学習者の視点で母国語を見る遊び
語学の勉強をしていると、母国語を見る目線が変わることがありませんか?
静謐な、早熟、おもんぱかる、どんぴしゃという単語を聞けば
「だいぶ勉強してから発掘されてくるけど、なかなか覚えられない単語だろうな…」
落語に耳を傾ければ
「これでするする内容が映像で浮かんでくるなんて、日本語ネイティブ感ある~」
日本人同士でも解釈に差が出る詩の響きに
「えもいわれぬ含みを感じる!!学習者だったら意味をとるので精一杯だろう、幸せだ」
そんな自分が学習者だったらの目線で、最近気になったのは、単語の先頭につける「お」です。
例えばbentoはもはや世界語ですが、ネイティブを観察して学習者の彼らは気づくでしょう。
「お弁当って言う人多いなあ...この方が丁寧なのかもしれない」
buttocksは尻ですが、「これもお尻って言ってる...とりあえず何にでも”お”付けとくかな?」
でもお口やお耳は小さい子相手みたいに聞こえるようだし、お歯とは言わない、お髪とも言わない、あれ、でもお手々…?お毛々…?
そして迷いこむでしょう、どれが自然か分からない、秩序崩壊問題に。
知らず知らずのうちに、膨大な生活学習を経て、身につけてきた感覚や秩序。それゆえのおかしみやユーモアに即座に反応できることを、今日も喜んで生きていきましょう。
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