共通言語という道しるべ
使っていることばの意味が人によって大きく乖離している。それに気づいたときの驚きは大きかった。
どうしてもかみ合わない人には随所で出会ったけれど、その原因のひとつがそれだとは知らなかったから。
同じ日本語を話しているのに。
例えば「よく我慢してる」ひとつとっても、ほめことばととる人と、必死に耐えてる状態だから対処するべきととる人がいる。
わたしには限界がきていたのに、微笑んで言われたことで、くっきりと境界線がひかれたことがある。
反対に、違う言語で育った相手との片言のコミュニケーションでも、不思議と通じ合うことがある。見ている世界の角度や濃度、かけている色眼鏡の種類が似ているのだろう。
そんな相手は、実は世界中にいたりする。
大いに助けになるのが芸術で、私が過去形も使いこなせず突入したイギリス生活で友人を得られたのは、学校で絵を描けたからだ。
なにかしら共通言語を持つ人には、ピンとくるなにかがあったようで、吸い寄せられてきてくれた。話している意味が分かったし、わかってくれた。
それがわたしの自信になった。
数は多くなくても、共通言語を持つ人はいるから、発言してみること。共通言語をもたない人の心に何も残せなかったり誤解されても、気にしないこと。ピンときた人には、それを伝えること。扉が開いているのなら、深堀すること。せっかく持っている自分の感覚を大切にすること。それを外に開くこと。
英語のようにメジャーな言語もあれば、エスペラントのようにマニアックな言語もある。思いもよらないところに落ちていた誰かのある一言に、自分に所属するなにかを感じるのは人生からの励ましのようだ。
冒険する道のあちこちで、誰かとの共通言語が呼んでいる。
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