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初めてのことを、してみる。|6|桜の塩漬け

桜への想いが募って止まらない。日本人のDNAに刻まれた衝動か、美しいものへのシンプルな憧れか。あるいは、昨年は台風で大変な目に遭ったからそれを乗り越えて咲く姿に共感するのかもしれない、雪国の人が春の歓びと桜を重ねるように。

2020年の春。コロナウィルスによる外出自粛の世相の中でも、田舎住まいであるのを良いことに桜をこっそり追いかけている。

その日は朝からワクワクが止まらなかった。

「子どもたちと一日みっちり、桜を追いかける旅」。

極力人に接しないように、お弁当やおやつも持参で。5ナンバーだが7人乗りの愛車に、我が子二人と、子ども椅子をつけた二人乗りの自転車と、去年のクリスマスに祖父母が買ってくれた補助輪付きの自転車を積み込んだ。

本当は自転車で神社などぐるっとツーリングしようかと思ってたんだけど、娘が途中で自転車ごと転んで完全にテンションが落ち、海の方へ引き返して小一時間遊び、桜のスポットは車で主に巡ることに。

ああ。なんて幸せ。

桜の美しさだけで世界は完璧なのに、その風景の中で無邪気に遊ぶ子どもたち。サクラきれいだね〜と何度も言い合い、何度もヨーイドンして走り、虫がいればしゃがんで見つめ、テントウムシとじゃれあい(アブラムシを食べさせようとがんばったり 笑)、広いところではゴロンと横になり。

私も確かにその場面を一緒に体験しているんだけど、ふうっとそれを見ている視点になることがある。そこでは風でたわわの桜が揺れ、花びらが宙を舞い、子どもと私が一生懸命遊んでいる。

その刹那。桜に無常を見て、儚さと重ねた日本人の生死観とつながる。

今この瞬間はもう二度と戻らない。子育ての今このときは、こんなに可愛い頃は…という漠然とした「とき」のことではなくて。今ここで、こんなにも美しく愛おしく子を思っている「いま」のこと。子を、ということもない。なんなら美しくとか愛おしさすらもない。すべては変わる。立ち上がってくる風景のどれもが特別で、移ろうもので、奇跡に等しく成り立っている「いま」。

桜の塩漬けを作ってみた。これはある意味「禁断」だ。無常の自然を留めて保存しようというのだから。これは豚の油にしみこませることでなんとか薔薇の香りを閉じ込めようとした昔の人の動機に似ている。

うまくできるかな。できたら子どもと桜のパンでも焼こうかな。その香りを嗅いだら私はふうっとその日のことを思い出すんだろう。その完璧だった一日のことを。桜の下で子どもたちと過ごした、あの永遠のような刹那のことを。

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