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初めてのことを、してみる。|14|流産①

※私は現在44歳で、二児(8歳の娘と5歳の息子)を自然妊娠・自然分娩で産んでいます。このnoteは44歳で第三子を自然妊娠して、約8週で流産した体験を綴ったものです。読んで辛くなる方もいらっしゃるかも知れないと思い、最初に一言記させていただきます。
※なお、タイトルは「初めてのことを、してみる」としていますが、もちろん流産を狙ったわけではないです。そういう視点で人生を生きることを捉えて、書き溜めています。


驚いた。色々奇跡みたいな妊娠だった。
1年前から進めてきた全国規模の二泊三日のフォーラムを全身全霊で終えた翌日、雷に打たれたように「三人目の赤ちゃんが欲しい」と思った。それを夫に言ったらそれはびっくりしていた。二人とも子どもは大好きだけど、私の年齢もあるし今年夫婦で起業したばかりで(その話もnoteにいつか)収入も安定しないし、三人目はないね、とずっと了解していたのに。
きっと子どもの育ちを考えるようなフォーラムだったから、そのテンションが続いてるのかも、あと一週間くらいして冷静になってからまた話そうか、とその場は収まったのだった。

そして翌日。私はフォーラムの余韻で頭がちっとも静まらなく、なかなか寝付けなかった。夜に家族が寝静まってから「高齢出産 妊娠」とかでネット検索していた時、ふとそう言えば生理来てないな、と思った。大昔の妊娠検査薬が一本余っていたような…とそれを見たら期限がちょっと過ぎていた。もったいないし試しにやってみようか、軽い気持ちだった。そしたら、見事に綺麗なブルーの線が2本、ぴかーんと現れた。あれ、線あるのってなんだっけ?陽性?「え。え。えぇ〜?!」思わずトイレで叫んだ。2階で寝ている夫のところへ走って、揺り起こす。
「大変。妊娠した!」
夫は目の開かない寝ぼけ顔で、「え、どゆこと?いつ?昨日?」と訳のわからないことを言っていたが(笑)、大まかに説明して、明日産婦人科へ行ってくるよ、と伝えた。

驚いた。そんなこともあるんだ。
「40代になると自然妊娠の確率はどんどん下がっていきます」
そんな記事を読んで、そうか結構厳しいのかもな〜と思った数時間後の出来事。今の二人の子どもに関しては、"良いお産"の典型と言って良さそうなほど、妊娠から出産まで何のトラブルもなかった。二人とも助産院で産み、家族で出産に立ち会え、本当に幸せなお産だった。44歳の今から妊活したとして、出産は45歳になるだろう。私も子どもも無事に済むのかな…とちょっと弱気になっていたところに、天に「赤ちゃん欲しいです♪」とオーダーした翌日に届いたスペシャルギフト。スピリチュアル過ぎて笑った。

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翌日の午前中、私も運転する車も地上から10センチくらい浮いてるようなふわふわ感で産院へ。
「妊娠してますね。おめでとうございます」
娘と息子の出産でもお会いした先生がエコーを見て言った。その時の高揚感と言ったら。なんと表現したらいいんだろう。舞台の幕がぱあっと開いたら、そこは全面輝くお花畑だったみたいな?上手い言葉がなかなか見つからないけれど、赤ちゃんを望む女性のこの瞬間の幸せって、天にも昇るというくらい、すごいんだよね。
そこに先生が続ける。

「とは言え、40代の女性の妊娠が上手く進む確率は50%です。こればっかりは自然に任せるしかないです。この後ちゃんと育ってるか確認できたら、予定日を決定しましょう」

50%。その確率をへぇ〜と人ごとのように聞いていた。心の中で、私は何となく大丈夫だろうと思っていた。体力には自信があったし、あんなに大変だったフォーラムを乗り越え、その二週間前には友達親子と音楽フェス(朝霧JAM)でキャンプしてビールを大量に飲んで、そんな体験を一緒に越えた子だもの、絶対大丈夫。それでその日のうちに、あまりにも嬉しくて大好きな友達たちに伝えた。みんなの驚き方と喜び方がさらに妊娠の事実を嬉しく感じさせてくれた。お腹に触れるたびに幸せな気持ちが溢れた。

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今思えば、まだ6週くらいの段階だったし、もうちょっと慎重になった方が良かったのかも知れないけど、仕事などで関わる人や飲み会シーズンに入ってきたこともあり、親族はじめ少しずつ周囲に伝え始めていた。そして、二人の愛する子どもたちにも。夕ご飯の前に、ちょっとお話があるよ、と言って。

「ママのお腹に赤ちゃんが来ました。YちゃんとG君は、お姉ちゃんとお兄ちゃんになるよ」

娘:「え〜〜〜〜〜!!!!!」
息子:「(口をあんぐり開けて目を丸くして)・・・。」

この様子は動画で撮ったので、子どもたち、大きくなったら見てね(笑)。とにかくその日から、子どもたちは毎日私のお腹に触って話しかけていた。

娘:「女の子だといいな〜。絶対かわいいよね〜。早く会いたいな〜。私お世話する〜!お名前何にする〜?」
息子:「このお部屋にはね〜今3人います!ママと〜G(自分のこと)と〜赤ちゃん♡」

二人とも、それぞれの個性で赤ちゃんのことを大事に想い、楽しみにしていた。もちろん夫も。「あの小さい子がいる生活がまたやってくるのか〜」と目を細めていた。ほんとそうだね。大変だけど希望しかないような、瞬きをする間にすぎる乳児期。赤ちゃん早く会いたいな。マタニティライフをすっ飛ばして、もう明日にでも会いたいよ(笑)。

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仕事の方は、起業一年目にして、早くも二年目の計画変更を余儀なくされた。順調に行くと出産は6月だから、超繁忙期の夏は私抜きで回さなければいけない。人を雇うとか、他の事業を始めるとか、とにかく「拡大」せざるを得ない。それはそれでワクワクする展開だった。来年度のミーティングも重ねて、大体の計画ができてきた。

しかしこのタイミングを読んでくる感じといい、すごい赤ちゃんだろうなという予感があった。夏に入ってしまうと、夫が出産に立ち会えないのは確実だし、6月出産ならギリギリ私も繁忙期の事務をサポートできるもんね。お腹の中の感じは、超穏やかな菩薩のような波動の女の子。上の娘の時は、もうちょっと"個"の感じがしたけど、この子は個を超えた"空"みたいな感じがする。もしかしたらあの頃より少し成長した私のモードのことなのかも知れないけど。

この菩薩みたいな子と一緒に景色を見て、ご飯を食べて(食べたいものをはっきり主張してきた)、音楽を聴いて(これも好みがはっきり。攻撃的な男子アーティストの音楽は具合が悪くなった)、話しかけながら寝た。もう私だけの体でない私&赤ちゃんを思いきり労った。そうやって「自分」を大切にしていると心は驚くほど穏やかだった。見える世界も平和だった。

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そうしてお腹の子と暮らした一週間後、今度は夫と一緒に産院へ行った。
内診台に上がり、再びエコー。赤ちゃんは頭の形がわかるくらい大きくなっていた。夫が隣にきて、一緒に心拍が元気に動いているのを見てその音を聞いた。わぁ…と嬉しいため息が出た。まだ予定日が決まるほど大きくないので、来週また来てください、とのこと。

その帰り道は夫とカフェでご飯しながら、この子が小学校に入る頃は私は50歳だね!とか、名前はどうしようねとか、そんな話をしていた。名前に関しては、女の子という線で、上の娘が花の名前なので、家族で植物図鑑を眺めてこれはどう?と候補を話したりもした。それで結局、花ではないけど家族で納得した名前の音が何となく決まって、あとは漢字はどうしようかまで話し始めていた。

その数日後。産院の診察の日の前日、ちょっと変な血が出た。

(②へ続く)



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