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初めてのことを、してみる。|1|ヒプノセラピー

初めてのこと、一つ目は「ヒプノセラピー」について。

「ヒプノセラピー」とは…
主に、催眠と暗示、そして、イメージを用いて、人の潜在意識にダイレクトにコミュニケーションを取ることで、心に肯定的な変化を促すことができるセラピーテクニックのこと。

これからきっと、いろんな長さや深さや重さやトーンのnoteが混在してくるだろうけど、これはかなり長くて内面的なやつ。ちょっと、書いてみます。

(これについては、書くことで誰かのためになったらいいな、という思いもかなりあります。気になった方、悩みが極まったときの選択肢にしていただけたら幸いです。)

(でもスピリチュアルなのはちょっと…という方もいるかもしれません、私の夫のように 笑。 そういう方はスルーしてくださいね。)

なぜヒプノセラピーだったのか

ある友達がヒプノで人生が変わったのを見た。離婚から再婚、引越しと、あれよあれよという間にステージが移っていた。そのスピード感に惹かれた。彼女のことをよく知っていたので、それならきっと本物だろう、と。

そのセラピストは千葉でも指折りの占い師(青木レイノさん)だった。前にご縁で一度タロットで観ていただいたことがあって、それから彼女とはなんとなくフェイスブックでつながっていた。

「お弟子さんのモニター募集」

と出ていた。迷いなくメッセンジャーで申し込んだ。

タロットでヒプノセラピーのお題が導き出された

レイノさんのセラピールームは、木更津にあるアパートの一室だった。お天気のよい日で、光が燦々と部屋の中に満ちていた。物がたくさんあるのに、すっきりとした軽い空気感。よく見ると、一つ一つがとてもポジティブなメッセージを発していた。

お弟子さんのノンちゃんは、私より少し年下という感じの可愛らしい女性。今度台湾にお引越しするんだとか、子どもがお互い同じくらいとか、ノンちゃんはすごく緊張しやすくてとか、いろいろ話しているとだんだん親近感がわいてくる。

「で、今なにか悩んでることはある?」

レイノさんが唐突に、でも自然な流れで聞いてきた。

「うーん。」

というジェスチャーを一応はしてみたものの、私の中ではっきり答えは決まっていた。

「なんだか自分が手がけていることが多すぎて、とっ散らかっていて、混乱しています。」

要は、「本当は何がしたいのかわからない」ということ。

それを受けて、ノンちゃんがタロットを引いた。デビルとか棒とか、女の人とかいろんな絵柄のカードが出た。(レイノさんはそのタロットの並びをふむふむと見ていて「なんだか可愛いー!」と言った。並びで受ける印象があるんだそうだ)

それで過去と現在と魂レベルのことを読み解くんだけど、その細かい内容は端折る。

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結局、私の一見自由そうに見えて、実は社会的・常識的に「かっちり」しているところは、実の父からの影響が大きいかも、それがしたいことをさせるのを阻んでいるのかも、ということで、ヒプノセラピーのテーマは「インナーチャイルド(幼少期の自分)癒し」、対話の相手は「父」と決まった。
(人によっては、過去生や未来生というテーマになったりもするらしい)

イメージと潜在意識の世界。セラピータイム!

セラピー用の部屋のベッドに仰向けに横たわる。ノンちゃんが音叉(写真のような金属の棒。鳴らすことで、肉体の外側にあるスピリチュアルな領域に影響するらしい)を一種類ずつ鳴らし、私にとって気持ち良い音叉の響きを二つ探す。

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これが不思議で、音叉によって「いつまでも聴いていたい」というほど心地よい音色と、「もう止めてー!」と苦痛に感じるほど嫌な音色がある。それは単に音の高低ではなかった。言葉で説明できない類の理由。

私が選んだ組み合わせは、「魂の目的を助ける」?だったかな。その二つが重なる音色が、セラピーの間の折々で「チーン」と鳴らされる。

ノンちゃんの声の誘導が入る。

いろんなイメージを探検。1,2,3で場面がまた変わる。森の中の道を歩いていく(トップの写真みたいなところ)。家がある。中に子どもがいる。

それが小さい頃のわたし。もう、会ったときから泣けてしまった。

子どもの私は、ちょっとビクビクしていた。心の内を、あまり誰にも話したことがないようだった。でも、したいことや好奇心にあふれていた。

そこから今度はお父さんと出会い、「子どもの私がしてほしいことをなんでもしてもらう」んだけど、ま〜いろんな遊びをした!すっごく嬉しかった。

子どものころ、土日休みもなく働いていたお父さん(仕事は中学校教諭)とは、一緒に遊んだ記憶がほとんどない。怖かったのだけは、よく覚えている。

"私は、お父さんといっぱい遊びたかったんだな。"

特に何ということはない。お父さんと同じ景色を見て、同じ時間を共有したかった。ちょっとしたことを話したり、くだらないことで笑ったり、同じものを食べたり、要はコミュニケーションがしたかった。

それでイメージの中では、旅に出たり登山したりお蕎麦を食べたり海に潜ったり、大満足して帰宅。そして現実の世界へも帰ってくる。セラピー終了。

で、ヒプノセラピーとはなんだったのか

モニターだったので、終わったあとに感想文を書いた。それがこちら。(長文)

最初の誘導のときに「自動車の音もエアコンもすべてリラックスへと導いてくれます」というのが、どストライクでした。これで疑いがきっぱりなくなり、信用できました。
〇〇じゃなきゃ、という正解が一つ、入り口が一つ、というのは、それ以外を除外していきますよね。そういう選民思想的な地平を超えている。プロセス、起こることの全てを信頼している。
そのスタンスが嬉しかったです。私はこのへんで、「ヒプノ中に起きていることへの疑いを持たない」と、自分で、あるいは何かの助けによって、決心しました。
(あれ、足が全然あったかくならないぞ、まいっか。レイノさんが「インチャが目の前にどんと現れる」といったけど、それよりはインチャと私の二人ともをすーっと俯瞰してみてるような感じだぞ、まいっか。というふうに)
昔体験したヒプノ。それととても違ったのは、「頭が完全に冴えていた」ことです。
前のときは、なんというか…「冴えてない」「トランス的な」状態だった、というかそういう状態を目指してしまっていたんです。私の思い込みがそうさせたのか、あるいは施術者がそうもっていったのかはわからないんですが。
だから、プロセスが、起きたことが、信じられなかった。ある程度の納得「救われた感」はあったけれど、どこか嘘っぽかった。知ってる知識をつなぎ合わせただけ、みたいな感じがあって。
(思い出したんですが、過去生をいくつもいくつも翻っていくやつだった。インディアンとか。惑星の外にもいった)
冴えているのはよいことなのかな?正しいハマり方?
それはわからないですが、私の中での納得感がすごいです!!
タロットについて。あんなにたくさんカードを使って読み込んでくれて、ありがたかった!
悩みのトーク➖タロット➖ヒプノ
という流れの必然性が感じられました。なんとなくヒプノならインチャ関係かしら、と思っていたのが、そうと決めてもらうと、やはりね!という納得感とさぁいくぞ!というやる気(笑)になりました。
私に関しては、もういろいろ受け入れて生きていきます。やりたいことほんとにたくさんあるんだもんね〜。
確かに、私はしたいことがいっぱいあるタイプで、その選択をしてきたな、と思う場面がいろいろ思いつきます。人生の項目が多いと思う。
(たとえば、子育てに関しても、男の子と女の子両方育ててみたい!からどっちも来た)
「好奇心」というワードが気になります。これが私をいつも突き動かすのだ。
「真面目に、一つのことに集中して、何かを成し遂げる」美徳は、お父さんや社会から受け継いだものかもしれない。
でも、楽しいか?私は辛かったー。たとえばピアノの練習、浪人時代の受験勉強、大学の卒論、修論、仕事の大きなイベント…。
フロー感はあったし、成長している感覚、できたときの達成感はあった。
でもそこにはいつも人の目が、客観的な自分の目があった。「本当にそれでいいのか?」と。それを満足させるために努力した。
自分がすごく楽しい…かは置き去り。自分が本当の意味で自分を喜ばせるためのことを、あまりしてこなかったかな。
本当に楽しいことなら、努力必要ないもんね。娘には(息子は大丈夫な感じがする)そのセンスを磨いて欲しいと思う。楽しいことをしていくセンス。
「私が親にあまり遊んでもらわなかった。そのことを子どもたちにもしてるかも。だからいっぱい遊んであげたい!」
と思って、娘に寝る前にその話をした。そして「ママが遊んでくれなくて、寂しいと思ったことあった?」ときくと、答えは「ぜ〜んぜん!」だって!笑
へっ、と拍子抜け。なーんだ。
でも、私は夫が子どもたちと思いっきりあそんでいるのを見るのがとってもとっても好きだ。
幸せを感じる。夫を通して、私の中のインチャが喜んでいる。

「本当にしたいことを知りたい」という動機で始まったヒプノセラピーの旅。でもその実は、「好きなことやものを見つける」ためにではなく、「自分はこうである」という気質に出会うためのものだと思った。言ってみれば、"DO"=あなたは何をするのか、ではなくて、"BE"=あなたはどんな人なのか、を探る旅。

子どものころの答えがそのまま答えではもちろんないだろう。でも、意外に自分を作っている「気質」は変わらないんだよな、と気づかされた。大人になるにつれて、いろいろ大切そうに見えるものを身につけては来たけれど、それが自分の生にいまどれだけの充足感を与えているか?むしろ、「ない」を探して、じゃあこうなりましょう、こうすべき、と「欠落」の方面から学んで来たことが多い気がする(世代にもよるかも!)。それだとまた、今度はこっちが足りない、と事柄を変えて同じループに入っていくだろう。それを続けるのって…辛くないか?

「初めてのことを、してみる。」この世界の、体験を綴る。

自分の気質に素直に、好奇心全開で生きていこうと決めた(|0|自己紹介)。そうしたら、もともと書くことが好きで、自己表現の手段だったから、これを記録していこう、それで最後に本を出したい、という流れでここへ辿りついた。

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初回、長文になりました。以降はこういう自己開示的・自己啓発的なテーマというよりは、ただただ世界の美しさと楽しさを感じて、綴っていくつもりです。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!



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