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兵器の使い方、映画の見方-映画『オッペンハイマー』感想-

みなみ京二と申します。

ついに日本でも公開された映画『オッペンハイマー』を見て来たので感想を書いていきます。

見るか迷っている方の参考にもなるように、途中まではネタバレなしです。


芸術的爆発

滅茶苦茶面白かった。
現時点で、今年見た映画の中だとダントツ。
上映時間は約3時間と長いが、全く退屈しなかった。
むしろ短く感じたぐらいだ。

「物理学者として」、「愛国者として」、「一人の人間として」……
様々な立場から生まれる葛藤。
アメリカが原子爆弾の開発・使用に至るまでの経緯を物理学者たちの視点で追いながら、「ロバート・オッペンハイマー」という人間と、彼に関わった人々の人生を通して、彼の罪とは何だったのかが少しずつ浮き彫りになっていく。

兵器の発展と科学の進歩、国家間での安全保障などは、広島への原爆投下から80年近く経った今でもなお残る、というか人間が文明を持ち続ける限り解消できないのではないかとさえ思えてしまう問題について、改めて考えさせられた。

ストーリーもさることながら、映像も素晴らしい。
アメリカの広大な大自然からオッペンハイマーの見る幻覚まで、スクリーンに映し出されるものは皆美しく見えた。

それは爆弾が爆発するシーンも例外ではない。
数十メートルの高さに立ち上る爆炎、揺れる大地、発される閃光、爆風と土煙───そのすべてが克明に映し出される。
圧倒的な映像美はそれを印象に残るものにし、ありありと映し出される爆弾の破壊力は心に恐怖を刻み込んでいく。

恐ろしくもあるが、同時に美しくもある。
人間には扱いきれない、まさしく神の如き力が、これ以上ないほどに的確に映像化されていた。

誰が悪いのか、何が悪いのか

アメリカで制作された映画ではあるものの、戦争における兵器開発や原爆の使用に対する姿勢はかなり中立的に感じた。

映画は基本的に、オッペンハイマーが追及を受ける聴聞会と政治家・ストローズの公聴会を交互に映しつつ、そこで言及されたオッペンハイマーの行動を回想する形で進行する。

学生時代から戦後まで、オッペンハイマーの半生をなぞりつつ、彼と関わった多くの科学者や女性たちとの関係性が語られていくにつれて、彼の人となりも少しづつ見えてくる。

男女関係にはだらしなく、精神的に不安定。
しかしながら物理学者としては超優秀で、巧みな話術も持っている。
この映画を通して私がオッペンハイマーという人物に対して抱いた印象は、「世界を破壊しかねない大量破壊兵器を開発した罪人」でもなければ「戦争を終結させる兵器を作ったアメリカの英雄」でもない。
「天才物理学者であることを除けば、どこにでもいる普通の人間」である。

そんな彼が"天才物理学者として"原爆を完成させてしまったという事実を、"普通の人間として"いかに背負うのか、というのがこの映画の見どころだ。
原爆を開発したのは彼だが、開発を命じ、使用の判断を下したのは国家であり、投下したのはB-29のパイロットであったポール・ティベッツである。

なら、どこまでがオッペンハイマーが背負うべき罪なのか?誰に、どこまでの責任があるのか?
答えは見る人によってそれぞれ異なると思うし、そもそも正解があるような話でもないのだが、そんな難しい問題についてしっかり考えさせてくれる内容であった。
本作が、当時の社会情勢なども交えつつも、フラットな目線からオッペンハイマーの人生を描いているからこそである。

一時は日本での公開が危ぶまれた本作だが、内容はむしろ「日本人が見てどう思うか」が非常に重要であるように感じた。
もちろん面白い作品だからというのもあるが、そういった意味でもこの映画が日本で公開されて本当に良かったと思う。

難解ではあるが……

クリストファー・ノーランといえば「なんだかややこしい・難しい映画を撮る監督」と認識している方は少なくないだろう。
例に漏れず、本作もなかなか難解であった。

先述した通り、本作のストーリーはオッペンハイマーが追及を受ける聴聞会とストローズの公聴会が交互に映され、その中で挙がった過去の出来事を回想する形で進んでいく。

聴聞会と公聴会ではずっと同じ時系列の話をしているわけではなく、全く異なる時系列の話をすることもある。
そうなると、ついさっきまで見ていたシーンから一気に数年単位で時間が飛ぶこともあるし、見たことのない登場人物がいきなり出てきたりもする。
多少気を張って見ていても「なんだコレ?わからん」と思うこともあるだろう。
私もそうだった。

しかし、安心していい。
ストーリー構成が非常によくできており、各登場人物の発言や行動、アメリカの内政状況の変化などが次第に繋がっていく。
なんとなく「こんな奴出て来たな」「こんなやり取りしてたな」程度で把握しておけば、最終的にちゃんと理解できるはずだ。

とはいえ登場人物数も多いので、それだけでも大変かもしれないが……。
少し頑張ればそれに見合った面白さを体験できるので、少しだけ集中して観ていただきたい。

中締め

凄まじく面白い映画だったのだが、感想が上手くまとまらない……!
理由は内容の難しさ、情報量の多さなど色々あるが、何よりも「いち日本人として、この映画をどう見て、どう向き合うか」がとても大切なように思えて、安易に言葉を紡げないということが大きい。

この映画を通して見たもの、感じたことは、そのまま兵器や戦争に対して持っているイメージを映しているように思えてならないのだ。
これはアメリカ側でも日本側でもなく、オッペンハイマーという原爆に深く関わり、思い悩んだ者の視点から原爆の開発から使用までが描かれたからだろう。
「オッペンハイマーはこう感じていた。あなたはどう感じるか?」
そんな問いかけを、極上の映像と演出に乗せて絶えず投げかけられ続けている気分であった。

だからこそ、日本人であるならこの映画は見ておいた方が良いんじゃないか、と思う。

戦争や大量破壊兵器の開発に焦点を当てた本作を見て何も感じない人はいないとは思うが、中でも日本人は間違いなく大きく感情を揺さぶられる。
第二次世界大戦終結から80年が経とうとしている今、この映画を見ることはただ「面白い映画を見ること」以上の価値があると思う。

少し長いし難解ではあるが、それを加味しても間違いなくオススメできる作品なのは確かだ。
まだ見ていない方には是非見ていただきたい。



▲▲▲ここまでネタバレなし▲▲▲
▼▼▼ここからネタバレあり▼▼▼





野次馬根性

印象的なシーンは多かったが、その中でも『トリニティ実験』は別格だった。

ロスアラモスにおける研究の最終段階であり、世界初の核実験。
作中においても史実においても、極めて重要な位置づけとなる実験である。決行までの描かれ方がこの上なく丁寧で、映像も派手ということでこの映画最大の見せ場と言って差し支えないだろう。

アメリカの存亡を賭けたプロジェクトの大詰めということで、科学者の家族などの実験に直接関わらない者は皆、どこか浮足立っている。
観衆が一様にサングラスや遮光レンズを身に着け、爆発と真逆の方向を向いて寝転んでいるのはのが少し可笑しく感じてしまった。
彼らからすれば、「大事な家族が祖国・アメリカを勝利に導く新兵器を生み出す瞬間を目の当たりにできる」という一大イベントだったのだろう。

対照的に、実験を行う科学者サイドには強い緊張感があった。
絶対に失敗できないというプレッシャー、突然の悪天候、そして「一番低い確率」で起きる世界の破滅という可能性がそうさせていたのだろう。
基本的に視点がオッペンハイマー側で進んでいたこともあり、私も実験にまつわる一連の流れはドキドキしながら見守っていた。

そして、その緊張感は爆発で一気にカタルシスへと昇華された。
静寂の中放たれる強烈な光と炎。
立ち上るキノコ雲。
遅れてやってくる轟音と爆風。
文字通り「世界を変えた」強大な力に、否応なく目を奪われ心を揺さぶられてしまった。

この実験が成功した先に待っているのは、原爆の投下である。
そのことを認識しながらも、この実験の成功を、喜ぶ観衆のようにエンターテイメントとして楽しんでいる自分がいた。
我ながら嫌な野次馬根性ではあるが、一連の映像と演出は本当に圧巻だった。

広がる波紋

この映画は、水溜りに波紋が広がるシーンに始まり、湖に波紋が広がるシーンで終わった。
途中でも波紋のシーンがちょくちょく挟まれ、印象に強く残っている。

水面は恐らく、世界の情勢を表している。
何もなければ水平、即ち平和な状態を保つが、雫が落ちれば水面には波紋が生まれ、広がってゆく。
雫を爆弾もしくはそれに類する兵器に、波紋を戦火に喩えているのだろう。

作中、原爆が「連鎖的に爆発を起こし、世界を破壊する可能性が存在すること」に度々言及されつつも、しかし実際にはそのような現象は起きなかった。
計算ミスから導き出された言葉とも、一番低い確率とも表現されていたことなので、起きなかったこと自体は自然だろう。

だが、最後のシーンでオッペンハイマーは無数のミサイルと爆発、そして破壊される世界を幻視し、水面にも波紋が多数広がっていた。
「原爆そのものが連鎖爆発を起こして世界を破壊する」ことはなかったが、原爆の開発が水爆など次の兵器開発を誘発し、最終的に世界を破壊する可能性はある、という示唆だ。

まさしく「連鎖的な爆発による世界の破壊」だ。
幸いにも2024年現在で世界は形を保っている。
しかし、いつそれが崩れてもおかしくない───そんな危機感をノーランは、ひいてはアインシュタインと話していた時のオッペンハイマーは感じていたのだろう。

作中で兵器の脅威を鮮明に描いてきたからこそ、このラストシーンでは鳥肌が止まらなかった。
この映画で見せられたトリニティ実験の巨大な爆発、幼い頃から幾度となく聞かされ見せられてきた広島・長崎への原爆投下、今なお世界各国に広がる戦火……。
オッペンハイマーの生きた時代から今に至るまで、世界のどこかでは戦争が途絶えることなく行われている。
その事実に、兵器によって世界が破壊される未来を、鮮明かつ現実味を持って想像させられてしまう。
今まで見て来た映画の中で、ある意味最も絶望的なラストシーンだった。

締め

重ねてになるが、本当に面白い映画だった。
3時間があれだけ短く感じたのは『RRR』を初めて見たとき以来かもしれない。
この映画がちゃんと公開されたことが嬉しくて堪らない。

見ている間も、見終わってからも、本当に様々なことを考えさせられた。
幸いにも今の日本において「戦争」は日常から遠いものであるが、個人間での諍いは日常茶飯事だろう。
そうなった時、どう対処するのか?そもそもその諍いを回避することはできなかったのか?
そんなことをより深く考えるようになったことを感じている。

当たり前のことではあるが、小さくとも暴力は火種である。
自分の身近な世界に戦火を広げないことを、改めて意識したいと思う。

〈了〉


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