特だなぁ……。」
であった。

物語の起伏は比較的小さく、登場人物同士の会話もどこかぼんやりとした印象を持った。
舞台となるアイスランドの雄大な自然を、尺をたっぷり使って映しているのも特徴的だ。
人物を全く映さず、ひたすらに自然風景のみを長尺で映すようなシーンもあるほどだ。

この雰囲気には、同じくアイスランドを舞台とした映画である『LAMB/ラム』を思い出した。
地域的な特徴なのだろうか。
いずれも自然風景へのこだわりが強く、ゆったりとした展開の作品である。
アイスランド近辺の作品を見た回数が少ないので断言はしかねるが、この2作には非常に近いものを感じた。

正直なところ、間延びしているように感じてしまう部分もあった。
しかしながら、雄大な自然の中で生きるアイスランドの人々が持っている時間間隔が反映されているかのようにも思え、ある種の趣深さを演出していたようにも感じた。

近年の映像面・ストーリー面ともに情報の詰まった大作映画とはまた違った味わいのある、面白い作品だったと思う。

気難しいのはガイドが、それとも

この映画の大筋は、
「教会の建設と布教の命を受けてアイスランドに向かったデンマーク人の牧師・ルーカスが、幾つものアクシデントに見舞われながら、ガイドのラグナルをはじめとする同行者とともにアイスランドを旅する」
といったものである。

デンマーク人とアイスランド人、キリスト教を信じる者と信じていない者。
生まれも育ちも考え方も全く異なる人々が、厳しい自然の中、極限状態で共に過ごすこととなる。

ポスターにも記載されているとおり、ラグナルは「気難しいガイド」である。
ルーカスらデンマーク人に対しどこか冷たく当たり、アイスランド語がわからないのを良いことに彼らを蔑むような言動もしていた。

しかしながら、旅を続ける中でそれは変化していく。
ルーカスにとってのラグナル、ラグナルにとってのルーカス───双方の認識が、長い時間と様々なアクシデントを経て徐々に変わっていく様はこの映画のテーマ性が詰まった部分でもある。

ルーカス・ラグナルの二人に限らず、どの登場人物も言動が極めて人間臭く、感情も大きく揺れ動く。
それ故に恐怖や焦燥感に駆られ、一見すると理解できないようなことをする場面もある。
何もかもが上手くいく旅では決してなく、むしろ上手くいかない部分の方が多い。
そんな中でルーカスがどこを終着点とし、どのような終わりを迎えるのかが見どころだ。

自然の美しさ、恐ろしさ

これは非常に重要なことなのだが、動物がかわいい。
ルーカス達が乗る馬やラグナルに同行している犬をはじめ、野生の動物や現地人の家畜など様々な動物が生き生きと描写されている。
特に犬は非常にかわいい。
美しい自然風景も相まって、動物たちはこの映画における癒し要素である。

一方で、自然は人間に牙を剥くこともある。
河の氾濫や険しい岩山、寒さなどアイスランドの気象や地形が、ルーカス達の心と体を容赦なく蝕んでいく様もまざまざと見せつけられた。
ありのままに自然を映しているからこそ、動物は魅力的になり自然の恐ろしさも顕れているのだろう。

極限の状況下、肉体のみならず精神まで疲弊していくルーカスと、そんな彼にアイスランドの人々がどう接していくか。
そしてそれを受けて、ルーカスがどのように動くのか。
自然と人、それぞれとの交流は少しずつ彼を変えていくわけだが、彼もまた少々変わり者である。
結末は予想外のものであったが、しかしそれまで彼の旅路を見ていくと非常に納得のいくものであった。

中締め

なかなか独特な空気感の作品ではあるが、作品内で取り扱われているテーマは興味深く、ストーリーテリングも淡々としているからこその味があり、とても面白い映画だった。
とある写真が着想元になっているとのことで、ルーカスも度々作中で写真を撮影するが、ただ「元ネタだから撮っておく」だけに留まらず、それも上手くストーリーに組み込まれていた。

広大で美しく、しかし厳しい自然の中で、独特な雰囲気で繰り広げられる全く読めない展開には、不思議と目が離せなくなる魅力がある。
正方形に近い縦横比で映し出される映像はそれだけで印象に残るし、役者陣の演技も細かい感情の動きが表現されている、素晴らしいものだった。

公開から時間が経ち、既に上映館がかなり減ってしまっているが、ハリウッドの超大作とはまた違った面白さがある作品なので、気になっている方は是非見ることをお勧めしたい。



▲▲▲ここまでネタバレなし▲▲▲
▼▼▼ここからネタバレあり▼▼▼





宗教と幸福

人が何かしらの宗教を信仰するとき、そこにはどういった理由があるのだろうか?
家柄や地域により生まれながらにして信仰しているというパターンもあるだろうが、そうでない場合は救いや精神の安寧などを得てより「幸福」になることが大きな目的ではないかと思う。

ルーカスがなぜキリスト教を信仰しているのかは定かではないが、彼の布教活動には少なからず「アイスランドの人々を幸せにしたい・神の教えを通してより良い人間にしてあげたい」という目的があったはずだ。
しかし、その目的は果たされぬままルーカスが死に、この映画は終わりを迎える。

ルーカスが倒れたところを助けられ、村で過ごすようになってから本格的な教会建設と布教が始まったが、そこで彼が村人たちを幸せにしようとしているようにはどうしても思えなかった。

教会の建設中、ラグナルから聖職者になる方法を問われた際には曖昧な返答しかせず、結婚式を挙げる際には「教会が完成していないから」と式を挙げてやらず、ラグナルの写真も撮らない。
彼はそもそも、アイスランド語を覚えようともしていない。
現地の人々とまともにコミュニケーションを取ろうという意思がない、つまり対等な存在として見ていないことの表れだろう。
ラグナルから写真の撮影を頼まれた際に怒り狂ったように、彼にとってアイスランドの人々は明確に「格下」なのだ。
本心から幸せにしたいと思っていたようには到底見えない。

建設途中の教会で挙げられた結婚式や、それに伴って開催された祭りでは、皆とても楽しそうだった。
ルーカスは、ひいてはキリスト教は、この結婚式には何一つ貢献していないにも関わらず、である。
対照的に、完成した教会に集められた村人は幸福そうには見えなかった。
皮肉な話である。

また、ルーカス本人が幸せだったようにも思えなかった。
そもそも物語の始まりが命の危機に瀕するほど危険な旅を課されることだし、実際道中は死にかけた。
村についてからも、教会の建設は上手くいかず、馬は失い、アンナとの結婚はカールに反対され続ける。
最後には殺され、野ざらしになって朽ちていくことになる。

この映画の中に、キリスト教を通じて幸せになった人は誰もいなかったのではないだろうか。

宗教と人間性

宗教を信仰する際の動機として、人間性を磨くということもあるだろう。
人としてどう生きるのが善いのか、人生の指針を与えてくれるというのも宗教の一面である。
日本でも、非行少年を更生させるためには寺に入れて修行させろ、なんてことが昔から言われていたりもする。

では、ルーカスはどうだろうか?
彼は、通訳が死んだときには悲痛な表情で弔っていたし、アンナのことを大切に思う気持ちに嘘はなかっただろう。
しかし、先述の通り彼はアイスランドの人々を基本的に見下している。
彼が対等に見ているのは自分と同じデンマーク人、もしくはデンマークの言葉を話す人である。
博愛主義者などでは断じてなく、むしろ差別的な印象すら受けた。

加えて彼は極めて身勝手である。
通訳が流されて死んだのも、元はと言えばルーカスが河渡りを強行したからだ。
ラグナルに対しては、命の恩人であるにもかかわらず終始冷たく接し、写真を撮ることも断固として拒否する。
挙句の果てには、いくら自身の馬が殺されたからとはいえ、逆上してラグナルを殺してしまう。
人間的にはかなり問題があると言わざるを得ない。
信仰を通して自己を高めることにも、彼は失敗しているのだ。

なら、果たして宗教は必要だったのだろうか?
誰も幸せにできず、人間性の向上にも貢献できなかった宗教は、なんのためにあったのだろうか?

神との関係、人間との関係

ここまで宗教のことを散々に言ってきたが、作中において宗教がポジティブに働いていた点も、少なくと2つはあると思っている。

1つ目は、そもそもルーカスがあの過酷な旅を生き抜くことができたという点だ。
無事……かどうかは怪しいが彼が生きて村に辿り着けたのは、ラグナルたちの助力があったことは勿論のことだが、信仰心が彼の精神的な支えになっていたことも理由ではないかと思う。
洞窟で弱音を吐くシーンからは、教会の建設がルーカスにとって神から与えられた使命であり、責務であるように見えた。
信じる神のために、なんとしても生き抜いて教会を建てなければならない。
そんな思いも、彼を生かしたのではないだろうか。

2つ目は、村の人々との関係性を良好にしていた点である。
ルーカスは村人にとって、外から来た余所者である。
ともすれば排除されてもおかしくはない立場であり、実際カールには(男であることも大きな要因だろうが)そこまで歓迎されているようには見えなかった。

しかし村人たちは彼に好意的であった。
なぜか?彼が牧師だからである。
自分の知らぬ神の教えを知り、聞けぬ神の言葉を聞くことができる特別な者だからである。
だからこそ村人は彼に関心を持ち、歓迎し、祭りに参加させていたのだ。
宗教はルーカスと村人たちとの間に、一つ「仲良くなるためのきっかけ」を与えていたのである。

しかし、ルーカスはそれを棒に振った。
村人からの好意に応えることをしなかった。
だからこそ、最後は村人であるカールの手によって殺されたのだろう。

信仰心を抱くことは良いが、現実の人間関係も重要である。
宗教を通じて己を磨き、他の人々の役に立てるようにならなければ、信仰に意味などない。

この映画が言いたいことは、そんな風なことなのではないかと思った。

締め

一般的な日本人の例に漏れず、私は良くも悪くも宗教にそこまで関心がない。
私にはラグナルよりルーカスの方がよっぽど気難しい人間であるように感じられたし、なんなら作中で一番嫌な奴だと思うが、敬虔なキリスト教徒であればまた違った感想を持つのだろうか?
残念ながらキリスト教徒の知人がいないので、確かめられなさそうなのが残念だ。

雰囲気も映像も不思議な映画なので人は選ぶとは思うが、間違いなく良い映画だと思う。
少なくとも、私はとても好きな作品である。

流石に毎週この手の映画を見ると疲弊してしまいそうだが、たまに見るぶんには良い気分転換になって良いな……。

〈了〉


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