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運動レベル底辺の私が、ヨガを始めるときにつまずいたこと【ヨガ本企画 2/100】

時間割に「体育」という文字があると、それだけで具合が悪くなるような子どもだった。鬼ごっこでは一度鬼になると永遠に鬼のままだし、かけっこやマラソンを大会はいつもビリ。跳び箱をすれば捻挫するし、逆上がりはできた試しがない。「外で遊んできなさい!」と家を追い出されては、団地の敷地内でゲームをしたり、地面に絵を描いたりという、典型的な運動音痴。

私はこのまま、運動せずに生きていこう。それがいい。

そう心に決めて、大学では演劇サークルに入るのを断念した。高校生の時から脚本執筆や演出、演技を勉強して、演劇に心血を注いだが、仕方ない。演劇サークルは、たいてい走らされるのだ。危険だ。

就活では「新卒にマラソンをさせて、上位者から配属希望をきいてやる」というような会社には間違っても入らないように、念入りに口コミを調べた。無事、数年前にマラソンを廃止したばかりの、安全な会社に入れた。夜中まで“夢を語り合う”という謎のワークショップをさせられたりしたけど、全く文句はない。夜を徹して夢を語るなんて、楽勝だ。走らされるよりずっといい。

しかし今、私は暇さえあればヨガスタジオに行く。

それに加え、仕事がない日は5,000〜10,000歩のウォーキングと、10分程度の筋トレやHIIT(筋トレや有酸素運動を立て続けにやるきついヤツ)を欠かさない。

子どもを産むまでは、毎朝出勤前に2時間のヨガの練習を欠かさなかった。

体も心もきっちり鍛えて整いまくった状態で仕事をするのは心地よい。しまいには、「ヨガができて、図書館があり、たまに登山でもできれば、それだけで満足だ」なんて言い出すようになってしまった。

劇的なことがあったわけではない。映画みたいに何か大事件が起きて、それがきっかけで価値観がガラッと変わる、ということはなかなかない。小さな出来事や小さな心掛けの変化で、気づいてみると今までと全く変わってしまっていた。

今回は、ヨガにハマるまでの間につまずいた小石たちを3つ、思い返してみます。

小石① 選べない!

ヨガの種類が多すぎて、自分に合うものが分からなかった。ジムのスタジオレッスンでちょっとやってみるとか、ホットヨガを体験してみる機会はあった。だけど、ヨガという枠組みがよくわからず、全体像が掴めなかった。

運動に少し慣れていたら、フローヨガのクラスを受けたら「はは〜ん、これは有酸素運動で、インナーマッスルを意識して体の使い方を見直すのに良さそうだな」みたいな感じで取り入れてみたり、「じっくり筋肉を伸ばすと気持ちいいな。マインドを落ち着けるのにも良いかも。体と心って繋がってるんだな」と陰ヨガをしてみたりするだろう。体のことから入っていって、だんだんと瞑想にも興味を持ち出したり、もっと深めたくなって伝統的なヨガのスタジオに行ってみたり。

だけど、体を動かすことから逃げ続けてきた20代後半(当時)の私には何がなんやらよくわからなかった。

今思い返すと、サウナにはまった頃が転機だったように思う。

当時20代後半に差し掛かった私。ちょうど2011年にタナカカツキさんの『サ道』が出て、サブカル界隈や美容ガチ勢から「気持ちいいらしい」「二日酔いが抜けるらしい」という噂が少しずつ聞こえてきていた。当時女性でサウナに入る人は珍しかったけど、ある日、会社の合宿で温泉に行ったときに、前日に悪酔いしていた同僚がサウナと水風呂を行ったり来たりしている。不思議に思って声をかけると、酒を抜いているのだという。なんだか面白そうだな、と思い、真似してやってみた。そして、はまった。

同じように岩盤浴にもはまり、友達と待ち合わせてわざわざ電車に乗って出かけた。しかし、せっかく岩盤浴で気持ちよくなっても、またメイクをして電車に乗って帰るのがめんどくさかった。

すると近所に住む友人に「岩盤浴ホットヨガというのがこの辺にできて、よさそうだよ」ときいた。ヨガには興味がないけど、そういえばジムでヨガをやったときに「屍のポーズ」が気持ちよかったなぁ、と思い出す。屍のポーズ(シャバーサナ)とは、仰向けになって手足を少し開き、全身を脱力して横たわるポーズ。岩盤浴でシャバーサナならできそうだ。それはきっと気持ち良いだろう。

そんなわけで早速行ってみたら、そこがヨガにハマる入り口だった。全くできなくてついていけなかったけど、最終的に岩盤浴。とりあえず、最後が気持ちよければそれでいいや、という感じで通っていると、いつの間にか難易度を表す星が「★」のクラスは難なくできるようになってきた。調子に乗って「★★」のクラスに行ってみる。打ちのめされるが、だんだんできるようになる。すると「★★★」にも顔を出し始め、いつの間にか私は顎に手の甲を当て、口をすぼめて「スーーーーーー!」っと息を吐いていた(バーカン・メソッドのスタジオだったらしい)。

特に運動をしたいとも思っていなかったけど、いつの間にか体を動かすことが日課になっていった。
選ぶ間も無く、いつの間にか巻き込まれている、という感じだった。

小石②恥ずかしい!

いろんなヨガの流派、あちこちのスタジオ、さまざまな先生のクラスを試していると、たまにキツい先生に当たることがある。私は、運動ができない自覚がある。だから自分にポーズができるとは思っておらず、最後のシャバーサナのことしか考えていなかった。それが伝わったのか、真面目な先生のクラスでポーズがちゃんとできていないと「違う!」と叱られて、結構恥ずかしかった。あとは、左右に体をねじるポーズで自分だけ反対になっていて隣の人と顔を見合わせることになると、それも恥ずかしい(ちなみに、よくある)。

ただ、これらの「ポーズができなくて恥ずかしい」というのは、まだ大丈夫だった。どうせシャバーサナで休憩したら、みんな自分の心地よさと達成感に酔いしれて、周りの誰がポーズが上手だったかなんて、誰も覚えていない。

私にとって衝撃が大きかったのは、体つきの「恥ずかしい」だ。

近所の岩盤浴ホットヨガにはまった私は、欲を出した。会社の近くの、ビッグシティ・SHIB○YAでホットヨガの体験クラスに挑戦したのだ。

近所のスタジオは、レッスンが終わったら、すっぴんで部屋着のまま帰れるよさがある。だけど、どう頑張っても平日の夜のクラスまでにたどり着くことができない。当時はリモート勤務なんてなかったので、18時のクラスに間に合うためには17時台に会社を出る必要があった。そして定時は19時。無理だ。

そこで会社の近くで通えないかな?と思い始めたのだ。何しろ、都会である。人がいっぱいいる。いつもスーツやオフィスカジュアルで闊歩しているであろう人たちが、ジャージ姿で集結しているのは面白かった。

クラスの内容はさておき、その後に「体験」の人だけが集められた事後カウンセリングでのこと。ヨガをする目的を聞かれたときに、私は「ダイエット」と答えた。

10代は「やせ」と「普通」の狭間にいることが多かったのに、いつの間にか体重が増えて「普通」と「肥満」の狭間に・・・・・・というか「肥満」に片足をツッコんでいたのだ。

先生とその話をしていると、隣にいた美女の視線を感じた。まじまじと私の(たるんだ)お腹や、体のあちこちを眺めていた。

そして「プッ」と笑ったのだ。

え、今、私?私、笑われた?私・・・・・・だよね?
と、心掻き乱されるわたくし。

さらに、つーんとした表情で、なんだか難しそうなヨガのポーズを見せつけてきた(今思えば、あれはクラウンチャーサナ、鷺のポーズ。その日のクラスには出てきていなかったはずだが)。太ももまで細い脚、そして太ももをおへその前に持ってきても肉が弛まないお腹を見せたかったのではないか、と思われる。自分の体を見下ろすと、そこには脂肪たっぷりのお腹がある。

恥ずかしさでいっぱいになり、その後先生の勧誘も全く頭に入ってこず、二度とそのスタジオに行くことは無かった。

都会のヨガ教室、怖い。
ヨガ美女、怖い。

恥ずかしい〜。

小石③できない!

「は?できるわけないし!」と、今でもたまに思う。でも、やる。

ヨガのポーズは、普段、日常でやらないようなポーズがいっぱいある。

アシュタンガヨガでは「フィニッシングに入りま〜す!最後の締めのポーズだから、ゆったりリラックスしてね♪」とか言いながら、三点倒立をさせられる。それに慣れた頃には「立った状態から、ブリッジに着地してみよう♪」と言われ、「上手!じゃあブリッジから立ち上がろう♪」って言われる。それにも慣れた頃には、今度は逆立ちからブリッジに・・・・・・苦行すぎる。

ちなみに、リラックスできるヨガだときいて参加したシヴァナンダヨガのクラスで、だいぶ序盤にいきなり三点倒立が出てきた時は「騙された!」と思った。未経験の方、ネタバレすみません。いやー、ほんとにびっくりした。クラスが終わる頃にはすっかりリラックスして心地よかったので、特に騙されてはいないんだけど。

ヨガを続けていくとできるポーズは増えていく。でも「できない!」は、ヨガを続ける限りずっと向き合うことになる。できることが増えることより「できない」ということに慣れてくるという感覚がある。

「できるわけない!」と思ったポーズが、ある時、できていることに気づく。もう一歩できなかったポーズが、やっとできた瞬間はとても嬉しい。憧れていた「あの人」が練習していたポーズにたどり着き、ついに自分もこれができるようになったのか、と感慨深いこともある。

だけど最近は、できるかどうかにあまりこだわらなくなってきた。

練習の本質は「できる」の中にはなく、「できない」の方にあるのではないかとすら思う。できない、だけどやる。来る日も来る日も「できない」という事実に向き合う。

私よりずっと練習が進んでいるあの人も、最近練習を始めたこの人も、それぞれの「できない」に向き合っている。みんな練習の段階は違うけど、「できない」に向き合っている者同士のリスペクトの念が湧いてくる。何ができる/できないとか、成熟度に関わらず。

だから、ヨガのクラスで「完璧にやらないと!」と気負ってしまうのはもったいない。ヨガのクラスは「できない」に向き合う場なのだ。ヨガのクラスは体の柔らかさ選手権ではないし、体操みたいに点数がつけられて勝敗を競うのでもない。ただ、「練習」をする場なのだ。

そう考えるようになって、いつの間にかヨガがライフワークになってきた。

「あの人は、元々運動ができるんだろう」「この人は、生まれつき体型がスリムなんだろう」

そういう考え方も、自然としなくなってきた。どんな人も、それぞれの段階で、それぞれに課された課題に向き合っている。そのことを身をもって体感できるのもヨガ教室の良さなのかもしれない。

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