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神様はいないのか?

最近怪談にハマっています(笑)
幽霊とか、不思議な話がとても興味深いですし、見えないものの存在を感じます。

人によっては、怪しい?宗教?呪い?などのようなオカルトや宗教に偏ったり、妄想の世界と思う人も多いようです。

でも、私の感覚では、目に見えない電波や粒子の存在が科学的に認知されて教えられてるから、みんな信じていますが、どうやってスマホにデータを受信してるか目に見えるわけじゃないので、急に「存在を説明して」って言われたら困ると思います。
大体の人は「そういうもんなんです」ってことで納得してるはずです。

霊が見える・感じる、生まれ変わり、前世の記憶がある、神の存在、予知、他人とのシンクロ、超能力のようなもの、見えない何かからの啓示など、分からないことがまだたくさんあります。

それぞれの経験の有無や、能力はともかく、怪談を聞くと、人間がいかに生かされていて、奇跡的に生きているかを感じるような話が多々あります。
なので、日頃辛い思いで生きている人ほど怪談を聞いてほしいですね。

いろんな人の話がありますが、個人的にちゃんと解釈があって、あまり怖さも感じず安心して聞けるお勧めは、三木大雲さんの【怪談説法】というものです。

京都のお寺のお坊さんですが、ご本人自身が信じられない経験もされているし、怪談が仏教の考えに通じていて面白いです。

「神はいない」と子供に教えていいのか?

今、私が職場でも大っぴらに「怪談にハマってます」という話をしていて、たまたま話の流れで、「見えないものの存在はあると思う」という話をしていると
「うちは子供にも神様はいないって教えてる。願い事を神様にしても叶えてくれないから」
と40代の主婦の方に言われました。

きっと親の言うことは大きな影響になると思うので、それを言うのはどうなのかなと思いました。

日本は八百万の神がいる国で、自然だけでなく、物にも命が宿ると考えている人たちが居るのは日本くらいだと思います。

神社も仏閣もたくさんあるのに、「それらはただの飾りで文化でしか無いか?」と言われると疑問しかありません。

私から神の存在を説明しようとはしないことにしますが、一方で占いや風水というような、いわゆる「運」を信じる人たちは幽霊や神を信じる人より多いのでは無いかと思いますので、話は続きます。

運が良い、運が悪いの違い

よく「部屋はその人の心の中を映し出している」などと表現されることがあります。

知らない人もいるかもしれませんが、人の心が病むとゴミ屋敷になることがあったり、片付けようと思っても片付けられなくなったりします。

開運について語る占い師や一般的に成功者として思考法などについて話している方が言うには、
「運が良くなりたければ、断捨離しなさい」
と言っていることが多いです。

「物には気が宿るから、不要な物を貯めていると新しい気がやってこない」などと言われます。

また、気とは何かというと、それも不思議なものです。
住宅などの建物を扱う方はよく知っているかと思いますが、人が住まない家は急激に老朽化したり、傷んだりします。

しばらく家を離れて帰ってくると、誰もしばらく住んでなかった家は普段仕事に出掛けて帰ってくる時と雰囲気が違ったりします。

その原因は気の存在で、人間や生き物から発せられる気によって、建物の傷みが緩やかになってるのではとも言われていたりします。

運気は目に見えませんが、それでも信じる人は多い上に、実際、元気、病気、などの気を使って自分の状態すら表している日本人には日常のものです。

風水を普段から気にしている人は少ないかもしれませんが、建物は少なからず間取りなどの方位を気にして建てられていたり、それを無視して建てた建物では病気をしやすいとか、不運が起こるようなことも少なからずあります。

占いや風水なども統計的なもので、人によっては何も影響を受けない人もいるのだろうとは思いますが、一般的には何かしら影響を受けているので、ある程度一定の効果を生み出しているということです。

ちなみに京都も江戸も風水を元にして都や城とその周辺の地形を構成しているのが確かめられています。

生活において健康のためにと言いながら、太陽の陽を浴びたり、食べ物を食べたり、運動したり、寝たりというのも、気を取り込んだり、気を巡らせたりしているプロセスだと東洋医学的には考えられています。

だから元気がない人は、どこかで気を得られていない、気を吸い取られている、などの不調から起こっていると考えられています。

目に見えないものを信じない不都合はあるのか?

私はそもそも見えないものを昔から信じている傾向が強いので、全く目に見えないものを信じない人の気持ちはよく分からないです。

でも、もし、子供の頃に神はいないし、願いも叶わないなどと言われたら、めちゃくちゃ落ち込みませんか?笑

もはや「何のために生まれてきたん?」って思うわけですよね。

実際、私たちの願いは叶っていないのかというと、ほとんどのことは叶っていると思います。

叶っていないなら、よくも悪くも驚きの連続のような毎日を過ごさなくてはならないはずです。
ほとんどの人は、自分の無意識の望みが叶っていることに気づいていないと思います。

日本にいると、他国と比べても安全だし、自分のやりたいことを考えて実際に行動に起こせるような条件が整えられていたりしますから、神様はめちゃくちゃ居ると思うんですよ。

私の祖母が「ご先祖様に毎日感謝している」と言ってよく仏壇に手を合わせていました。

人間がいつからか生息し出したころから、何万人何億万人以上の先祖が私1人に対して存在していて、そういう人たちがいた上で、奇跡的に私という自我を持って生きている自分が存在しているだけでも、凄いことだと思います。

誰かが仕事をしたおかげで作られた食べ物、衣類、家、電気、水道諸々によって、自分が今生活出来ているのも何万人、何億人の人が基礎を作り、今も働いている人たちによって支えられています。

実際に今見えて居るのは、ただの自分のいつも通りの部屋かもしれませんが、その背景に先祖のようにいろんな人の手が支えてくれて居ると考えると、見えないものと言えど、それは確かに存在している(していた)と言えるはずです。

目に見えないものを信じないのは【個人の自由】だと思っていた節がありましたが、目に見えるものだけを信じていると「本質が見えない」と思うようになりました。

目に見えないものを信じないというのは、他人の感情や気持ちや意図を無視して生きるのと何ら変わりないことだと思います。

友達からプレゼントをもらった時に、それが自分にとって必要かどうかで判断するようなもので、もし、見えないものを意識する気持ちがあるなら、きっと友達が考えて選んでくれた気持ちも考えると思います。

自分にとって必要かどうかだけでしか判断しないということは、「自分だけが大事」な人がすることです。
みんな同じように先祖がいたり、同じようにたくさんの人の手に支えられて生きているので、俯瞰して大きな目で見れば条件はお互いに同じです。

それを勘違いして自分だけが大事だと思って過ごしていたら、その思考と現実には大きなズレが出来て、そのズレを戻すための試練のような物事が起こります。

運気を上げる上でも、他人から感謝される気持ちや喜んでもらえた気持ちは運気をあげてくれると考えられていますし、
オカルト的に言えば、生き霊が憑くと言われたりして、感謝や喜びで応援する生き霊もいれば、妬み、恨みから憑く生き霊もいます。

神という具体的な姿は私にも存在は分かりませんが、神がいないなら、私たちはどこに向かって生きるのでしょうか。

目に見えるものだけを信じるというのが、見えない感情や見えない存在を無視することだとしたら、私利私欲の損得感情でしか判断するものが無くなるように思います。
(極論になるかもしれませんが)

実際、そういう人たちが今はたくさんいて、目の前の損得ばかりに囚われて、見えないものを観じることが出来なくなりつつあるのかもしれません。

目に見えるものは、脳の顕在意識と潜在意識の割合などとリンクしてるとすれば、3%:97%の3%になると思います。
目に見えないものの方が明らかに多いはずです。

物質を保つにはまとまったエネルギーが必要だし、実際に存在してても肉眼では見えない物もたくさんあり、人の思いなどは物理的限界が無いので更に果てしないと思います。

宗教的な神については差し挟む気はありません。
しかし、この世の中には見えない力がずっと働き続けていて、そういうものを気や運や、究極的に分からない不思議な強い力を神と昔の人たちは表現し、その存在はあると私は考えています。

小話

占い師の方が
「私はいつになったら幸せになれますか?」と相談しに来る人がすごく増える時期に差し掛かると、大きな天災が起こると話されていました。

何かのタイミングで天災は起こるんだろうと思っていましたが、今ある物に対する感謝を人が忘れた頃に大きな地震やコロナのような厄災があるのだろうなと思ったこの頃です。


私は親に対しての不満は色々ありましたけど、今までで1番親に感謝したことは言葉遣いを注意されたことです。

小さい頃は、今みたいに関西弁ではなくて、標準語どころか「見てごらん。あれが〇〇よ」と祖母にバスの中で話しかけていたようで、「言葉が綺麗過ぎて、どちらのお嬢さんですか?」と他の乗客に言われていたそうです。(そのまま生きていたら、浮いてたでしょうけど)
それくらい親は言葉遣いに気を配っていたんでしょうね…。

疲れた、最悪、しんどい、もういい、無理、別に、ダメ、終わり、などの言葉を使うと怒られてました。
「○ね」「○す」みたいな言葉は使ってませんでしたが、言葉には言霊が宿ると親に言われてきたのは間違いでは無いなと思います。

最悪は災厄と音も似ていて、気軽に使って良い言葉では無いと話している方もいます。
疲れる=憑かれるだとかもあります。

無理という言葉も「自分の可能性や思考を止めてしまう言葉なので使うなよ」と言われていましたが、本当に言葉は大事に使ってほしいと思います。
今親はその注意した理由をそのまま言ってくれるのか定かではありませんが…。

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