自分なんて愛せなくてもいい。
パニック障害になったよシリーズ最後になります。
↓これの続きですが、読まなくても平気です。
治療を続けてきたことで症状がどんどん変わっていった。
一人で家にいられるようになって
人と一緒に外に出られるようになった。
一人でパプリカを買えた日
エレベーターに乗れるようになった日
外食をした日
歯医者に行って親知らずを抜いた日
車の運転ができた日
髪を切った日
たくさん発作を起こして、少しずつ出来ることが増えていった。
そこそこ普通の生活を送れるようになった今、一つの結論に辿り着く。
自分を愛せなくてもいい。
私は私を愛するために生きてきた。
とても響きのいい言葉だが、これは綺麗な物語ではない。
自分を愛するとは自分を認めること。
よく聞く自己肯定感。
私は、私でいいと思うためには成功し続けなければならなかったという話。
自分は出来ない側の人間だということは、小さい頃から自覚していた。
他者に評価されることなんて早々に諦めていた私は、自分くらいは自分を好きでいようと思った。
自分を好きでいるためにはどうしたらいいんだろう。
人生のミッションは沢山あった。
それを順調にクリアしていけば、自分自身を好きになれる。
学校に合格し、資格を取った。
就職して、結婚して、家を買って、子どもを産んで
そうやってクリアしていった自分を誇りに思っていた。
自己肯定感はいつでも高かった。
私はやれば出来る。
このままずっと順調に生きていけば合格だ。
私は私に生まれてよかった。
他人から見れば普通に生きているだけで、なんの試練でもないかもしれない。
しかし私にとってはどんなことも困難で、達成感があった。
こうやって完成していく私を、私は認めて、愛していた。
俗に言う空っぽな人間
そしたらいきなりこんな、体も心もポンコツになってしまった。
病状が酷い時はとにかく生きるのが困難。
自分の価値とかそんなもの考える余裕がなかった(漠然と死にたいとは思っていた)が、症状が落ち着きはじめた時に気がついた。
働けない。
これが一番辛かった。
お金という分かりやすい成果を生み出すことが出来ない自分は、価値がない、ゴミだと思った。
早く働かなきゃ
そのために頑張って治療をした。
早く働けるようになって、お金を稼がなきゃいけない。
中途半端ではなくて、完璧に働かなきゃいけない。
フルタイムで復職したい。
そう思って出来るなら、世の中みんなハッピーだ。
季節が2回変わる頃、薄々わかりはじめた。
自分には無理だ。
治療をする中で自分という人間を知ったのだけれど、私はどうやらやれば出来る側の人間でもなかったのだ。
自己中心的に、自分を満たすためだけに努力してきて、一度壊れてみるとわかる。
他人も自分も大切に出来ない人間は、空っぽだ。
私がただ、自分を認めるというためだけに、たくさんの人の気持ちを蔑ろにしてきたなと反省する。
こんなんだから、目に見えるものにしか価値を見出せないんだな...とぼんやりと考える。
ぼんやりした後に、いやいやぼんやりしてちゃダメだろと思えた。
いよいよ本当に自分をどうにかしなきゃいけない。
認めるとか受け入れるとか
繰り返しになるが、私は今まで成功した自分だけを認めてきた。
自分の中の正しさがあって、そうであろうと努力してきた。
正しさから外れた自分には価値がないと思っていた。
そして今、自分は正しさから逸脱して、戻ることはきっともう無理だと知った。
ここまで来ると、スンッと諦めがつくものだ。
私は出来ない人間だ。
そして思う。
それでもいい、出来なくてもいいのだーーー...
それが、私ーーー...
なんて言うと思ったか?
「ありのままでいい」
そんな心、凪いだ心。
そんなのはない。
私に出来るのはただ、「出来ない人間」という事実を受け止めるだけ。
受け入れるんじゃない。受け止めるのだ。
そして
「出来なくてもいい」とか
「出来ないから悪い」とかそういう判断はしない。
そこにあるのは
「出来ない」
その事実だけなのだ。
昨今流行っている「自己肯定感」
自分自身を誇りに思い、価値あるものだと認識する感覚。
そして「自己受容」
ありのままの自分を受け入れる。ダメな自分も受け入れる。
どちらも私にはまだまだ早い段階なのだ。
じゃあどうしようか?
認められないし受け入れられないならどうしたらいいのか。
そもそも認めなきゃいけないのか、受け入れなきゃいけないのか。
愛さなきゃいけないのか。
そしてタイトルに戻る。
自分なんて愛せなくてもいい。
例えば
尊敬も出来ないし、ダメダメで迷惑ばかりかける人がいたとする。
私はその人のことを好きになれるだろうか。
いや、無理だろう。
ダメでもいいんですよ〜とか言えるだろうか。
いや、言えない。
心の中で呪うだろう。
早くどっかいってくれ、もはや何もしなくていいから迷惑だけはかけないでくれ。
心の中で、沢山嫌味を言うだろう。
ただし、大嫌いで生理的に無理な人がいたとしても絶対にやってはいけないことがある。
それはいじめだ。
自分をいじめない
今の私に出来る、私への扱いはこの程度だ。
「働けない」という事実に
「自分には価値がない」とか「死んだ方がいい」とか悪口を言わないようにする。
だけども、「仕方ないよ」とか「生きてるだけでいいんだよ」とかも言わない。
ただあるのは、私の身体と心だ。
壊れているだけで、そこに意味はない。
今まで自分を認めたくて愛したくて、もがいてきたことを思い出す。
お疲れ様〜という調子で挨拶をして、さようならをする。
私はきっと、これから先自分を認めることは出来ないだろう。
ダメな自分を優しく受け入れることも出来ないと思う。
でも、愛せなくても認められなくても傷付けるような言葉はもう使わない。
働けるようになったとしても、目に見える成果とやらが出せるようになったとしても、それを愛とは呼ばない。
もう私は自分に期待しない。そして失望しない。
自分を愛するためだけの、独りよがりの努力をやめる。
そんなの悲しいと言われても、本当はそう思ってないくせにと言われても、私は胸を張って言いたい。
自分なんて愛せなくても生きていける。
おわり
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