初めてのことを、してみる。|3|卒乳
なんてこった。「おっぱい」がやめられなかったのは私だったなんて。2歳になりたての息子が、卒乳した。それもすんなりと、極めてあっさりと。
上の娘のときは、ちょうど1歳の頃に私の仕事復帰が決まっていたから、卒乳は半ば無理やりだった。泣きわめく娘をおっぱいから引き離して、夫が夜中に何度も抱っこしてあやして…という、典型的な“がんばった”卒乳。断乳、という感じ。
そのことに引け目があった。周囲では「卒乳の時期は子どもが決めるよね」「おっぱいに満足しないまま卒乳すると、大人になってから性欲が歪む」とか、いつやめるかに関する様々な情報もあり、二人目は気の済むまでおっぱいしよう、と決めていたのだった。
二人目は男の子。4000kg超えで生まれて、おっぱいもよく飲むし、ご飯もよく食べる。夫にとてもよく似ている、というか瓜二つ。まだ1歳やそこらの頃から、フェイスブックの顔認証で何度も「夫」とされる。笑うと目尻がくーっと下がるのが可愛い。
そんな息子は公立の保育園に通っていた。今年度から新設された子ども園で、「ロ」の字型にきちっと建てられた園舎の真ん中に広い園庭がある。土なのか砂なのかわからない不思議な素材の大地(おそらく汚れが落ちやすいのを選んでいるのではないかと思っている)。一言で言うなら、「クリーン」なところ。人間以外の虫などの生命はいったい何体いるのだろうか?と思ってしまう。息子はあまり保育園が好きではない。
1月に入ってから、息子のウンチがゆるくなった。硬さは泥くらいで、時には水っぽい便の時もあった。とは言え、当の本人は変わらず元気。最初は胃腸炎かと思って、病院を受診して検査もしてもらったけれど、異常はどこにも見当たらない。
保育園は「水様便は完全にNG」というしきたりらしく、少しでもゆるいと「お迎え」の電話が来る。胃腸炎疑惑の日から少し休ませて、それから朝連れていっても昼前には「水様便出ちゃいました」という電話が来て返される日々が半月ほど続き、私はほとほと疲れていた。先生の前で逆ギレして申し訳なかったこともしばしば…。
万策尽き果て、腹を決めた。「おっぱいをやめてみよう」。なんだか、そうするしかない気がした。
鬼作戦でいく。息子に見つからないようにお風呂場に鍵をかけて、上半身だけパジャマを脱いでマジックを手にぐりぐり描き始める。鬼…なまはげでいっか?出来栄えは上から見たり鏡で確認したりしてチェック。おっぱいは、乳首も含めて凹凸があって書きづらいという発見があった。怖さが足りないと判断し、鬼の目を豪快に吊り上げて、ツノはぐんと長く。なかなか良い出来の、赤と黒の二対のなまはげができた。その姿を鏡で見ると、なまはげは鏡の中から「泣ぐ子いねが〜」とちゃんと威嚇してきた。これならいける。夫にこの力作の写真を撮ってもらったので、いつか息子が大きくなったら見せてやろう。どんな反応をするか知らないけど。
そしていよいよ寝かしつけの時。いつものようにベッドで娘と息子と絵本を読む。パジャマの下の胸には、鬼が登場を待ち構えている。私はそのことで頭がいっぱいで、絵本なんて棒読み。
だって、これが後々のトラウマになったらどうしよう。「おっぱいには鬼がいる」=おっぱいは怖いものだ=性欲の歪み。あるいは、こんなひどいことをするなんてママ嫌い!となったら私が悲しい。
一方で、「なんだ、絵じゃん」と開き直られても困る。そうでなく、ある程度怖いけど、私がやったんじゃなくて鬼のせいだよ、的な言い方…。
さぁ寝ようか、というとき、いつものように息子が眠たそうにおっぱいに手を伸ばして来た。
「ぱい」(おっぱいくれ)
うん、そうね…とじらす。えっと、なんて言おう。とっさに演技をぶった。
「ごめんね、今日はおっぱいあげられないよ…だって…だってね…。」
胸ぐらを開いて、ババーン!
「おっぱいに鬼が来たんだよー!!!」
中身を見たか見ないかのうちに、ゥギャァアアア!と断末魔の叫びのような悲鳴をあげる息子。えっそこまで?!と少し撤回したくなるくらいの嘆きぶり。そしてかわいそうに、おっぱいを見ないように小さくうずくまって、ヒックヒックとしゃくり上げながら眠りに落ちていってしまった…。
ごめん。でも、パパとママはそんな君を見て笑いをこらえるのに必死だったよ…。
その夜も、息子は普段の癖で夜中に起きておっぱいを求めた。「ぱい…」。もぞもぞと私の胸元に手をのばし、パジャマを下ろすと、鬼の角がチラリ…スッと手をひっこめ、また小さく身をかがめて眠りへ。
そして息子は、おっぱいに寄り付かなくなった。日中も、全然欲しがらない。まるで自分の中で「おっぱいはなかったことにしよう」と決めているかのように。特に精神的に不安定になったり、べったり甘えたりということもなく、卒乳はあっけなく順調に進んだ。驚くことに、ウンチもみるみる硬くなった。
その代わり、夜泣きは少しあった。お茶飲みたい!とキレたり(喉が乾くんだろう)、わけのわからない叫びが続いたり、起き出してお散歩行く(夜中の2時)、絵本読む、おにぎり食べる、でやっと寝たり …。でも、そんな夜もだんだん落ち着いてきた。あれから八日目にあたる昨日の夜は「お外いくー」(3時)と泣くので、これは教えておこうと思い、また鬼登場。「大変。お外に鬼が来てたよ、ママ見た」と告げたら、またスッと寝てしまった。
マジックのナマハゲはだんだん色が薄くなって、息子がもうおっぱいに触れることもなくなったので、四日目にはメイク落としで消してしまった。そしたら急に虚無の鬼が胸にやってきた。
あぁ、もうおっぱい飲んでくれないのかぁ…
あんなに欲しがってたのにな。夜、二階の寝室から呼ばれる声で階段を上がっていくこともなくなったな。二回も三回も夜に起こされ、私よくがんばったわ。でも、それを引き換えにしても、くっついてるの、気持ちよかったんだよね。かわいくて、愛おしくて。ずっと、私だけの子ども、みたいで。
こんなこと書いてたら泣けてきた。さ、今度は私が卒授乳しなきゃ。
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