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初めてのことを、してみる。|15|流産②

※私は現在44歳で、二児(8歳の娘と5歳の息子)を自然妊娠・自然分娩で産んでいます。このnoteは44歳で第三子を自然妊娠して、約8週で流産した体験を綴ったものです。読んで辛くなる方もいらっしゃるかも知れないと思い、最初に一言記させていただきます。
※なお、タイトルは「初めてのことを、してみる」としていますが、もちろん流産を狙ったわけではないです。そういう視点で人生を生きることを捉えて、書き溜めています。


(①からの続き)

夜、普通に過ごしていたら突然訪れた生理みたいな感触で何か出た、と思った。トイレで確認すると、茶色っぽい血が出ていた。匂いがちょっと変わっていた。血とも違うし、何か内臓ぽいというか不思議な匂い。前回の検診で、子宮の中に血瘤のようなものがあり、その血が出てくるかもしれないし、もしかしたらそのまま子宮の中で消えてしまうかも知れないと先生から聞いていた。ネットで調べてみると、茶色っぽい血は"危険度が低い"とのことだったし、明日の検診の時に聞いてみよう、と思ってその日はナプキンを当てて寝た。

翌朝、血は少しだけどまた出ていた。少し色が赤くなった。何となくお腹もズーンと重い気がする。午後からの診察だったけど、ちょっと心配になったので、産院に電話して午前中に変更してもらった。予約の方が優先なので待ちますよ、と言われていたので、携帯の会計アプリで仕事のレシートの整理をしたりして気長に待っていた。

程なくして名前が呼ばれ、診察室に入る。先生に、昨日から出血があって、でも量は少ないんですけど、お腹もちょっと痛くて、と伝える。じゃあ診てみましょうということで、内診台に上がった瞬間、ブワッと大量の血が出たのがわかった。え、と戸惑った。これ何?頭の中が???だった。先生と看護師さんは冷静に、あ、血出ちゃいましたね、ちょっと待ってくださいね。大丈夫ですよ。と、一枚布を挟んだ向こうで、出た血を何かの機器で吸ったり当て布をしたりしてくれていたようだった。

エコーの画面が映る。白と黒の中に、黒い丸が大きく映り、そこに前に見たよりも一回り大きくなった赤ちゃんが映し出された。「わぁ〜すごい大きくなった!」うわずった声で思わず口に出していた。すると先生が言った。

「あぁ、赤ちゃん、心拍が見えないですね」

え?

「このくらい大きくなるとしっかり心臓が動くのが見えるはずなんですけど、残念ながら動いているのが確認できないです」

頭の中が真っ白だった。何かの間違いだろう、と思った。先生、もっとちゃんとよく見てください。本当は動いてるんじゃないんですか。それかこれ夢かな?ちょっと時間巻き戻したらまた赤ちゃんが元気に…。

パニック状態でやっと着替えて、先生のお話を聞く。40代はやはり流産の確率が高いこと、受精した瞬間に染色体が正常かどうかで運命が決まっているのでお母さんのせいでは全くないということ。そしてこの後、赤ちゃんがどうやって出てくるか、自然排出と手術という方法があって…赤ちゃんは出てきたら包んで次の時に持ってきてください。もしトイレで流れてしまったらそのまま流してしまっていいですので…

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産院の待合室の雰囲気は、いつも慣れない。大きいお腹の女性もいれば、神妙な顔つきで寄り添っている男女もいる。20歳前後と思われる若い子もいれば、婦人科のメニューもあるここにはプラセンタとかの注射で元気と美容を求めるご婦人たちの姿もたくさんある。それぞれの背中に連なっているであろうストーリーの存在を何となく包み込みながら、みんな妊娠出産という大イベントを前提にここに無言で集っている。

赤ちゃんが亡くなり、その子をまだお腹に留めている私が、産院の待合室の椅子に座っている。臨月のようなお母さんや、小さい子を連れて何ヶ月検診かで待っているお母さんを見ては、涙が出た。そして同時に気づいたのだ。ここにかつていた"妊婦の私"をこういう気持ちで見ていた人の存在に。あまりにも順調な二人の子の出産で、流産や不妊と無縁だった自分には、気づくことも想像することもできなかった。ごめんなさい、ごめんなさい、と心の中で思って色々なごちゃごちゃで泣いた。

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産院を出て、海を目指した。その日は大風で、群青色の空と海に、白い波の飛沫が賑やかに舞っていた。それを車の窓越しに見ながら、まず一日中仕事が入っていた夫にLINEで伝え、次に秋田の実家の母に電話をした。母の声を聞いたらやっぱりほっとした。母は妊娠の時も流産の時も、年齢がどうとかこうすべきとかの忠告めいたことを一切言わない。ただ手放しに喜んで、ひたすらに悲しみに寄り添ってくれた。父はその後、赤ちゃんは「母体を守るためにそうしてくれたんだな」と母に言っていたらしい。さすがの両親。大好きで有り難すぎる。

お昼ごはんは、朝の思いつきで熱湯とカップラーメンを持ってきていたので車で食べて、なんの引け目もなくこういうの食べられるな、と思った。そうだ、明日の仕事の買い物しにいかねば。全くそういう気分ではなかったけれど、心も足取りもふらふらな状態で車をお店へ走らせた。

お店のトイレに行った。びっくりするほどたくさんの血がドッと出た。自動フラッシュ機能のないトイレで助かった。洋式のトイレで自分の股の間から便器の中に残っている血を掬って赤ちゃんを探した。きっとたった2センチくらいの赤ちゃん。魚の血あいのような塊や長ーい線みたいな血の塊をグニュっと掴んでは、異物っぽいものの存在を指で少しずつ掻き分けて探す。よくわからない。手は事件現場みたいに血だらけ。便器やその周りが返り血で大変なことになった。元の状態に拭き上げるのに時間がかかった。幸い空いたトイレで、事の始終を誰も来ない中で完遂することができた。私はここのトイレを利用させてもらうたびに、手を真っ赤に染めたこの日のことを思い出すんだろう。

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その日の夕方から夜にかけて、血は出続けて、お腹が生理痛の最も重い時を優に超えるほど傷んだ。最後に何かずるっと、血というより赤い膜のような10センチくらいの固体が出てきた。それが出てしまったら、痛みも血もすっかり引いた。(※)気持ちが落ち着かないので、子どもも夫も寝てしまった後で、映画を観た。命をどう捉えるかという重たいテーマの日本の映画。登場するその家族たちと一緒にたくさん泣いたら、妙にスッキリしてしまった。世の中にはいろんな家族の形がある。そのどれもが尊くて、奇跡。

(※出てきたのはたぶん胎嚢で、赤ちゃんを包んでいた膜。これを先生は「持ってきてください」と言ったらしい。この検査をして、流産の原因や病気がないかなど調べられたらしい。先生の話が上の空でこのとき全然思い出せなかった)

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娘と息子に伝えたのは、その日の夕飯の前。二人を私の隣に座らせて、夫も二人の隣に来て、お話しした。赤ちゃん、お空に帰っていっちゃった、と。そのお話をしている間、彼らが示したのは、今まで見たことがない姿だった。8歳の娘はずっと静かに無表情に固まっていた。5歳の息子は目をギュッと固くつぶって私のお腹に抱きついていつまでも離れなかった。二人とも「やだ!」でも「楽しみしてたのに」でもなく、ただ自分の悲しみと、おそらくは私の悲しみを、小さな体で精一杯抱きしめて耐えていた。その姿が切なくて愛おしくて涙が出た。家族でひとしきり抱き合って、久しぶりに私がちゃんと作った夕飯を囲んだ。玄米ご飯と豚バラ煮とひじきの煮付けとパパイヤサラダと味噌汁。それまでは夕方になるとつわりで気持ち悪くて何もせず寝込みたくなったのだけど、その日は不思議とお腹が空いていて、美味しいものを丁寧に作って家族で食べたいと思い立ったのだった。食べ終わると、息子はすぐにゴロンとその場で寝て(通常通り7時就寝 笑)、娘はいつものように工作に励んでいた。切り替えが早いのは、我が家の特長、特技とすら言えるかもしれない。

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翌朝は太陽の光がすでに眩しいほどの快晴。息子はいつものようにフル充電で起床&いつも通り野球の自主練を始めたが 笑、私もびっくりするほどに体調が良かった。娘のいつものスクールバスはやり過ごして、学校の始まる前に家族で神社へお参りに行った。

お社までの階段の落ち葉をひたすらスギの枝で払う息子。歌を口ずさんで階段を登っていく娘。夫氏は何やら携帯をいじっている。何だかな〜と思いつつ、お社の前でみんなで手を合わせた。「赤ちゃん、私たちのところへ来てくれてありがとうございました!!」。御神木に赤ちゃんが乗っかっているように思えたのは気のせいか。あちらにも、こちらにも、光の中にも、赤ちゃんがいる。こんな私たちを見つけて、ここを選んできてくれたんだよね。お疲れさま。ありがとう。これからも、どうか見守ってください。

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以上が私の流産の体験の顛末です。長文読んでくださりありがとうございました。
誰かに何かを…という目的は全くなくて、自分のための記録を細々と書きました。自分の人生にとって、大切な1ページだと思ったので。

その中で、これだけは本当に強く感じたこと。
命って、本当に奇跡。
今ある家族は、たった一つの受精卵からもたらされた命が育ってできた形で、その前にはきっといくつもの生まれては消えするドラマがあったのだと。そしてそれは自分の親もそのまた親も同じで…ってもうここにいることが奇跡の連続の最前線でしかないのだと。
大切にしないと。家族も、自分も、そして何十何百何千というドラマをお互いに経て今出会えているどんな「あなた」との出会いも。

この体験が教えてくれたのは、同時に、人の温かさでした。
一緒に歓喜し、一緒に泣いて悲しんでくれた友達たち。
流産直後の私を夢の中で抱きしめていた、という人。
妊娠を伝えると喜び勇んで(?)お祝いの席を設けようとしてくれたガイド仲間のみんな。
「お腹に赤ちゃんいるんでしょ〜」と優しく接してくれた森のようちえんの子どもたち。
ネガティブな言葉を何一つ発さずに妊娠から流産まで相談に乗ってくれた助産師の雄子さん。

自分にとっての大事な局面の時、相手の心の様に敏感になるし、もっと言うと「その人が自分をどう思っているか」が如実に分かる。私が伝えた人たちは本当にみんな温かかった。それが自分は幸せ者だなぁと再認識させてくれたのでした。みんなほんとにありがとう。

今、私はとてもすっきりした気持ちでこれを書いています。
今日の検診で、空っぽになったエコーの映像を見ました。赤ちゃんの不在。心にもぽっかり空いた、赤ちゃんのためのスペース。ここにいて欲しかったな、会いたかったな、と感傷的になったりもするけれど。
体は過去例を見ないくらいすっきりしていて、「出産は女性の最大のデトックス」ということも、リアルに感じています。

正直言うと、「母」をもう一度する覚悟ができていたところ、また「私」に戻ってきた感覚があり、それに内心ホッとしているところもあります。
母になる女性のすごさ…妊娠して自分の体を変えて、精神のモードをも変えて、全力でお腹の子を育もうとする。それは幸せなことではあるけれど、一方で「私」を明け渡していく行為のようにも思います。第一子の娘を出産後、一生懸命赤ちゃんと子育てと向き合っていたら、ある時「私って何だっけ?」と自分が感じられなくなっていたことを思い出しました。自分という存在のほとんどを子どもに注いでいた。今ならきっとあの頃より余裕を持って赤ちゃんと接したり、周囲に頼ったり、バランスをとっていけると思うけれど、今回の短い妊娠期間でも「確実に」子どもに少しずつ"幸せな乗っ取り"をされている感覚がありました。
ほんと全お母さんたち、お疲れさまです!みんなと乾杯とハグをしたい気持ちです。

さあ、今日も新しい日。
大切なものを大切に、また進もう。

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